第五十話:この木なんの木?
そして、シゼから粗方の説明を受けて、ふんふん、と頷いていたラウさんは、聞き終わると「ちょっと失礼しますね」と私に歩み寄って来て片腕で私の肩を抱き身体を固定すると、そっと鳩尾辺りに触れて目を閉じる。
「緊張しないで下さい」
付け加えられるけど前置きもなく突然されたら普通吃驚する。やや沈黙したあと、そっと手を離すと「なかなか育っていますね」と苦笑した。
「いけますか?」
というシゼの問いにラウさんは、うーんっと唸ってから「大丈夫だと思いますが……」と前置いてカナイを見る。
「折角ですから、カナイに補助をしてもらいましょう」
「え? 俺が補助?」
「……なるほど、補助なんて必要としたこともやったこともないと? 全く、天才肌はこれですから。では、良い機会ではないですか相手に合わせるということを学びなさい」
ラウさんが先生モードに入った。
それは良いんだけど、なんか私モルモットの気持ちが分かってきた。ちょっぴり怖いよね。でもこの様子じゃ私に選択権もうないよねぇ?
モルモットな私は、椅子の背を右側に持ってきて肩を預けると後ろにカナイが立ち、正面でラウさんが両膝を立てて私の身長に合わせた。
シゼが水と一緒に紅い錠剤――いやもう見た目石ころです――を持ってくる。デカイよね。親指の第一関節から上くらいの大きさがある。
「飲むんだよね?」
「そうですね……確かに大きいですよね。ですが、これでも凝縮したんです……我慢して貰えますか?」
ここまで来て薬の大きさが気に入らない程度でやめられない。
私は大丈夫だよ、と頷いて薬を受け取ると見つめた。これで私の記憶が戻る。周りの様子からして思い出さないほうが、知らないほうが良いこともあるように思うけど、それでもやっぱり私は記憶を求める。
自分が今出来ることをやる。
やらないことへ後悔するよりきっと良いはずだ。
でもやっぱりちょっと大きくて、勇気が必要で……と、遅疑逡巡すればラウさんと目が合ってしまった。にっこりと優麗な笑みを浮かべてくれる。良くも悪くも私だって信じるしかないんだ。ラウさんは少し気が置けないけれど、エミルもシゼも……みんな彼を信じるとことにしたんだ。私はそのみんなを信じる。
―― ……怖くないっ!
私は生唾を飲み込んで大きく深呼吸。
「よし、行きます」
―― ……ごくんっ
「っん」
流石に大きくて喉に詰まりそうになると、ラウさんがそっと手を伸ばして喉を押さえてくれる。少し気道が開いたのかなんとか飲み込めた。
「大丈夫、捉えました……カナイも大丈夫ですか?」
カナイが無言で頷いた気がする。
背中から胃の辺りを押さえているカナイの手のひらが燃えるように熱い。ちりちりと、内部を焼くような鈍い痛みがゆっくりと迫ってくる。
「今の薬を解放して根を焼き尽くしますから……少し時間が掛かります。気持ちを楽にして、ゆっくり呼吸していてください。もし、熱く感じても実際の熱ではないですから慌てないで下さいね」
ラウさんが説明を添えてくれている間にも、体の中がじりじりと焼けているような気になってくる。ゆっくり呼吸しろといっても無理だ。
正直……痛いし、熱い……
ドライアイスにでも触れてしまったように冷たすぎて熱いというような変な熱さだ。
―― ……ふわり
私が肩を押し付けた椅子の背もたれに頭を倒せば、誰かが触れる。視線を上げれば、エミルが回り込んできてくれていて、そっと私の頭を撫でてくれた。
いつものように微笑んで口パクで「頑張って」といってくれているのだと思う。その笑顔に少しだけ救われる。
でもやせ我慢にも限度があり、額にはじわりと冷たい汗が滲んでくる。呼吸は自然と浅く短くなってしまう。痛みが細かく走り、どこがと一点に指定するのは無理だ。
ちりちりと細かく痛みが明滅する。血管の中を火花が迸っているようだ。どくんどくんと自分の脈が熱を運んでいるようで、耳鳴りがする。吐き気がする。
「もう直ぐです。意識は保ってください、手放さないで下さいね」
閉じかけた双眸をうっすらと持ち上げると、いつも冷静で余裕があって糸の切れた凧のようなラウさんの表情に疲労が窺える。
負担が掛かっているのは私だけじゃない。私だけが辛いわけでも、頑張っているわけでもない。
「……っ……ぅ……」
痛みと冷たい熱さを必死に堪える。一瞬が永遠にも感じる。
「最後です」
ラウさんがそういい終わるのと同時に、体の中で何かがぱきんっと壊れたような気がした。気がして…… ――
「―― ……っう」
二人が腰を上げるのと同時に私も立ち上がり、慌てて口元を押さえてきょろきょろとする。
それを予想していたのか、少し離れたところから「こちらです」とシゼの声がして、私はシゼが招いたシンクに駆け寄る。
口を押さえていた手で、シンクの端を掴み激しく咽る。分かっていたことなのかシゼは私の背中を擦ってくれた。
「っ、ごほっ、ごほっ!!」
あんまり人に見られたい姿じゃない。みんなに背を向ける形に出来たのは、僅かながらの配慮だろうか?
「……っは、は、ごほっ」
「残しては駄目です。全部吐いて下さい」
私は胃液と共に食べてもいない炭化した木の枝のような細い欠片を、大小あわせてかなりの数吐き出した。頭に酸素がいかなくて、ぐらぐらする。
目に涙が浮かぶ……ああ、もう最悪。
「ふっ、く……っは……げほっ」
これで最後とばかりに、ごとんっと飲み込んだ薬とほぼ同サイズの黒い塊を吐き出して、私はその場にへなへなとしゃがみ込む。
「よく頑張りましたね」
子どもを宥めるようにそういってシゼは私にタオルを握らせてくれ、そっと身体を支えてくれる。頭はぐらぐらして、正直、正常な思考が廻るとは思えないけど、思え、ない、け、ど……どう考えたって、ここまで予想の範疇という感じだ……そういうことは先に、伝えてもらわないと、心の準備というものが、あ、る。
「もぅ、たお、れてい……?」
掠れる声で、ぽつぽつと紡ぎ出した私は、シゼの「良いですよ」という了承を最後まで耳にすることなく瞼を落とした。