第四十六話:好きの種類
エミルに投げ掛けられた疑問を頭の中で繰り返し考える。
考える。
考える。
考える。
行き着く答えを私は持っているのだろうか?
結局、ふぅと嘆息した私にエミルが「ねぇ」と声を掛ける。
「マシロ……マシロはどうしてここへ来たの? 今夜はもう休むようにいわれなかった?」
「え? あ、だから、その」
「使用人が止めなかった? それとも勧めたかな?」
シシィは止めはしなかったけど、勧めもしなかったような、いや、勧められたのかな? 私が考えて答えに詰まっていると、エミルはふふっと笑いを零し「マシロは可愛いね」と重ねる。
「ねぇ、どうしてマシロの部屋と僕の部屋は繋がってると思う?」
「―― ……え?」
問われて改めて考える。
実際、確かに無用心な造りになっている。この内側の扉は全て鍵が掛からない。私とエミルの間は、常に行き来が自由なのだ。
「僕はそんなに安全圏の男なのかな? 嬉しいような哀しいような……男としてちょっと微妙だよね」
「え、ええと、エミル?」
もぞりっとエミルの腕の中から顔を上げると、曖昧に微笑んだエミルと視線が絡む。
「な、何の話だっけ?」
「んー? なんだったかな?」
緊張して問い掛ければ、悪戯をするときのように意地悪な笑みを浮かべたエミルが、はぐらかすように口にする。私はそれらから逃げるように「そろそろ休んだほうが」と腰を上げようとしたら、ぐいっと腕を引かれて簡単にベッドに押し倒されてしまった。
―― ……ぽふっ
と、柔らかなスプリングに受け止められ、私は目を丸くした。どうしてそんなことをされるのかがさっぱりで、分からなかった。
「ちょ、エミル?」
「こういう仲だと思われていると思うよ?」
私の顔の横で肘をついたエミルの指先がそっと髪を撫でていく。体重は殆どかけられていないけど、覆い被さるようにされては私は動けない。
―― ……邪推するものが出てくるといけないから。
最初に部屋に引き止めたとき、エミルは確かにそういった。
それはつまりこういうことで……そう思い至った瞬間、体の奥がざわざわとざわついて全身が熱くなった。
私の動揺を知ってかしらずにか、エミルはぽつぽつと話を続ける。
「マシロは謝らなくて良いんだよ。何も悪くない。闇猫、世間一般的に彼はそう呼ばれることが多いのだけど、その彼を怒らせたのは僕だから」
そんなことはないとはっきり伝えたいのに、エミルがふわりと降りてきて私の首筋にキスをするから私はそれどころじゃなくて
「前に彼がいったよ『こうなることを望んでいたんじゃないか』って、僕はそれを否定も肯定も出来なかったけど、今ははっきりと肯定出来る。僕はとてもズルイ人間で、マシロが記憶を失くしてしまったとき、ほんの少しだけ嬉しいって気持ちもあって」
そっと私の傍に横たわり左腕を枕にして、空いた右手で私の左手を絡みとって、ぽつぽつと話を続ける。もう殆ど耳元で囁かれている状態に、私は浮かされてしまっていて言葉の意味をちゃんと考えられる自信がない。
「これでまた、最初からやり直せるかもしれないと、そう思っちゃったんだ」
そこまで告げるとエミルは身体を起こし私の顔を覗き込むと、ねぇ、マシロ。と問い掛けてくる。
声が上手く出ないから目を合わせると、エミルは瞳を細めて絡め取り繋がれていた手に、きゅっと力を込める。
「僕じゃ駄目?」
ちゅっと額に口付けられる。
「マシロが傍に居ると僕は嬉しい」
瞼に唇が降り目尻へと滑っていく。
「心穏やかにもなるし、癒される」
頬を軽く食まれぺろりと舌が這う。思わずぴくりと肩を跳ねさせると、繋いだ手に力が入り解放してはくれない。
「マシロが白月の姫である必要も、聖女である必要もないよ。ただ、マシロで居てくれれば良い……あんな失態を見せたあとだけど、僕がきっと君の不安を取り除いて上げるから」
思わず次は唇に触れられるのかと緊張すれば、口付けは耳朶を甘く噛んで耳元に下りてきた。
好きか嫌いかの二択しか、世界に存在しないなら、私はエミルを好きだと思う。嫌悪する気持ちは全く湧かないし、突き放す簡単な理由すら思い浮かばない。
「好きだよ」
そっと添えるように呟かれ「嫌だったり、痛かったりしたらいって、直ぐやめるから」喉元に確認するようにキスを落としてから、そっと唇で胸元のリボンをしゅるりと解かれる。
引き絞っていた拘束が解かれれば、簡単に肩は肌蹴た。
繋がれている手は片手だけなのに、なんとなく全身を緩く拘束されているような気になる。
優しく触れられる愛撫に、身体は熱を持ち鼓動は早くなる。
直ぐにやめる……そういわれて、やめて欲しいのか続けて欲しいのか分からない。
―― ……信じています。
私だけを信じているというのはどういうことだろう?
私はやはり記憶を取り戻して、そして白い月の少女もやらなくてはいけないのだろうか?
エミルなら私に何も考えなくて良いように、きっとこれから先これまでの記憶がなくても困ることのないように、取り計らってくれるだろう。優しく甘やかせてくれて、好きなことを好きなようにさせてくれる……でも、私はここにいたら、自分で何も考えなくなってしまうような気がする。
自分で考えて判断して行動する。
それすらやめて、何かあれば他人のせいにして、私はこの異世界で生きるのだろうか?
「―― ……っあ」
思考の海に呑まれていたのに、胸元を這う柔らかな唇と大きな手のひらに、ぞくぞくと心が振るえ現実に引き戻される。
唯一自由になる手でシーツの皺を強く掴めば「おかえり」と胸元で囁かれた。
エミルはちょっぴり意地悪だ。でもやっぱり優しくて、きっと私が無理に身体を動かしたり逃げ出そうとしたら、その手を身体を解放してくれると思う。
そのくらいの力の余裕があって、私の危機感をギリギリで刺激していない……。
「……っん、エミル、ダメ……」
腰辺りに口付けて強く吸い上げるエミルに、私は始めて抵抗した。嫌とか痛いとかじゃなくて
「ダメ?」
「だめ、だ、よ」
声を出すと微かに熱っぽく息が上がっていた。
撫でられ触れられて口付けられていて、出来る限り感じないようにと努めたつもりだったのに、嫌だな……なんだか凄く恥ずかしいし、身体は続きを求めているようで、本当に恥ずかしい。
「何がダメ?」
エミルは視線が真っ直ぐ絡められる位置まで戻ってくると、頬を寄せて私の身体を抱き締めた。触れる肌が暖かい。直に伝わってくるような互いの心音がとても早くてくすぐったい。
「痕を残されるの、怖い?」
「―― ……」
そういって顔を覗き込んでくるエミルの頬は、少し朱を帯びていて瞳は潤んでいた。私の細かな気持ちさえも感じ取って察してくれるエミル。それならきっと、もう、答えを知っている……知ってるはずだけど、自分からは口にしない。
本当にちょっぴりズルイよ。
エミルのことを好きだと思う。
大切だと思う。
護りたいと思う。
だから、触れられるのも嫌ではないと思ったのに、何となく身体に痕を残されるのに抵抗があった。
ぎゅっと握って離されることのなかった指先が解放され、そっと頬を包む。そして、唇が重なり、私は息を詰め瞳を閉じた。
軽く触れ合う口付け……優しくてとても甘い。
僅かに唇を開き吐息を漏らせば、つぅと舌先が唇をなぞり歯列を這う。
「……っ……ぅん」
じりじりとじらされるような口付けに、熱の篭った声が漏れる。ドキドキが頭の芯まで支配して強く脈打つ、身体中が熱く浮かされる。でもそれ以上は決して踏み入ってこようとはしない、まるでそこには見えない壁か、誓約があるように互いに駄目だと分かっている。
「こうして、唇にも触れさせてくれるのに……僕は、もっとマシロが欲しいよ……ねぇ、駄目?」
「―― ……」
私は声が出ない。
重ねられる口付けのせいではなくて、エミルの瞳がうっすらと涙に濡れていて……苦しい。私の声を答えを殺してしまう。それなのに頭のどこかは冷静で、それをとても綺麗だと思う。
「―― ……僕じゃ駄目、なんだね? 好きだよ、好き。マシロが好き……」
鼻先が触れ合う距離で、唇が僅かに触れ合う距離で、苦しそうに紡ぎ出される告白に、ようやく私は「ごめん」と紡ぎ出せた。
「エミルのことは好き、嘘じゃない。でも、こういう好きじゃないと思う……本当に、ごめん」
近すぎるくらい近い距離で、私はやっと逃げずに口にした。
一瞬エミルの瞳は揺らいで、泣いてしまうのではないかと思ったけれど、ぐっと瞳を閉じて何かを堪えたあと、もう一度目が合ったときには微笑んでくれていた。
そして、ちゅっと唇に軽くキスを落とされ、虚を突かれて目を丸くしている間に、身体を離すと肌蹴てしまっていた夜着をそっと直してくれる。