第四十四話:シル・メシアという舞台の盤上遊戯
「あー、お前も座る? そこら辺、椅子あるだろ?」
今更だけど、室内はちょっとしたビップ待遇な病室という感じだ。
仲良く並んでいるベッドも、セミダブルくらいあるんじゃないだろうか? ゆったり出来る空間が用意されていると思う。
多少、消毒薬の臭いはするけどカナイがいうほどじゃない。
椅子はあるけど私はカナイの傍により、ベッドの端っこに腰掛けるともたもたしていた腕を取り上げて肩の上で結ばれていた三角巾を解いた。少し抵抗されたものの強引に進めたらすんなり折れた。
「なんか不器用そうなんだよね……カナイって……」
「ほっとけよ」
ふぅと短く嘆息しつつ、血が滲んでいる上腕の包帯を解くために袖を折る。するすると包帯を解いていくと痛々しい傷が姿を現す。
丁度、シゼが戻ってきて「替わりますよ」というのを断って、私は新しい包帯を受け取り取り替えていく。
「やっぱり慣れてるな?」
「―― ……そんなに頻繁に怪我しないよ」
「そーいう意味じゃないだろ」
「マシロさんも一応薬師ですからね、身体に染み付いているのでしょう?」
不要になったものを片付けつつ、ほんの少しだけ嬉しそうな声色でシゼが告げる。
私が薬師。
お医者さんもどきのようなことをしていたとは、正直思えないけど、シゼがいうように酷い傷跡にも抵抗ないし、包帯も上手に巻けたと思う。
「雨、上がりましたよ。これで少しは作業が進みますね」
包帯を取り替えている間に、退屈したアルファは、窓を開け放ち真っ暗な庭に目を凝らす。廊下から漏れてくる魔法灯の明かりで見る庭は少し薄気味悪い。
でも私はそこを突っ切ってきた。
「本当だ……雨季明けるかな?」
「うん、そろそろだと思います。長かったですね」
「たった二週間だろ」
そのたったが、アルファにとってはきっと一年で一番長い二週間だったのだろうし、私にとって一番濃い二週間だった。というか雨季は去っても私の問題は、まだ解決を見ない。
「アルファ……」
「なんですか?」
「物凄い普通にしてるけど、腕、大丈夫なの?」
帰るときには声を掛けるようにと念を押して、シゼは部屋を出て行った。もちろん二人には安静をいい渡したけどこの二人が護るかどうかは定かではない。
「大丈夫ですよ」
いったあと、ごにょごにょとまだ剣は握れませんけど、と加えてそっぽを向き
「僕は剣を握る手は両方いけるので、別にそんなに困らないです」
「その辺の一般兵や騎士見習いと一緒だよな? 今、騎士塔に放り込んだら、絶対、袋叩きだろうなー……雨続いてたしなぁ」
「カナイさんの減らず口を塞ぐくらいは出来ますよ」
「ざーんねん。俺は略式詠唱で発動可能ですー。アルファの鈍ら剣より早く発動する自信があるね!」
「やってみないと分からないじゃないですか」
「す・とーっぷ!」
そんなのどっちもどっちだ。
それよりも安静を今しがたいわれたところなのにと、立ち上がりかけた二人を睨みつけた。
アルファは、ちぇっと退屈そうにベッドに戻りごろりと横になる。
「マシロも早く戻って休めよ。いきなりあんな乱闘に巻き込まれたらビビるだろ。眠れそうになかったら、シゼに何か出してもらえよ」
珍しく優しいカナイの台詞にありがとう、と返す。
確かに私がここに長居をしたところで何も変わらない。そのくらいならみんなに心配を掛けないためにも、ベッドに潜り込んで目を閉じるのが一番だ。
そうするよ。と、告げシゼと同じことを二人に念押してから部屋を出る。
出て直ぐのところにシゼは居たのだけれど、少し書き物をしていた。出てきた私に気が付くと「少し待ってください」というから、私はぼんやりと閉めた扉を背に待つことにした。
「―― ……なよ」
「分かってますよ」
別に立ち聞きするつもりはないのだけど、中から二人の声が漏れてきていた。離れるかどうか迷ったけれど、また喧嘩とか始めてはいけないから、私はそのままそこに居座った。
「本当に、分かってるのか?」
「分かってますって、僕は、エミル様の騎士です。エミル様の命令以外のことはしないし、無駄に突っ込んでいったりしません。犬死はご法度です。はい。分かってます。種屋に手は出しません。負け戦はしません。どうせ僕はあれに敵いません。ええ、ええ、もう二度も煮え湯を呑まされてますからね、身に染みています。分かってます。分かってます」
アルファ、一体何回「分かってます」を繰り返したんだろう。
そのたびに「分からない」「納得できない」と悲鳴をあげているようで胸が痛い。きっと、隣で聞いていたカナイもそうなのだろう。
先ほどまでのように茶化したりも一切しなかった。
「土台、闇猫相手に剣を揮うなんてこと馬鹿げているんです。僕を切りつけたと同時にカナイさんまで巻き込んで幻視を見せ続けたんですよ? 有り得ない」
「お前にとっては腕一本で済んで良かったじゃないか」
「……あのときの芋虫状態の屈辱的な気分を、カナイさんも味わえば良いんです」
苦々しく口にするアルファの台詞に呼吸すら辛く感じる。
「どうせ、種屋にとってこの世界なんて、たった一人でプレイしている盤上遊戯でしかないんです。僕らは種屋に生かされている。それが分かっていても、僕たちは僕たちの居場所を護るために剣を取るしかない。本当に、馬鹿馬鹿しいですよね」
「そうだな。誰が始めたゲームなのか分からないが、俺たちは唯の器だ。俺たちがそう思うんだ、町の奴らからしたら種屋は畏怖の存在でしかないっていうのも納得……一人でしか居られない、というのも納得だ……」
真摯な二人の会話に、私はもうこれ以上聞いていられなくて、そっと背を離しかけて、その続きにふと圧し留まった。
「今、少しでも違うことがあるとすれば、常に一人であったプレイヤーが二人居るということです。マシロちゃんが、親を盤上から逸らしている。だから安泰で居られるんです。御伽噺と一緒ですよね? 唯一、白い月だけが、青い月を抑えていられる。その箍が外れたら、見る影もない。ブラックも”種屋”を入れる器でしかない。ただ、それだけの遊びなんですよね」
アルファの声は、雨の日の機嫌の悪いそれでもなく、いつもの明るいそれでもなく、苦悶に満ちたものだった。
カナイはその台詞に、やや間を置いて、そうだな。と同意する。
僅かな沈黙のあと、改めて声を発したアルファは、取り繕っている、としても幾分か色を取り戻していた。
「マシロちゃんがプレイヤーに戻らなければ、世界はどうなるんでしょうね?」
「別に、変わらないだろ? この世界はいつだって不安定だ。争いなんて珍しくない。王権交代が行われるときは尚のことだ」
俺たちのすることは変わらない。そう続けたカナイに、今度はアルファが「そうですね」と答えた。
「エミルさんを守るだけです」
「―― ……ああ」
命を左右するものが、遊び感覚で行われている世界。そんな世界で―― ……私の存在に意味があるとすれば、それはこれまでの記憶が必要不可欠。そういうことだろうか?
私は、後ろに回して扉についていた手を、ぎゅっと握り締める。
「マシロさん、行きましょう?」
そして、やっと掛かった声に、私は「あ、うん」と、答え、一度だけ扉を振り返ってから、シゼの後ろに続き寮病棟をあとにした。