第二十一話:秘密の優しさ(1)
シゼは歩み寄ってきた麗人に対して、不思議そうに首を傾げ「珍しいですね?」と口にする。
私は誰か分からなくて、シゼから半歩後ろくらいでその人を見ていると、私にもにこりと微笑んでくれた。とても綺麗な人だ。礼装から男性だと分かるけど、中世的で、ドレスだって似合いそうだ。大柄だけど。
「―― ……」
何も口にしない私に、シゼも相手も不思議に思ったのか、麗人は「ああ」と思い出したように口にして、ポケットを探り、目的のものを手にそっとその顔に宛がった。
「あ、ラウ先生」
「―― ……うわぁ……マシロ。本当に私だと気がつかなかったんですか? 軽くショックです。私の判断基準は片眼鏡?」
がっくりと落胆したあと、子どものように不貞腐れるラウ先生から隠れるようにシゼは口元を覆って肩を揺らした。ツボに入ったらしい。
「い、いえ、すみません。なんか私ここの雰囲気に当てられてて、少しぼうっとしてて……」
「良いですよー、別に。私は直ぐにマシロだと分かりましたよ。お人形さんのように可愛らしいから」
にっこりと微笑まれても、どういうわけか素直に喜べない。この人の場合、なんというか……とってつけたような。という感じがピッタリなのだ。
「そうそう、シゼ。研究棟で騒ぎが起こっていましたよ? 何か増殖させていませんでしたか? わさわさ溢れてきてると……」
「え!」
一瞬にして、シゼの顔色が変わった。即思い当たることがあったのだろう。
一歩踏み出しかけて思い留まる。そして私を見て、刹那瞳を閉じると深呼吸。
「あとで処理します」
と続けた。ラウ先生はそんなシゼにくすくすと笑う。
「気になって仕方ないのなら、見てきて構いませんよ? 私がマシロの傍についてますから」
「―― ……ですが」
「問題でも? 大丈夫、お姫様一人のお相手くらいなら私でも出来ます」
少し強引にも感じたが、シゼは私とラウ先生の間で視線を泳がせている。迷っているのだろう。
「良いよ。私は待ってるから、見てきなよ……あ、そうだ。その帰りに馬車も手配してくれると嬉しい。みんなには悪いけど、先に帰るよ」
そういった私にシゼはまだ迷っているようだったが、ややして「ではお願いします」と踵を返し足早に広間を出て行った。その後姿を見送ってからラウ先生は改めて私に向き合い微笑む。
「場所を変えましょうか?」
「え、でも」
「人気に当てられた顔をしてますよ? ここはとても騒がしい……それに、踵、少し辛そうに見えたのですが?」
―― ……む。
庇っていた痛みを見抜かれて、ちょっぴり気後れする。誰にも気がつかれなくて良かったと思っていたのに。
「シゼが探しに来る前に戻れば問題ないですよ」
そういって手を差し出され、何となく断れなくて私はその手をとり、距離をつめるとラウ先生の腕を取った。
「おや、東屋までと思ったのに、庭までは手が届いていないのですね?」
庭に出て靴が水を弾くとラウ先生は足を止めた。仕方ないから引き返そうとかいうのかと思ったら、私の方を見たラウ先生は「失礼しますね」と微笑んで、ひょいと屈んで私を抱き上げてしまった。
「ひっ!」
「ひぃとは酷い。女性一人を抱えることくらい雑作もないことですよ? 大体、ここから見える場所なのだから引き返さなくても良いでしょ」
そのままスタスタと庭を突っ切ってしまう。
私は濡れないけど、ラウ先生には足元がよろしくないと思うのに……。私も歩くといいたかったけれど、そう口にするより早くポーチに到着してしまった。
ラウ先生は数段の階段を上がると石のベンチにそっと座らせてくれる。短くお礼をいって一休み。正直会場内の熱気の中にずっと居られるほど私は人ごみに慣れてない。大きく深呼吸して胸を撫で下ろす。
夜の少しだけ冷たい空気を吸い込むと、気分が安らいだ。
「気分良くなったようですね?」
「え、あ……はい。すみません」
私はそんなに居心地悪そうにしていたのだろうか?
「足は大丈夫ですか? ついでですから、見ましょうか?」
そういってくれたラウ先生に私は慌てて「大丈夫ですっ!」と声を張り上げた。ラウ先生は「そう?」と首を傾げる。
「あ、あの、私一応薬師なので……戻ったら自分でやります」
ごにょごにょと口にしたら、ラウ先生は「そうでした」と微笑んだ。月明かりのみの中でもラウ先生の周りはほんの少し光源が増えているような気がする。
ラウ先生は私の隣に腰掛けた。
そして、どこから出したのかひょいと私の前にお皿を出して「お一つどうぞ」といいながら自分は一つ取り上げて、先にぱくりと食べてしまった。四角くて小さなお菓子。カカオの香りがするからチョコレートだと思う。甘いものは嫌いですか? と、重ねられ、私は一つ貰った。
「美味しい」
予想通りのチョコレートの甘さが口内にふんわりと広がり素直に感想が漏れる。中にはアーモンドか何か入っているようだ。
「そうですか? 気に入ったのならもうひとつどうぞ?」
いわれるままに私は手を伸ばして口に含んだ。その様子にラウ先生はやんわりと微笑んで話を続けた。
「それにしても今夜は珍しいものが沢山見られましたね?」
「え?」
「エミルは踊っていましたし、シゼまで出てましたしねぇ……種屋は仕事に勤しんでいるようですし」
何か知っている。そういっているようだ。私は何も知らない。聞くべきなのだろうか? 私が遅疑逡巡している間にラウ先生は話を進める。
「近日中に、ジルライン陛下は退任される」
「え?」
「おや、ご存じないですか? エミルは勿論承知していますし、青い月も知ってると思いますよ? 白い月のみ蚊帳の外ですね」
なんだか意地悪な物言いだ。私は混乱しつつも私が関与すべき事柄ではないということに頷く。
「私は……」
「お姫様は護らなくてはいけませんからね? だからこそ、エミルも格好の悪いところを見られたくなかったのでしょう」
私は良く分からなくて今度は素直に問い返した。
「エミルには異母兄弟は多いですが、特に歳の近い異母妹であるアセアとメネルの双子を愛していた。辛いと思いますよ」
アセアの病状でも悪くなったのだろうか? この間薬を届けさせて貰ったときには、急にどうこうという様子はなかったのに……。
「エミルは選んだんですよ。そして、アセアではなく繋がるものを護った。上に立つものは辛いですね、何かを常に切り捨てなくてはならない、そして孤独でなくてはならない。本当に彼を理解出来るものはいない……」
「どういう、意味、ですか?」
何も聞いていない私は混乱するしかない。知って良いことかどうかも戸惑われる。でも、ラウ先生は今。お父さんであるジルライン陛下の執政官の補佐についているという話を聞いた。だから、王宮内のことに明るい。
「マシロは、本当に知らないんですね? 今夜の闇猫の動向をご存じない」
私は、きゅっと下唇を噛み締めた。きりきりと胸が痛む。