第二十七話:ファンタジーなリアル(2)
私たちは内庭を突っ切って、別の棟に渡り、中に入れば少し空気が変わった。
昨日まで私が居た場所や、今日移動した場所とは違って何となく無機質な感じがする。
「僕あんまりここ好きじゃないんですよね。なんかここ入るとひんやりすると思いませんか? 頭固い人も多いし」
子どもみたいに口先を尖らせてぼやくアルファに、そうなんだ? と笑ってしまう。
「えっと、確かシゼの研究室は二階の中央から左側全部だったと思うから」
「全部っ?!」
思わず驚きに声を上げた私にアルファは、そうですよ? と不思議そうに首を傾げた。
「多分、主に使っている部屋は一つだろうとは思いますけど……」
シゼって……王子様専属って私の想像よりずっと凄いのかも知れない。
そんなことをアルファと話しながら階段を上がれば、その先でシゼの姿を発見した。ぶんぶんっと大きく手を振ったアルファを見つけて歩み寄ってくる。
「じゃあ、また戻ったら迎えに来ますね」
にこりと私にそう告げて、シゼのほうに向きを変えるとアルファはにっこりと笑みを深めた。
「二度はないからね」
その一言に、シゼは眉をひそめる。そして、ふぅと息を吐くと「分かっています」と頷いて別れた。
「迎えに来てくれたの?」
「ええ、まぁ。アルファさんだと全ての部屋を端から全て開けそうでしょう」
「そっか、ありがと」
私はあえて突っ込まなかった。
アルファに送ってもらうなんて決めたのはさっきの話しだし、きっとシゼは頃合いを見計らって廊下に出てくれていたのだと思う。指摘したら真っ赤になって否定しそうだ。
「僕は纏めなくてはいけない、仕事があるので……退屈になったらいってください」
ざっと見、真ん中くらいの扉から部屋に入ると、整然とした書斎だった。もっとぐつぐつしたものが置いてあるのかと思ったから拍子抜けだ。
「マシロさんが期待しそうなのは、この部屋じゃないですよ」
中央の机に腰掛けながらそういったシゼに、私はそうなんだと苦笑した。私、シゼにどう思われてたんだろう? そして今、どう思われているんだろうなぁ。この調子で……、昨日はもっと優しかったのに。
「あ、そうでした」
座ったと思ったらシゼは直ぐに立ち上がって、机の傍にあった棚を漁り始めた。そしてその中から次から次に、甘い香りのするものが出てくる出てくる……いや、棚のサイズと出てきている量がおかしいよね? どうやってそこに入ってたの?
出てくるものよりその四次元的な棚が気になる。
「好きなものを好きなだけどうぞ」
「……ええっと……」
「昨夜のお詫びです。マシロさんの好きなものは、甘いものくらいしか僕は思いつかなかったので、片っ端から今朝買って来ました」
いや、昨日のお詫びされるようなことも思いつかないし、それよりもそれくらいしか思いつかないからって店ごと買いましたレベル――ちょっといい過ぎ――の、この甘味を私一人で平らげられると思っているのだろうか?
思わず、積み上げられた甘味だろうものを前に黙してしまった私に、シゼは首を傾げる。そしてやっと気がついたのか「あ」と声を上げた。
「もう大丈夫だと聞いていましたし、顔色も良いように思ったのですが不調ですか?」
そこじゃなーいっ! ズレてる。この子、綺麗な顔して頭も良いはずなのに、ちょっと残念だ。
「……ありがと。私は元気です」
はぁ、と脱力して手近なソファに腰を降ろした私にシゼは「食べないんですか?」と首を傾げた。
「こっちの棟は凄く静かだよね。人が居ないみたいに」
「居ないですよ」
その返答に、あーんっと口に運びかけた手を止めた。
シゼは、私の視線に気がついたのか書き物をしていた手を止めて顔を上げる。そして私の疑問に気がついたのか話を続けてくれた。
「本日から七日間は喪に服します。城の中の機能は最低限のもの以外は停止です。この棟にも僕たちのほか申請の通ったものしかいないと思うので、広さの割りに人数は殆どいません」
「え、じゃあ、今日の式典って……」
恐る恐る訪ねればあっさりと「葬儀ですね」と口にされた。
「まぁ……国葬扱いではありますが、密葬です。王宮の中だけで行われます」
「え、ええと……どなたが亡くなったの?」
重ねた質問にシゼは少しだけ瞑目したあと、ゆっくりと息を吐ききってから続けた。
「多くの方の式です。僕も詳細は分かりません」
王宮というくらいだし、国なんだから、どこかと争いでもしているのかも知れない。その犠牲者というのなら、シゼのいうことも分からなくはない……。
私はそれ以上その話に突っ込むことは出来なくて、早々に話題を変えた。
「そのあと何かあるの?」
「あと、ですか、そうですねぇ……ジルライン陛下が退位されますよ」
陛下ってことは王様だよね? ということは
「じゃあ、エミルが王様になるの?」
反射的にそういった私にシゼは、ほわっと頬を上気させて机の上で組んだ指先を軽く揺らした。
「僕は、そうなれば良いなと思います。ただ、現在王位継承権を持っておられる方は皆様素晴らしい方なので……必ずしもそうだとはいえません。それに、エミル様はお優しいので、彼が王位を望むことがあるとすれば、そうせざる得ない特別な理由でも出来たときだと思います」
私は饒舌にそう語ったシゼを眺めつつ、ぱくりとクッキーを頬張る。もぐもぐ、ごくん。
「シゼは、エミルが大好きなんだね」
こくんっとシゼが入れてくれたチャイ――そうかどうか良く分からないけど壮絶に甘いのでそうとしか思えない――を口に含んで、喉の奥に流し込んでから素直な感想を伝えると、シゼは驚いたように「え?」と顔を上げ私を見た。
私は別に特別なことをいったわけじゃない。今のシゼの様子を見ればみんな分かると思う。
「そう見えますか?」
「見えますよ?」
首を傾げ重ねれば、シゼは益々顔を赤くして椅子から立ち上がると背にしていた大きな窓の外を見た。
朝方よりも少し曇ってきた気がする。
何か見えるのかな? と思って私も立ち上がりその隣に立てば、内庭の緑が望めた。綺麗に手入れの行き届いた庭は目にも楽しい。
「エミル様はお優しいのです……ですから、今だけでも傍に居て差し上げてください。僕たちでは到底彼の心の悲しみを理解することは出来ません。僕たちは、この世界で生まれ、この世界の常識の中で育った。だから、エミル様の悲しみや痛みは分からない」
ぽつぽつと告げるシゼは、硝子に映った私と視線をあわせると寂しそうに口角を僅かに引き上げた。とくんっと心の奥で音が鳴るように、何かが響く。
「私、何も出来ないと思うけど?」
「知ってますよ」
いや、そこはそんなことないというところだと思う。違うか? 違うのかっ?!
「何もしなくて良いんです。何も……――」
続けられた言葉の意味が分からなくて、首を傾げればシゼはくすくすと笑いを零した。衣擦れのように微かな音で笑う控えめな笑い声。それでも、どういうわけか、それが彼らしいのだと私の何かが理解している。
「僕が口にするのはおこがましいですが、エミル様は今とても傷付いている。でもきっと僕らの前では噯にも出さないことでしょう。彼は僕らのことを良く知っているから、そして、マシロさんなら同じ悲しみを理解出来ることも、きっと知っている。だから、傍に居てあげてください……」
そこに記憶は必要ありませんから……――
そう締め括ったシゼに私は良く分からないまでも、こくんと頷いていた。そんな私にシゼは「ありがとうございます」と場違いな礼を告げ、あっさりと話題を変えてしまった。
「マシロさんは、ラウ=ウィルという方にお会いしましたか?」
ぽつと訪ねられて、私は首を振った。シゼはそうですか。と、頷くと片手で曇り一つない窓ガラスをすっと擦る。
顔を上げても視線が絡むことはない。シゼはどこを見ているんだろう?
「ラウ=ウィルというのは、図書館に居たころの僕の雇い主みたいな方で、王宮でいえば次期国王の補佐に就く予定の人物です。とても風変わりな方で捉えどころのない方なのですが、僕はその方も嫌いではありません」
いって目を細めるシゼは確かにその人のことを快く思っているのだろう。
「ですが、彼は自由奔放すぎるところがあります。彼の一部は信頼にたるものですが、その反面彼の一部は信頼に欠ける部分もあります。それでも、彼にいわせればそれも誠実さであると平気でいってしまうでしょうね」
「な、なんというか複雑な人だね?」
「そうですね。複雑な人です」
私のどうともつかない感想に、シゼはやっとこちらを向いて口元を緩めると、本当にそうです。と重ねた。
そしてポケットから、懐中時計を取り出して「もうこんな時間ですね」と呟いたシゼの手元を見る。
「綺麗な時計だね?」
いえば、シゼは止めていたチェーンの先を外し、どうぞと私の手に載せてくれる。
落ち着いた金の色の時計は、手の中にしっとりと納まる。ぱちんっと蓋を開けると、蓋の内側には何かを記念するものだろう日付が刻まれていた。
そっと閉めれば表面の細かい彫がとても丁寧で、素人目にも良いものなんだろうなと分かる。一通り堪能してシゼに戻せば、シゼは何かを懐かしむようにその時計を見つめ、表面をそっと指で撫でたあと同じようにまた仕舞いこんだ。
「大切なもの?」
問い掛けた私にシゼは少しだけ驚きを浮かべて私を見たあと、ふっと笑みを零して頷いた。
「気に入っているんです。大切な方に頂いたので」
その雰囲気にそれ以上言及は出来なかったが、ほんの少しだけシゼが大人びて見えた気がした。