第四話:弟分の卒業式
私は遠慮なくお茶を淹れて一息吐くことにした。
シゼとは最初色々とあったけど、今はそれなりに打ち解けていると私は思っている。時々辛辣な言葉を投げられたりはするけれど、私が本当に傷付くようなことは口にしないし、何度も助けられた。
私が暇を持て余す時間もなく、シゼは研究室に戻ってきた。
エミルは学長たちに掴ったらしくて暫らくは解放されそうにないとシゼが肩を竦めた。
「卒業おめでとう。お祝い持ってきたんだよ」
特に嬉しそうな素振りもせずシゼはありがとうございます。と、口にして私が差し出した箱を受け取る。シゼのポーカーフェイスってブラック以上だと思う。嬉しくない? と問えば「嬉しいですよ」と返ってくるのに真意は分からない。
私はそれもシゼらしさだろうと納得して、開けて開けてと促すとシゼは彼の髪と同じ薄紫色のリボンをするりと解く。すっと静かに箱の蓋を開くとシゼは小さく首を傾げた。
「懐中時計……と、これは?」
「栞だよ。し・お・りっ!」
えらく不恰好な……といいたそうなシゼに眉を寄せる。
「私が作ったの。ミア工房で懐中時計の彫りをやってもらっている間に、暇だったからティンに教えてもらって金属板に透かしを入れたんだよ」
私の言葉にシゼは、はぁと頷きながら確かにちょっと不恰好な板を光に翳した。
「僕の名前……は、読めますね。あと、は……」
「ユリだよっ! リリー。ちゃんと見えるでしょう?」
沢山作った中ではこれが一番マシだったのに。私はぶつぶついいながらジャンプしてシゼの手の中から栞を奪い取る。あ、と声を漏らしたものの、シゼはアルファほど反射神経が良くないから簡単に私は取り返して後ろに隠した。
「マシロさん! 何するんですか」
「いらないでしょ。もう、恥ずかしいからなかったことにしてっ。懐中時計は大丈夫だよ、ティンが自信満々だったし。一生物だって豪語してたから」
「……そうですね。確かに流石職人技といったところです……、ありがとうございます」
蓋に丁寧な彫りのされた懐中時計を手にとってそっと撫でたあと何度か開けたり閉めたりしたシゼの横顔は嬉しそうだ。そして、何度目かにぱちんっと蓋をしたあと空いた手をこちらに向ける。
「はい、早くそれも出してください」
「良いよ。無理しなくても、私が使うから」
「僕の名前が入ってるのに?」
うっと息を詰めた私にシゼは勝ち誇った笑みを浮かべる。可愛くない。シゼは全然可愛くない。私は不貞腐れたままシゼに栞もどきを渡した。
「大切にします」
こんなもの、とかいいそうだったのにシゼは丁寧に受け取って、そっとひと撫でするとそういって胸ポケットに仕舞いこんだ。
その一連をきょとんと見てしまっていた自分に、はたっと気がついて私はどういうわけか慌てたように「そういえば」と大きな声を出してしまった。
私の突然の声にシゼはちょっぴり肩を強張らせたが、いつものことだと思ったのか「なんですか?」と小難しそうな顔をして私を見る。
「卒業したってことは、シゼは王宮に入るんだよね?」
確か、シゼはエミル専属の薬師になるために勉強していたはずだ。そう思って頷いた私にシゼはそうですよ、と答える。
「いつごろ入るの? そろそろ薬のこともあるし……」
シゼは手の中で転がしていた懐中時計のチェーンをポケットの隅に止めて仕舞うと、自分でティーポットに残っていた紅茶をカップに注いだ。
直視してはいけない量の砂糖がカップに投入される。あれは、少しぬるくなってしまっているこれにちゃんと溶けきるのだろうか? 私は小さな疑問に答えを出すことなくそっと視線を逸らして自分の分の残りに口をつけた。
「そう、か。そろそろですね。王宮に入ったら暫らくばたばたとするだろうから……その前に仕上げておきたいですね。明日の朝とか大丈夫なら、マシロさんのお店のほうで作って夕方城に入ります」
「なんか急いでるの?」
「そういうわけではないですけど……早くエミル様の下で働きたいんです」
そうだった、シゼはエミル大好きっ子だった。その証拠のようにそういったシゼは滅多に見ることの出来ないだろう柔らかい笑みを浮かべていた。
「本当にシゼってエミルが好きだよね」
他意を込めることなくそういった私、にシゼは僅かに頬を染めて放って置いてくださいっ! とそっぽを向いてしまった。
翌朝一番にシゼは私の店へ出向いた。
それより早く到着していたのは白銀狼であるハクアだ。調剤室で道具を準備していた私とその足元で丸くなって眠っていたハクアを見てシゼは「遅くなりましたか?」と問いながら支度を整える。
少し伸びた髪を後ろでひっつめて縛り、白衣を着れば立派なお医者様に見える。
ぶかぶかな白衣の袖を折って、ラウ先生の手伝いをしていた頃とは全然違う。因みにシゼは最上級階位を出ているので医療関係のことは全てこなすことが許されている。
「ぼさっとしていないで、早くハクアの血液を採取する準備を整えてください。生成するのにも時間が掛かるんですよ」
いいながら取り出して時間を確認したのは、昨日プレゼントしたばかりの懐中時計だ。気に入ってくれているようで嬉しい。
私は、ほわりと心に暖かいものを感じながら「ハクア」と足元で丸くなっていた白銀狼を起こす。ハクアは聖獣指定を受けている白銀狼で、その白銀狼の主が縁あって私だ。
私の声にハクアはゆったりと身体を起こし、立ち上がるときには人の姿を取って私が用意しておいた椅子に腰掛けてくれた。
ハクアは袖をまくり筋肉質な腕を傍の台に載せる。もう、幾度となくやってきた作業だけれど……少しだけ私の心は痛む。ずっと何か代替品が作れないものかと考えているのだけどこればかりは無理だ。
「主、気に病む必要はない」
平気だと重ねて見つめてくる金銀妖瞳に映る自分の姿は情けない。
私はごめんね、と小さく詫びる。
上腕部をゴムで止めてから、針を構える。ハクアの血管は太いので採血しやすい。じわりと血管が浮き上がった皮膚に針を刺すと、くっと軽く力を入れて血管まで通し、きちんと針が通ったのを確認してからチューブに差し替えた。
ゆっくりと血液が管の中を通るのを見送って、私は上腕部のゴムを解き「少しじっとしていてね」と針をテープで固定した。
因みにこの機材は私の特注品だ。
元の世界では見慣れているものだけれどこちらでは、点滴とかの考えがないからこういう道具はありそうでなかった。だからこうやって少し大目の量の血液などを採取する際、手首などの血管を深く傷つけていたのだから吃驚だ。
そして、これはシゼに受け入れられ図書館でも使われるようになったから、王宮にも広まる。王宮でメジャーになれば一般的なものとして認識が深まってくれるだろう。
白銀狼の回復力は高いから直ぐに傷も癒えるのは分かっているし、この程度のことを辛いと思うタイプでないことも分かってる。それでもやっぱり少し心が痛む。
一度で四百ccから五百cc採るから、暫らくは安静にしておいて欲しいものだが、ハクアは今日午後からは用事があるからと直ぐに出た。私はそれを見送ったあと、シゼの手伝いを少ししていたものの、あまり私が役に立つとは思えず「店のほう見ていて構いませんよ?」というシゼの言葉に甘えて、店に戻った。
薬の精製には時間が掛かる。六時間くらいは付きっ切りで煮詰めたりしないといけないから、途中で変わってあげようと思いながら壁際にある薬棚の整理を始めた。