濃灰色の疑惑
本編とは関係なくもないけれど、直接は関係ないマシロ視点では語られることのない裏側のお話です。
目を通しても通さなくても、問題ないように構成してあります。お時間があり、尚且つ混乱しないぞっ!(←ここ重要) という自信のある方だけ是非どうぞです。
「エミルさん。報告しても良いですか?」
マシロの部屋から自室へと戻れば、アルファが直ぐに部屋へ訪ねてきた。
表情からして良い話というわけではなさそうだ。エミルは短く溜息を吐いて「どうぞ」と促す。
「例の件ですけど、詳細な数字が挙がりました。依頼遂行は無事完遂されましたが、被害もかなり出ています」
いって、脇に挟んできていた書類を持ち出して、エミルの机の上に載せた。
「数字は……報告書にしておいたので、それを見てください」
「……うん。あとで目を通すよ」
「正直、騎士団への早い人材補填が必要です。その人材選出のために、暫らく忙しくなりそうです。これは僕ですけど……」
アルファは面白くなさそうに眉を寄せて肩を竦める。
エミルはそれに苦笑しつつ「そう」と呟いて、窓の桟に肩を預けると、分厚い雲に遮られいつもそこにあるはずの二つ月も照らさない庭先を所在無く眺めた。
―― ……相変わらず雨が降っている。
好きとか嫌いとか天気に関して、アルファほどの特異な感情は持ち合わせていないものの、晴天の多いシル・メシアでの雨季は都全体を暗雲で覆ってしまっているようで気が滅入る。
事実良くないことが起こるのは大抵この時期だ。
「じゃあ、カナイかシゼを宛てるよ」
ぽつと口にしたエミルにアルファは、残念そうに眉を寄せ肩を落とす。そして、やや間を空けると、窓硝子に映るエミルと目を合わせて訪ねた。
「ラウさんのほうはどうだったんですか? 黒?」
「―― ……うーん。白を切られたけど、濃灰色ってところかな? 彼はなかなか踏み込ませないよ。それに……」
硝子越しに視線を合わせていたアルファから、ふっと目を逸らして溜息を重ねる。
「話したそうだよ」
「え?」
「マシロに、あの夜のことは伝えたんだって……マシロ、記憶が戻らないほうが良いかもしれない……。もちろん、最終的な判断はマシロに任せるけれど、でも……きっと悲しむことになる」
暗い表情を隠すことないエミルに、アルファは事態が飲み込めないというように「え」と重ね、そして「冗談キツイ……」と苦々しく吐き出すと前髪をかきあげ頭を抱えた。
「僕も口止めしていたわけじゃない。かん口令でも強いていたなら、責任を求めることも出来るのだけれど、今回は難しい」
「でも、マシロちゃんがそういうの嫌がるのくらい分かる――」
最後まで口にしないうちに、自ら口を閉ざした。
分かっているからこそ、伝えたのかもしれない。このところシル・メシア全域平和だった。穏やかな日々は、彼にとってさぞかし退屈なものであっただろう。
「エミルさん、命じてください。僕なら、ラウさんを消せます。居ないほうが良い」
真っ直ぐに射抜くようにそう告げるアルファを振り返り、エミルは哀しげに「駄目だよ」と首を振る。どうして! と責めるアルファに苦笑して駄目だと重ねる。
「消すのは簡単だろうけれど、アルファも無傷で済むとは、正直思えない。それに、アルファが傷付くことも、ラウが居なくなることもマシロは望まないだろう。僕らにとって、ラウの代わりはいくらでも作ることが出来るけれど……きっと、そんなことでは納得してくれない。どうせ、恨まれるならもう少しましなことで恨まれたい、かな?」
「でも」
「ラウが消えてもマシロの件を解決することにはならない。下手をしたら最後の一手を逃すかもしれない……今はまだ、そのときじゃない……」
だから、勢いに任せてうっかりしないでね? と重ねたときにはエミルはいつもの笑みをその顔に戻していた。
―― ……コンコン。
まだアルファが食い下がろうとした丁度そのとき、訪問者を知らせるノックが響いた。こんな時間に王子の私室へと訪問してくるものは極僅か。とても限られた人間だけだ。
そのため、エミルの返事を待つこともなく「入るぞー」と扉は開いた。
「なんだ、アルファ居たのか?」
物凄くむくれたように見えたアルファに、入室してきたカナイは「どうした?」と首を傾げる。
「どうもしません。どうもしませんけど。カナイさんって間の悪い人ですよね!」
「……何?」
アルファに責められて状況説明を求めるように、エミルを見たが、エミルはにこりと微笑んで「僕は丁度良かったと思うよ」と答え、机まで戻る。
そして、机上に載ったアルファの報告書を、ちらと見たあと隅に重ね。大量の資料をお供にしてきたカナイの荷物置き場に当てた。
どさどさっと無遠慮に放り出される資料と本の山に、アルファは「何ですかそれ?」と素直に眉を寄せた。
カナイは、作業もそこそこに出てきたのか顔に当てたままになっていた眼鏡を外しながら「あー……お前にいったっけ?」と目頭をぐりぐりとマッサージしながら話を進める。
「エミルは、シゼからある程度話聞いてると思うけど、マシロを宿り場にしている古代種の資料だ。シゼからエミルがその資料を欲しがってるって聞いたから、王宮にあるぶんだけは集めてきた」
アルファへの説明をしている間にエミルは机上の本をぱらぱらと捲っていた。
「紙が挟んであるところが該当箇所になる。全てを見る必要はないと思うから、注釈も入れておいた」
「カナイさんが注釈入れるってことは、全部目を通した資料なんでしょう? エミルさんが見る必要ないじゃないですか」
そんな面倒させなくても……アルファはそういいつつ、机上に歩み寄って、本の山をこつんと突いた。
「僕が知りたいっていったんだよ。シゼとカナイに任せているし、それに不安なんてないけど……知りたいんだ。マシロが今、何に苦しめられているか…… ――」
ぱたんっと閉じた本の装丁を、つっと指先で撫でながらそういったエミルに、アルファはそれ以上食い下がれなかった。
「あとー、図書館にも問い合わせたが希少種の保管は学長が行っていたらしい」
「それって、つまりラウさんが肩代わりしてたってことでしょ?! やっぱり黒じゃないですかっ!」
苛々とそう口走ったアルファに、カナイはうーん、と唸って「それがそうともいい切れないんだ」と濁す。
「保管されているものは、あるんだ。図書館に」
「え?」
「まぁ、それが本物がどうかーなんて、今じゃ発芽させるのも困難だろうし、分かるやつなんて種屋くらいだろうけどさ」
それで、その種屋は相変わらず何してるんだ? と話を振ればエミルは難しい顔をして唸ってから口を開く。
「ブラック、ブラックね……うーん……何か臍を曲げてるね。使いを出しても聞かなかったことにするんだよねー……こっちも人手不足になりそうだよ」
「じゃあ、そっちに僕が回りましょうか?」
「ううん。あれは放っておいて良いと思うよ。少し時間を置くよ……」
仕方ないなというように嘆息したエミルにアルファは曖昧に頷いた。
そのあとは銘々然して当たり障りのない会話をし、暇を告げた。
自室に戻るまでの、道すがら肩を並べたアルファにカナイは、重い口を開いた。
「手、出すなよ」
「―― ……なんのことですか?」
魔法灯の明かりだけで保たれる廊下は、歩くのに不自由しない程度の明かりだ。その中でも、アルファが苛々としているのは肌で感じることが出来る。
カナイは、そのことに嘆息し「ラウさんのことだよ」と率直に告げた。
「あれ、黒いでしょう? カナイさんだってそう思ってる。見逃すんですか?」
「エミルは命じたか?」
「―― ……いえ」
「お前は何だ?」
「―― ……エミル様の護衛騎士です」
「分かってるなら良い」
でもっ! と尚も重ねそうだったアルファにカナイは話をさせなかった。
「考えろ。今がどれだけ不安定な状態か。お前がもしラウさんに剣を抜いてみろ、何が起こるか考えろ。今、王宮内部で争うのは良作じゃない。あれでも一応、あの人はここでの権力者だ。あの人に味方するものも多い。報告、上げたんだろう? 今、騎士が足りないと、護衛が足りないのだろう? 采を違えるな……」
「―― ……分かってる、分かってるっ! でもっ!」
「アルファ…… ――」
「良いんですか? 許すんです、か……マシロ、ちゃんをあんな目に合わせた奴を……カナイ、さん、は、エミル、さん、だって、なんとも思わない……はず、ないのに」
ぎりぎりと奥歯を噛みながら搾り出すアルファの台詞に、カナイは「さぁな」と軽く答えるだけだ。
「ああ、俺、明日から図書館詰めるから。時々は様子見に戻るけど、暫らくはシゼに任せっ切りになると思う。お前も新人いびりに飽きたら着いていてやれよ」
「酷いな。別に僕はいびってないですよ。死に急ぐなという警告です」
やっと剣の柄から手を離したアルファを、カナイはちらとだけ確認して、へいへいと軽口で閉めると「じゃあな」とひらひら片手を振りながら自室へと続く廊下へ折れた。
アルファはその後姿を見送って足を止めると、傍の窓に歩み寄って、雨音だけ忙しく響く闇を睨みつける。
「采を、違えるな……か……」
僕が守るべきは現在王位継承順位第二位の王子。エミリオ様だ……白月の姫でも、マシロでも、ない……違えるな、違える、な……。
「ちぇ」
結局、カナイさんだって抑えきれないからここから出ていくんだ、どっちが大人気ないんだよ。
アルファは行き着いた答えに苦笑して、こつんっと窓硝子を叩いた。
そして、柔らかな絨毯を、抉るくらいの勢いで蹴り上げてから自室へと戻った。
空にも二つ月は姿を現さない。
地上の月も割れてしまった……世は今、しくしくと泣き続けている。




