第四十一話:規格外だよ!全員集合!
「カナイ! 被害を最小限に、結界を張って!」
飛んできたエミルの台詞にカナイは頷き、ふっとどこからか出した短剣を八本、部屋の壁に散らした。的確に放たれた短剣は、その持ち場で、目視出来ない変質をとげ部屋の中を完全に囲ってしまう。
「いきなり攻撃は、お行儀が悪いんじゃないですか?」
「それを、仕込み杖程度で防ぐ人にいわれたくないね!」
キンっと金属同士が弾きあう音が冷たく響く。
アルファは、身の丈ほどある大剣を振るっているのに対し、相手は杖の頭部を捻って引き抜いた細身の剣だ。
明らかにアルファが優勢に見えるのに、相手は一糸乱れることない。それが力の差を如実に現しているようで、総毛立ち立ちすくむ。
「そして」
アルファの剣戟を軽く受け流しつつ、ちらりとカナイを見る。
私もそれに釣られるように、私の前に立つカナイを仰ぎ見る。一点を睨みつけ、口内で何かぶつぶつと唱えていると思うと、
「散れっ!」
カナイの一声に反応するように床にごろごろと転げていた瓦礫が弾け飛び、黒猫へと襲い掛かる。
間髪いれずに雨が降りこんで来る天井――既に夜空が窺える――から雷が落ちてきた。激しい光に私は思わず目を閉じたが、次に目を開けたときには変わらず彼はそこに立っていた。
対等に空から降り降りてくる雨粒すら、彼には無縁のようだ。
「結界を維持しながら大技使うのは良いですが、詰めが甘くなりますよ」
にこりと、そう告げて、ぴんっと指先を弾くと無数の風の刃がカナイを襲った。
刃のような風が私にも迫ってきたのに、微塵も影響がない。というよりは、刃が避けたような印象すらある。
カナイは、なんとか防いではいたようだけれど、無傷というわけにはいかなかった。ぽたぽたっと零れ落ちた血が床を赤く染める。表情は読めないけれど、きっと痛い。よ、ね?
「それから、貴方もちょろちょろと鬱陶しい」
続けて静かにそう告げると、剣を引かなかったアルファが仕掛けた一撃に乗じて、一線走った。
「―― ……っ!」
ごとんっと鈍い音がして、アルファが地面に片方の膝をつく。
じわじわじわ……っと鮮血が床を染めていく。剣を取り落としたのだと目で追えば、その手は剣を握ったままだ。握ったまま床の上で黙している。
「ひっ」
私が両手で口を塞ぎ、息を呑むのと同時に、アルファは新しく剣を握り再び地面を蹴る。
ぴっと黒猫の頬を赤が染める。すいっと流れるような動きでアルファを避けると
「両腕、いらないんですね……」
「やめろっ!」
冷たい声にカナイが叫ぶ。
でも、それは遅かった。
擦れ違っただけに見えたアルファは無残にも肩から床に滑った。降り込んできていた雨が赤い流れをより一層早いものにする。
声もなく、身動きが取れなくなったアルファは、歯噛みするように身体を縮めた。額を支えに立ち上がろうとするが、到底無理だ……身体を支える、腕が……一本も、な、い…… ――
黒猫の力は圧倒的だった。
カナイは私にもう一度、動くな。と、念を押して、エミルの前に走った。
どうして、どうして、どう、し、て…… ――
なんで、こんなことに……何が原因で、何が引き金になって
「わ、たし……」
私が居るから、私が記憶をなくしてしまったから……私が……引き金……?
私のせいで、今、みんなが痛い思いをしているの? どうして……?
分からないよ、分から、ない
頬に当たる水滴が氷の粒のように感じた。
まるで雪のようだ。
冷たくて、痛い……
その中で私は孤独だった。痛くて寂しくて、苦しくて……私を助けてくれたのは、誰だっただろう……? いつか、そんなことがあったような気がする。おかしい、私の知るはすのない記憶が、脳裏にチラつく。
冷たい雨……雪……身体を芯から冷やす雪。凍った心を、誰かに救われた。私はいつも誰かに救われる。
私は、いつも助かるべきではなかったのかもしれない。
「カナイ、僕よりアルファを……早く」
「駄目だ」
「術式でも私に敵わなければ、貴方に手はない。さっさとお友達の腕でもくっ付けてさしあげてはどうですか? 王子の言葉ですよ?」
こつっこつっと水を弾く音。刻一刻と彼らの終焉は迫っているのだろう。
―― ……じゃあ、私は、いつ終わるの……?
そう思った瞬間、ずっと鉛のように重くなってしまっていた両足が動いた。
「やめてっ!」
私はカナイとエミルの前に立っていた。
ぴくりっと黒猫は足を止める。
両腕を広げて立ちふさがる私に、カナイは、邪魔だ、どけ! と、怒るが聞こえない。
聞きたくないっ。
「お願い! やめて。アルファを……カナイを、エミルを……お願い殺さないで……誰かが今ここで死ななくてはいけないのなら! 私を! 私を殺して」
力の限り叫んでいた。
―― ……寒い、痛い……怖い……。
でも私は叫んでいた。きゅっと唇を引き結んでも、その奥で、歯が恐怖でかちかちと小刻みに震える。それを隠すように私は続けた。哀願した。
「みんなを助けて……! 私なら、最初からここに居るはずのない人間だから。私は今、何も持っては居ないから、だから、大丈夫……私を殺して?」
死ねば、夢から覚めるかもしれない。悪夢なのか良夢なのか分からないこの世界から。
頬を伝う雫は雨なのか涙なのか分からない。分からないことばかりだ。
ただ、告げきった私から恐怖は消えて、意味を成さない笑みが零れた。
カナイが私の肩に手を掛けて、ここからどかせようとしているのだと思うけど、私は退かないっ。
私の耳には誰の声も届かない。何も聞こえない。何も聞きたくない……それなのに……どうして、彼の声だけは耳に届くのだろう。
「―― ……私に……貴方を殺せというんですか?」
私に……と、繰り返した黒猫に私はしっかりと頷いた。
それでみんなを助けてくれるなら、救われるなら、私はいらない……。
「無茶……いわないで、ください」
黒猫は雨に濡れた前髪をぐしゃりとかき上げて、刹那きゅっと唇を噛み締めて俯いたあと、意外にも泣きそうな顔で笑って、ふっとその姿を消してしまった。
それとほぼ同時に私の耳に音は戻ってきて、膝が、がくんっと地面に吸い寄せられる。
良かった、これで、みんな死ななくて済む。そう安堵すると急に自分の身体が重くなった。そして、これでまた、この夢は続くのだなと、絶望した。
「マシロっ!」
がつっとカナイに腕を掴まえられて、床とは仲良くならなかったけれど、ぐらぐらと揺らぐ視界は私の目の前を真っ暗にした …… ――
また、私は彼を泣かせてしまった……
また? ……どうして、私は、そんな風に、思ったんだ、ろ、う……どうし、て? ――