第三十九話:想い人・想われ人(2)
いつも通り、アルファやシゼも呼びつけて――カナイは図書館に缶詰――食事を取ったあと、二人ともさっさと持ち場に戻ってしまった。師団司令部を任された関係上、アルファは今忙しいらしい。
エミルは食事前に告げた通り私を連れ出してくれた。
「エミル、そっちは……」
進んでいこうとする方向では、この棟を出てしまう。躊躇した私に、エミルはにこりと「大丈夫だよ」と口にした。
「ごめんね、ハクアにいわれるまで気がつかなかったよ。マシロはもともと、じっとなんてしていられない性質だったのに……確かに同じ景色しか見られないのでは、息も詰まるよね。雨が止んでいれば庭にだって出られるんだけど、とりあえず城の中でも気分転換になるかな?」
「でも」
「大丈夫だよ、僕も一緒だし。それに、元来マシロはこの王宮で制限を受けていないんだ。先代ジルライン王の命により、マシロは自由を許されているんだよ」
私は王様とも顔見知りだったのだろうか。なんというか、いつの間にか一般人ではなくなっていたのだなと痛感。
外はもう真っ暗になっていたけれど、城の中は明るかった。
柔らかな光が各所に灯されて、綺麗だ。天井も高く開放感に溢れている。室内だけど少しもそういう窮屈さを感じさせない。少しだけ装飾過多のような気もしないでもないけど、宮殿と呼ばれるに相応しい。
時折、見回りの兵士に親しげに声を掛けられたが、エミルが適当に交わしてくれた。私の交友関係広い。
「こちらは現在締め切られております」
「少しだけ、良いかな?」
ふらふらと城内散策を楽しんでいると、エミルがひときわ大きな扉の前で足を止めた。
扉の両脇に居た扉番に止められたが、エミルはにこやかに許しを請う。二人は顔を見合わせたあと私のほうを見て、もう一度二人で目配せする。
「次の王陛下が決定されるまで、締め切られるのが慣わしではありますが」
「白月の姫は城内において制限を受けません。こちらは解放なりませんので、あちらからで宜しければどうぞ」
にこりと笑みを浮かべて柱の奥に見えた通常サイズの扉を指した。エミルが、ありがとう。と、礼を告げれば二人ともぴっと姿勢を正した。
「この奥にはね ……――」
いいながら扉を開き私を招き入れてくれる。
「玉座があるんだよ」
広い……いやもう、私の通常の感覚からしたら比較する対象が思いつかないくらいだ。足元の大理石も完璧に磨き上げられていて、僅かな光源をも反射し、室内をより明るくさせている。
エミルに手を引かれるまま奥に進めば、数段上がった壇上に宝石が散りばめられた豪奢な椅子が一つ据えてあった。
「凄いねぇ……」
一般市民の私にはそれ以外、それ以上の感想は述べられない。
「本当、凄いよねぇ……ここに座る人、一人で国が大きく変わるんだ。善悪は関係ない」
私たちの『凄い』の意味は全く噛み合ってはいなかったけれど、エミルの言葉には素直に
「―― ……怖いね」
そう思った。
「うん、怖い」
そっと椅子を撫でてそういったエミルは、苦悶の表情を浮かべていた。
「つい、この間までここに座っていたジルラインは、どちらかといえば争いや権力自体に特に興味のない人だった。だから、上辺だけの平和は保たれていた。それに器は壊れないに限る。とも、思っていたから無駄に消える人は少ないほうだった」
私には良く分からない、分からないから、重ねて、怖いな。と、思うことしか出来ない。
黙ってしまっていた私に気がついたエミルは「ごめんね」と短く詫びて私の元に戻ってくる。そして、そっと私の両手を取る。
「前にもいったよね……僕はこの座を欲しいと思ったことはない。国が荒れようと潰れようと、そんなことに正直興味なかった。僕自身、王家の種を入れる器でしかないと思っていたから……」
「―― ……」
「でもね、今はこの椅子に座っても良いと思ってる。そうすれば、マシロの暮らす場所、マシロの見る景色位は護ってあげられるから」
エミルの瞳はとても綺麗だ。
若草色の瞳に、部屋の中の明かりが映りこんでキラキラとしている。だけど、その中に映る私は、とても普通だと思う。
とくん……とくん……っと心地良い緊張を孕んだ心音が全身に木霊する。エミルに見つめられると身体中が僅かに熱を帯びる。この浮かんくる感情の名が私には分からない。
大きな手のひらに乗せた私の手を、そっと撫でると、指輪のあるところで少し止まった。瞳の色が少し陰る。
「外さないんだね?」
「……うん。外しちゃいけないような気がして……」
エミルは私の答えに「そっか」と、頷いて僅かに眉を寄せた。
その様子からエミルがくれたものではないのかもしれないと思えた。
だったら、これを私に贈ってくれた人は誰なんだろう?
その人は今、私をどう思っているんだろう?
……どうして、傍にいてくれないのだろう……。
私を、愛していたから贈ってくれたのではないのだろうか?
「―― ……ロ、マシロ」
「え」
浮かんでは消える、答えを得ることが出来ない疑問に胸が苦しくなる。そうして、押し黙ってしまっていた私にエミルが何度も声を掛けてくれていた。
間の抜けた返事で、顔をあげたときには何度名を呼ばれていたのだろう?
「大丈夫? 泣きそうな顔になっていたけど、何か嫌なことでも怖いことでも思い出した?」
いって顔を覗き込んでくれるエミルのほうがいつも泣きそうだ。そう思うとなんだか、ほんの少し申し訳なくて、ほんの少し嬉しくて、顔が綻んでしまう。
「ごめん、平気だよ。ただ、私てっきりこれをくれたのはエミルだったのかな? って思ってたから、違うんだったら、どうして今、その人は居ないんだろうって……そう思ったら、なんか急に、哀しくなって……」
「マシロ」
平気だと重ねて、笑ったつもりだけど、きっと上手くいかなかったのだろう。エミルは、苦しげにきゅっと唇を引き結んで瞑目したあと、ゆっくりと開いた瞳で私を見つめて口を開く。
「僕には彼の考えていることは分からない」
「知ってる人なの?」
私の問い掛けにエミルは十分に間をおいてから「うん」と頷いた。