第四十話:うっかりいっとく?
「彼が居れば、マシロの中に根を張った古代種を取り除く方法も、きっと分かるんじゃないかと思う。でも、答えない。理由は分からない……きっと彼の中で出ない答えがあるんだと思う」
どこか苦しげに告げられる言葉に私は「もう良いよ」と口にしたかったのに、エミルの話を遮ることが出来なかった。
「……思うけど、僕は彼が嫌いだ。今、マシロがどれだけ不安がっているか分かっているはずなのに、それなのに逃げてる。彼は、間違いなく、現状を一番理解しているはずなのに」
取った手にきゅっと力を込めてエミルは続ける。
「マシロ。僕の想いに応えて」
「―― ……」
「僕の隣に座って……僕は君が白月の姫であろうと、聖女と呼ばれている存在であろうと関係ない。記憶があってもなくても関係ない。僕は君が、マシロ・ヤマナシが好きだ」
叫ぶように告げられて、私は逡巡する。
私がエミルを選ぶということは、もうこれまでの私は必要ないということでもあると思う。
きっとこの宮殿に上がり、今までの私は居なかったことになり、全て新しく始まる。そして、エミルは私を受け入れて、必ず幸せにしてくれると思う。私個人を好きで、傍においてくれると思う。
―― ……でも……それで、私は良いの?
それまでの私が、望んでいたかどうかは分からないけれど、白い月の少女として成したことはどうなるの?
「―― ……」
だからといって記憶を取り戻せば、私はそのとき愛していた人への思いも蘇ってしまうかもしれない。私は、そのときエミルを傷つけないという自信はない。だとすれば、やはり私の記憶はないほうが良い。そう、思うけれど、不安で、エミルのことを大切にも思うからこそ、私はエミルの気持ちを受け入れることに戸惑う。
そんな私の気持ちに敏感に気がついてくれたのか、エミルの手が俯いてしまっていた私の顔を優しく包み、そっと上向かせる。
優しげな瞳が、大丈夫だというように、ゆるりと細められて、弧を描いていた唇が優しく音を紡ぐ。
「君を、護るよ…… ――」
エミルの大きくて綺麗な手が、私の頬を撫でる。
見上げた先の彼に、永遠の誓いを立てるように告げられた言葉。
目を覚ましたら、全く知らない場所いた。
それなのに、私はここに居たといわれ、意味の分からない、到底理解出来ない役目を持つ少女と重ねられ、更に混乱した。
簡単に人が死に、それを咎める術のない混沌とした世界。
それを現すように降り続ける雨。
助けて欲しかったのかもしれない。
私にとって何もないこの世界で、私だけを必要としてくれる人が
自分がここに居る新しい意味が欲しかった……
これまでではなく、これから先、
この世界で生きなくてはならないのならば、誰かに、新しい私の役目を与えて欲しかったのかも知れない。
私はずっと怖かった……知らない私が成したことも、今の私が何も出来ないことも、何も知らないことも
その全てが、とても、とても、怖かった。
―― ……きっとその、全ての恐怖から、彼は救ってくれる…… ――
私は自然と瞼を落とした。
柔らかく暖かい気配が、私を包み、音もなく距離が縮まる。
息が掛かる距離まできてエミルは突然、ふっと顔を挙げ「離れてっ」と私を突き放した。
それと同時に轟音と共に天井が崩れ、エミルの身体は軽々しく吹き飛ばされる。
「エミルっ!」
どっ! と、玉座の天蓋を支える柱に打ち付けられ、ずるりと床に腰を落としたエミルは、悲鳴に近い私の声に、大丈夫と応えるように片手を僅かに挙げてくれた。
「随分と好き勝手いってくれますね。私も貴方は嫌いです」
ガラガラと、積み上げられた――つい先程まで天井であったはずの――瓦礫が広間に流れ込むように崩れ、とっ、と小高く積み上げられた山となった一部の上に足をつけてエミルを見下ろしているのは、種屋だ。
ゆらりと尻尾を揺らし、好戦的な表情でエミルを見下げる姿には、寒気すら感じる。
種屋とは何? どうして、種を売るという生業だけならこんなことまで出来るんだろう。彼はどうして、エミルを傷つけるんだろ、う……。
「だって、逃げてるよね……。出来ることをしない、そんな奴にマシロは任せられない」
エミルは、ぐいっと口の端から流れ出た血を拭ったけれど、直ぐにじわりと血が滲む。
ずきんっと頭が痛む。
前と同じように、目の前が明滅する……記憶が混濁しているだけだ……これは違う……。
以前、シゼにいわれたことを頭の中で反芻する。
違う、目の前の人じゃない、私を殺そうとしたのはこの人じゃない……でも、私の目の前で人を撃ち殺したのはこの人だ! ぐらりと大きく体が揺らぐのをなんとか圧し留めて床を踏みしめる。
「うっかり死んじゃうことの多い時期ですよね」
楽しげに口にしたその台詞に肝が冷える。
「確かに……そうだね。僕を殺すんだ? 依頼もなく、君の意志で」
「ええ、私の意志で」
圧倒的に有利に見える種屋に一歩も引けと取ることなく、エミルは挑戦的に口角を引き上げて、そっとカフスに触れる。
「カナイ、アルファ……」
呟く口元が音を紡ぎ終わる前に、ふっと黒猫の頭上からアルファが降ってきた。
稲妻が真っ直ぐに落ちるように
―― ドンっ!!
閃光が走る。
その衝撃で飛び散ってきた破片に、目を瞑り身体をビクリと縮めると
「お前は動くな」
という聞きなれた声が届いた。え、と私が声を漏らせば、いつの間にか私の前にカナイが立っていた。