第五十三話:ただいま
「兎に角、ちゃんと謝ってからじゃないと駄目だと思うの」
「ええと……すみません?」
「私にじゃなくて、みんなに」
言葉を重ねれば、やっと察しがついたのかブラックは「どうしてですか?」と唇を尖らせる。物凄い不服というのを隠すこともしない。
「私も悪かったと思ってるし」
「別にマシロは悪くないです」
「いや、うん……ありがとう? いや、そうじゃなくて、ブラックだけが悪い、いや、悪くない?」
ブラックが割り込むと、自分の頭の中までごっちゃになった。
「というか私が聞くのもあれだけど……それまで、何してたの?」
話が逸れたまま続ければ、ブラックは、ふぃっと顔を逸らした。明らかに後ろ暗いらしい。ブラック? と重ねれば、ごにょごにょと答えてくれる。
「ええと、その……気分転換を……」
眉をひそめたのを肌で感じたのか、益々声を小さくして「乱獲、とか?」首を傾げて見せても駄目だからねっ! それは、可愛いけど、そこじゃないからっ! と、心の中だけで突っ込み短い溜息を落とす。
「気分転換、出来た?」
静かに問い掛けた私にブラックは身体を寄せて首を振った。
「苛々が募るだけでした。別に珍しいことでもなんでもなかったはずなのに、そのあとは、ただ、ただ、マシロがとても恋しかった」
しょぼしょぼと続けられて、ぎゅーっと抱き締められたら捨て猫でも拾ったような気分だ……。
「マシロの姿だけでもと思って立ち寄れば、エミルは勝手なことをいっているし、マシロは流されそうでしたし、我慢出来なくて気がついたら」
ああなっていたというわけか。
「マシロが、あれを背に庇うから……」
再び腕に力が込められ、あとの言葉が続かないブラックに胸が苦しくなる。そこまでブラックを追い詰めたのは私だ。当然といえば当然だけれど、私にブラックを責めることは出来ない。
私はそっと抱き返して頷いた。
「うん、ごめん……私が謝りに改めて行くよ。根本的に、私のせいだし、あれはやりすぎだよ。まだ玉座なんて直ってないんだよ?」
そう続ければ、ブラックは、不意にいつもの調子に戻って「宮廷術師も無能ですね」と告げる。
「アルファだってカナイだってエミルだって怪我したんだよ」
「自業自得です」
いや、自業自得とかいう程度で、腕落とされたり、骨が見るほど削がれたりするのは違うと思う。エミルだって下手したら顔の造形が変わっていたかもしれない。なんかそれはそれで、世界的美の損失の気がする。
「銃は使わなかったですし、殺さなかったです。腕だって、小爆発で飛ばしてれば、切り口が破損するので、二度とつかなかったんですよ。綺麗につけられるように、すっぱり落としたのに……とても良心的な判断をしたと思っています。私はとても冷静でした」
常に極端なブラックからいえば、確かに物凄い譲歩した結果なのかもしれない。かもしれないけど……でも、なんか放っておくと溝が深まりそうで凄く嫌だった。
そんな気持ちを込めて「本当に?」と、じっと見上げれば、ブラックは暫らく凄くものすごーく、思案したようだけれど、
「―― ……分かりました。明日謝罪します。謝罪はしますけど、心が篭ってないとかいわないで下さいね。悪いと思っていないのですから、篭るわけないじゃないですか」
ぶーぶーっと、そういいつつも一応了承だろう。
心が篭ってないのは問題だけど、それよりも、このまま必要以上の会話すらしなくなるのではないかというほうが問題だ。
だから私もそれで納得する。
「約束は守るので良いですよね?」
いって、ちゅっと口付けてくる。もちろんそれには応じるけれど答えはノーだ。
「だーめっ。約束は守ってくれると思うけど、でも、駄目」
「ええっ、どうしてですか? 私は今物凄くマシロが欲しいです。抱きたいです。マシロは、そう、思ってくださらないんですか?」
縋るようにそう重ねられては私も胸が苦しくなる。でも、実のところ、ブラックの顔色はあまり宜しいように思えない。魔法灯のせいかとも思ったけど、なんとなく違う気がする。
「私も、ブラックと同じ気持ちだと思うよ? 思うけど、でも……私は薬師だから……」
そこまで告げれば、ブラック自身自覚もあったのか、何か言葉を飲み込んだようだった。そして暫らく瞑目したあと、細く長い溜息を吐き「分かりました」と頷いた。
「一緒に眠るくらいはしてくれますよね?」
「うん。ゆっくり休んで……眠って、ないんだよね?」
私の問いにブラックは答えない。ただ静かに首を横に振った。
嫌なことは夢に見る。これは私も経験済みだ。でも、私は泣いてうなされても目を覚ませば、ブラックが居た。大丈夫だと、ただの夢だと抱き締めてくれた。こちらが現実だと招いてくれた。
ブラックは独りだった。苦しくても辛くても、たとえ泣いていても……。私はその涙を拭ってあげることが出来なかった。
夢と現実の狭間で苦しんでいたのだと思う。不安定な心を持て余していたのだと容易に想像がつく。
その証拠のように、ブラックはここで寝ていた。ここは種屋のようにきちんとした護りが出来ている場所ではない。そこで、私の気配にすら気がつくことも出来ないくらい、堕ちていたとすればブラックにとって致命的だったはずだ。
その危険を冒すことすら、もう、どうでも良かったのだろう。
「ずっとここに居るよ、私は帰ってきたんだから」
大きく一つ深呼吸して、やんわりと告げると、ブラックはやっといつもの笑みに戻って、そうでした……と頷く。そして、私を抱き締めてテーブルからそっと降ろしてくれる。
誰かを傷つけることがあるなんて、とても思えないほどに綺麗な指先が頬に触れ、つっと撫でるとそのまま包み込む。
促されるように、見上げれば夜の闇と同じ色の瞳に私が映る。うっすらと浮かんだ涙が温室の魔法灯に反射して、とても、綺麗だ。
ブラックには、ちゃんと心がある。それはいつも真っ直ぐ私に向けられている。私はいつもその特別に浸りきって悦に入る。
ブラックはいつだって……私を想って、私のために、ためだけに、その涙を流す。
だから、私はブラックのためだけにこの世界に留まっている。帰る術もないのだけれど、それを悲しいとは微塵も感じない。
くんっと踵をあげ、腕を伸ばし首に掛ける。軽く引けば簡単に距離は縮まって、額をくっ付けると互いに笑みが零れた。
「―― ……お帰りなさい」
「うん、ただいま…… ――」