第五話:白猫の来店
因みに今日も閑古鳥は鳴いていますけどね?
評判の店なんてところには、なりたいとは思わないものの、暇をしないくらいにはお客さんが居ても良いと思わなくもない。
はぁ……と私が嘆息したところで、カランカランと聞きなれたウェルカムベルが音を立てる。
「いらっしゃいませ」
私は笑顔で訪問客を迎えようと振り返ると、扉を潜ってきたのは見たことのない獣族の少年だった。真っ白な猫耳と尻尾。そして少年らしくない端正な顔立ちには好戦的な笑みが張り付いていた。
「何か、ご入用ですか?」
雰囲気だけで私は後退しそうだったが何とか踏みとどまって、問い掛けた。
「ねぇ、あんたが白月の姫?」
「……え?」
お客。というわけではないようだ。
私は、じりっと後退しつつ警戒色を深めて「そう、呼ぶ人も居ます」と頷いた。そして、頷いた顔を元の位置に戻すより早く、訳の分からない衝撃が身体を襲う。体が浮遊感と痛みに襲われると同時に状況を把握する。にやりと口の端を引き上げた目の前の少年により、私は薬棚に叩きつけられたのだ。
―― ……ド……ッ
「っ……くっ」
派手な音を立てて、これまで丹精込めて作った薬が床に撒かれ細かな煙を上げる。一般的な商品棚だから、危険なものはここにはない。例え煙を吸い込んだとしても害はないだろう。
しかし、私にとっての害は今この瞬間も片手を私の顎の下へと固定し、首を圧迫してくる存在だ。
「あっは、本当に何の力もないんだ? ただの薬屋さん? ルインイシルとは全然性質が違うんだ?」
「……ふ、ぅ……ぁ……」
「ねぇ、あんたが死んだら……闇猫はおれを殺しに来るかな? それとも嘆き悲しんで勝手に消えてくれるかな?」
全て疑問系で投げ掛けてくるのに、私に答える余地はない。問い掛けている間もどんどんと手に掛けている力は強くなって、私の首を締め上げている。
―― ……殺される。
素直に死を予感した。
「美しいとき、なんて馬鹿げてる。あんたが居るから馬鹿な夢を見る連中が出るんじゃない? 消えれば良いんだよ。闇猫も自滅するだろうし……ああ、種を保有しない肉体の死はどんな感じなんだろう……」
うさぎのように赤い硝子玉のような瞳は恍惚としていた。自身の行為と思想に酔っている。
目の前がちかちかする。
じわりと浮かんできた生理的な涙に視界が緩む。喘ぐように開かれた口からは熱い息が微かに漏れ、端からは涎が垂れる。
「マシロさん、一人で何を騒いでいるんです……か……」
その声に天井しか見ていなかった視線を、何とか声のしたほうへと泳がせる。シゼが中で作業していたのを忘れていた。
「あれー? まだ人が居たんだ? この家は変だな。気配が掴みきれない……ま、良いや」
「―― ……ゼ、にげ、て……」
何とか声を絞り出したら、五月蝿いとばかりに喉が絞まって、がはっと鈍い音を吐き出した。
「面白くないこといわないでよ。首の骨折れちゃうから、これ以上騒がないでね」
「種屋、候補生……ですか?」
助けろなんていわない。だからお願い逃げて……!!
私はこの願いだけは届いて欲しかった。口癖のようにシゼはいっていた。護ることは出来ないと。自分はその用向きには不向きだと……。だからちゃんとシゼは自覚してくれているはずだ。
視界が霞んできた。
重くなる瞼を落としかけたとき、その熱風は私を襲った。
うわっ! という短い悲鳴と共に首への圧迫感が消えた。
「こっち!!」
強い力に腕を引かれ私は半ば引きずられるように店の外に出た。外光が眩しく瞳を閉じる。
「止まらないで! 走ってっ!!」
転げるように大通りに出た。
私のみに今起きたことが嘘のように、大通りはいつも通りの喧騒に包まれていた。行きかう人を避けて、私は街路樹脇に据えてあるベンチに腰を下ろす。
「大通りまでは追い掛けては来ないでしょう。事後処理が面倒になるでしょうから」
「……っ、ゼ」
「まだ辛いでしょう。声は出さなくて構いません」
息も苦しかったけど、それよりも突然襲ってきた恐怖に奥歯がかみ合わず体が小刻みに震えてしまっていた。情けなく身体を抱き締め丸くする。
シゼは申し訳程度に上に着ていた白衣を私に掛けてくれたけれど震えは止まりそうにない。
「視界は大丈夫ですか? 熱で焼けていませんか?」
普段より数段優しげに掛けられる声に、こくこくと私は頷くことしか出来ない。
「薬は後日作り直すとして、店には種屋店主殿が戻るまでは帰らないほうが良いでしょう。もう、居ないとは思いますが……とりあえず、治療のために、少し落ち着いたら王宮に向ってはどうかと思いますが……」
大丈夫ですか? と重ねられて私はまた頷いた。
「それにしても、どうしてあんな人がふらふらしているんでしょうね……?」
「……っほ……ど、どう、して」
「はい?」
「し、て……どうして、直ぐ、逃げなかったの」
掠れる声で何とかそれだけ繋いだ。
シゼは馬鹿だ。
いつも助けられない。
自分では無理だといっておきながら、いざそのときになれば無茶をする。
二人とも逃げられたから良かったようなものの、シゼに何かあったら私はエミルたちに顔向けが出来ない。
私は今とてつもなく情けない顔をしているのは分かる。そして非難めいた目をシゼに向けているつもりもある。それなのにシゼはくすりと笑って肩を竦めた。
「どうしてでしょう? 分かりません。でも、こうして二人とも助かったのですから良かったじゃないですか?」
問題はありません。と、続けたシゼに問題大有りだと口にしたかったが、それより早くシゼが続ける。
「本当にどうして僕が居るときなのか。気をつけてくださいよ。僕は、ああいうのに向いていないんです。ただの薬師なんですから……でも、彼はまだ未熟だった。力は自分で制御出来ないほど溢れているようでしたが、未熟でした。だから、あんな子供だましに引っかかった。あんなのに引っかかるのはアルファさんくらいです」
「―― ……」
それはつまりアルファは子どもだと? いや、そっちじゃなくて同じ種屋になるものでも、私の首を絞めていたのがブラックだったら、効果はなかったってことかな……。ふと、そんな図が脳裏に浮かぶものの全く現実味がない。何がどう転んでも有り得なさ過ぎる。
「丁度、僕の居たところには色々と危険なものが並んでいましたからね? 簡単な摩擦だけで爆発するものも多々ありましたし……」
全部ぶちまけましたけど、損害のほうは補償しません。とにこり顔。
別に請求したりはしないけど……大赤字は覚悟しろということか。
「少し楽になりましたか? こっち向いてください」
促され顔を上げた私の頬を両手で包み、そっと首筋に向かって撫で下ろしていく。少しくすぐったく…… ――
「いったっ! 痛いっ!」
かなり痛かった。その悲鳴に合わせてシゼは「もう少しじっとして」と真剣に触診する。
「昼真っから仲が良いねー」
通りすがりの声にシゼは思わず手に力を込め、私は悲鳴を殺した。慌ててシゼは謝り真っ赤になっている。
「えっと、とりあえず王宮へ向いましょう。馬車を捉まえますね」
立ち上がったシゼの服を反射的に掴んでいた。一分一秒でも一人になるのは嫌だ。怖い。
それに気がついたのかシゼは私の腕を取って、立たせてくれた。
「大丈夫なようなら少し歩きましょう。その途中で馬車を拾いますから……」
怪我人には優しいようだ。