第四十五話:楽な道? 茨道?
「……どうかしましたか?」
ほんのりとした明かりだけで保たれる視界の廊下を歩きながら、黙り込んでいた私にシゼが問い掛けてくれる。少しだけ心配そうな色が見えるのは隠そうとしても隠せなかった部分だろうか?
「ううん……どうもしない」
私の心は揺れていた。今、ここでシゼにブラックから聞いた話をすれば、私は近いうちに記憶を取り戻せるかもしれない、でも、本当に、その記憶取り戻して良いのだろうか?
私は、命の掛かった盤上ゲームのプレイヤーを勤めるのだろうか。私が誰かを殺すことがあるのだろうか? 今夜みたいに、多くの血が流れて……。
「考え事も結構ですが、今夜は休むのが最善だと思います。心も疲れているでしょう。そんなときに、何かを決断することは良くない」
僕は、そう思います。と締め括ったシゼに私は何も応えなかった。
シゼと一緒に部屋まで戻ってくると、シシィが心配そうに出迎えてくれた。
「マシロさんは、シャワーでも浴びて冷えた身体を温めて、着替えてください」
帰りは室内を通ってきたけど、行くときにスカートの裾は汚れてしまっていた。もちろんいわれなくてもそうするつもりではあったが、今日は素直に頷いた。
「シゼはどうするの? もう、休むの?」
「僕はこれからエミル様に、二人の怪我の具合を報告してから、寮病棟に戻ります。あの二人は放っておくと病棟まで破壊しかねませんからね」
肩を竦めてそういったシゼに、私とシシィは顔を見合わせてくすりと笑った。
私が着替えなどを済ませて部屋に戻ると、シゼはもう居なくなっていた。ぼんやりとしたまま、私がベッドの端に腰を降ろすと、シシィがティーカップを持ってきてくれる。
ほわりと上がる湯気に気分も少しだけ和らいだ。
香りからしてホットミルクだと思うけど、少し違う香りが混じっている。
「蜂蜜が少し入っております」
「ああ、それで……ありがとう」
両手でそっと包み込んで、ふーっと少し覚ましてから口を付ける。ほんのりした甘さがじわりと身体に広がって胸が落ち着く気がした。
「シシィも、他のメイドさんもよく気が利くよね。王宮勤めとなると自然とそうなるの?」
特に大した話題もなく問い掛けた私に、シシィはありがとうございます。と、礼を告げてから話してくれる。
「殆どはエミル様とシゼ様のご指示で、私どもは動いております。そのミルクもシゼ様に先程仰せつかりました」
「ふーん……結構細かいことまで気にしてくれているんだね?」
ごくんっとカップの中身を飲み干すと、そっと手の中からカップを抜き取ってベッドに入るように進められる。
「エミル様はもちろんですが、皆様、マシロ様をとても気に掛けていらっしゃいますよ。マシロ様は皆様からご寵愛を受けていると思われます」
「―― ……白月の姫、だから?」
自嘲的な笑みを浮かべてそう問えば、シシィは慌ててそのような理由だけではありませんよ。と首を振ってくれるけど、そういう理由も含まれるってことだよね。
分かっていたことだし、それでもそのことに存在意義があるなら良いか。とも、思わなくもない。でも、今の私にはその意味もない。
「エミル、戻ったかな? もう、寝てると思う?」
私の質問に、シシィはやや思案して「起きていらっしゃると思います」と答えた。
「まだ、頬の腫れが引いていらっしゃらなかったようですし、冷たいタオルなどお持ちしては如何でしょう?」
にこりと微笑んで、そう続けてくれたシシィに、私はそうだね、と頷いた。そしてシシィが用意してくれた、ちょっと冷えすぎなのでは? と思われるタオルを片手に、ぐるりと廻ってエミルの部屋へ向おうとしたら、シシィに止められた。
「こちらから直接向かわれては如何ですか? 夜着ですし」
そう告げられて、それもそうだね。と、笑って返し、寝室同士繋がっている扉を叩く。中からは少し驚いたような声が返ってきて、私だと告げればどうぞといってもらえた。
そっと入室すれば、エミルは一人でぼんやりとベッドの端に腰掛けていた。
入ってきた私に顔を挙げ「大丈夫?」と優しく問い掛けてくれる。そして、腕を伸ばすとおいで、と招いてくれた。
私はそれに誘われるまま歩み寄ってエミルの正面に立つと、そっと微かに赤みの残る頬に触れる。
「っあ、マシロ手が氷みたいだよ? 大丈夫?」
びくりっと身体を引いたエミルに、反射的に謝った。
「ごめん。冷やしてあげると良いかと思って、冷たいタオル握ってきたから……」
いって反対の手に握っていたタオルを見せると、エミルはなるほどと笑い、そのタオルを取り上げると、ベッド脇にあった小さな台の上に置いてしまった。
「マシロの手で良いよ。冷たくて気持ち良い」
「え、あ……うん」
すっと私の手を取って頬に当てると、今度は気持ち良さそうに双眸を伏せた。
男の人の頬に触れているのに、とても肌理が細かくて綺麗だな、とか、睫毛長いな、とか思ってしまうと必要以上にドキドキしてしまう。その影響だとは思わないけれど、直ぐに手のひらはエミルの頬の温度を奪い取って暖かくなってしまうのに、エミルはその手を離そうとはしない。
落ちている沈黙に耐えかねて、私が名を呼べば、ん? と顔を上げ問い掛けるように瞳を細めた。
「あ、あの……エミルは大丈夫なの?」
って、頬が赤いのに大丈夫なのって質問もどうかと思う。私は必要以上に動揺している。
「大丈夫だよ。ああ、といっても、ちょっと奥歯が抜けちゃったから、別の歯を入れないといけないんだけど」
それで腫れていたのか。
私は妙に得心しつつも、その原因になったのが多分自分だろうと思うと哀しくなる。
「ごめんね……私が居たから」
正直、頭の整理は全く追いつかない。
でも、みんなの話を纏めると、きっと私に指輪を贈ってくれたのは、あの黒猫で、彼は罪人? とか、あまり良くない人で……きっとみんなから畏怖の念を抱かれてしまっているような人だ。
それでも、きっとあの人には私が必要だったのだろう。
そうじゃなかったらあんな泣きそうな顔しない。彼を助けるためには、私の記憶はきっと必要だ。それを取り戻してしまったら私はこの世界で ……――
「おいで」
きゅっと唇を噛み締めると、エミルは私の腕を引いて片方の膝へ座らせると、ふわりと抱き締めてくれた。心地良い温もりにほっとするものの、どこか落ち着かなくて気持ちがそわそわと浮き足立つ。
「エミル……」
ぽつりと名を呼べば「うん」と柔らかい声が降ってくる。
「教えて欲しいの」
「……うん。僕に分かることならなんでも」
問い掛ければ、必ずそう返ってくる。
分かっていて、質問する私は甘えているだけだということくらい分かる。でも大きな手が優しく髪を梳き撫で付けてくれると、甘えて良いのだと勝手に許されているような気になる。
「ブラックは私だけは殺せないといった」
「うん、そうだね」
「―― ……この世界で、もしも私が必要とされるのなら、私は彼のことを思い出さないといけないんじゃないかな?」
エミルの胸に顔を押し付けていたから、声はくぐもっている。
それより先にぼそぼそとしか告げられない。それでもエミルはその声を拾ってくれて、思案気に唸る。
「マシロはどうしたい?」
「え?」
「マシロ自身は、どうしたいのかなと思って。僕の知っているマシロはね? とても責任感の強い子なんだよ。それなのに自己評価は地を這うように低い。こんなに可愛いし、こんなに優しいのに、どうしてそんなに自分に自信が持てないのか、僕には不思議なんだけど……」
次は褒め殺しに合うのだろうか? 私はエミルに額を押し付けたまま、ぐりぐりと頭を左右に振った。エミルがくすぐったそうに、くすくすと笑ってくれるのが、ほんの少し嬉しい。
―― ……私は、私自身は本当にどうしたいのだろう……。
※ ここがBADENDとの分岐点になります。本筋とは全く関係ありませんが、もし、読んでみたい。と思ってくださる方がいらっしゃいましたら、是非どうぞ。
4月1日(時間未定)より公開開始です。
裏なし(http://www11.plala.or.jp/sshappy/been/mouhitotu1.html)
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