第二十話:しゃるうぃだんす
出たときと同じように音楽とお喋りがフロアには溢れていたが、正直私はもう帰りたかった。
「マシロ、良かった。見付からないかと思ったよ」
そして忙しいはずのエミルが、私を探し当てて歩み寄ってくれた。もう大分場も和んだのか挨拶のみは終わっているようだ。
「一曲踊ろう?」
帰りたいとお願いする前に、そう誘われて「一曲だけ」と重ねて願われては私も断れなかった。「じゃあ、一曲だけ」と、差し出された手をそっと受け取り私はもう一度中央に戻った。
最初の一歩でちょっと踏んでしまったけれど、あとは自然に踊れていると思う。
「でも、珍しいね? エミルが踊ろうなんて」
「……え、あ……ああ、うん。最初に踊るのはマシロが良いなと思ってたから……つき合わせてごめんね」
先程まで種屋店主と踊っていたパートナーが、次は今一番の有望株であるエミリオ王子と踊っているのだ、周りの目が若干気になる……いや、寧ろ痛い。でも、エミルにそんな風にいって貰えるのは嬉しいことなのだと、そう、思う。
「今夜は引く手数多だね」
ふふっと冗談めかして口にすれば、エミルも同じように笑って「それはマシロのほうだと思うよ」と返してくれる。私はこれで今夜は踊り納め。このあと、馬車の用意だけでも頼もうと思ったらエミルの方が先に口を開いた。
「このあと、僕は多分暫らくはフロアに掴ると思うんだ……マシロのことはシゼに頼んであるから」
「シゼに?」
物凄い意外だった。アルファやカナイのように護衛も兼ねているメンバーがここに居ることは多いけれど、シゼのように裏方側の人が出てくることは稀だ。
「今日は外の警備にアルファをとられてしまっているから、人手不足なんだよ。人は多いけれど、僕の腹心以外はマシロの傍に寄せたくないからね」
……特に今夜は……と、続けたエミルはどこか遠くを見ているようだった。
ブラックといいエミルといい今夜は少しだけ、ほんの些細なことだろうとは思うけれど違っている。そのことにきっと本人もあまり気がついていないと思う。でも、私は見逃せない。それなのに追求することも憚れる。それが、とてももどかしい……。
そうこうしているうちに約束の一曲は終わってしまう。次の曲に入る前にエミルはそっと手を引いて輪を一旦外れた。
「マシロ……」
もう、いってしまうのだろうと思ったら、私の名を呼んだままじっと見つめられてしまった。室内の光に反射して、若草色の瞳はエメラルドグリーンにも見える。その瞳に映る私はとても不思議そうな、間の抜けた顔をしてしまっているように思う。
辺りの喧騒も音楽も耳に入らない、というように見つめられて、私は少し困ってしまう。
それにようやく気がついたのか、エミルは、はたと我に返り「ご、ごめん」と僅かに頬を上気させて謝罪した。
「綺麗だなと、思って」
にこりと直ぐにいつもの調子に戻ってそう告げたエミルに「ありがとう」と応える。その程度は社交辞令の範囲だろう。この世界は美しく色鮮やかなものばかりだ。暮らす人たちが特にそうだ。私はカナイ以上に地味だ。
「ねぇ、エミル。もし、何か困ったことがあるなら……」
「大丈夫」
「え?」
「大丈夫だよ……心配しないで……僕を甘やかさなくて良いから……」
そういって愁いを帯びた笑みを浮かべたエミルに、私は首を傾げる。
私がエミルを甘やかせたことなんて、これまで一度もないと思うのに……変なの? 問い返そうと思ったら「エミル様」と声が掛かった。エミルが振り返ればその先にはシゼが居て、その後ろには意外にもメネルが立っていた――メネルはエミルの異母妹でアセアの双子の姉だ――。
「メネルっ!」
「マシロ、久しぶり」
メネルは、その日身に纏っていた菫色のドレスがとても良く似合っていた。光を紡いだように白に金を溶かしたような髪が室内の照明に反射してメネル自身が淡く輝いているようだ。
実際本当にそうなのだけど、童話の中のお姫様といえばこんな感じだ。シゼにしても、上流階級なんていわれる人たちと並べても全く引けを取らないと思うくらい素敵だ。
「お互い珍しいわね?」
にこりと悪戯っぽい笑みを浮かべたメネルの台詞に私も微笑む。
「私は今夜星の行く末を見守りに来たのよ」
メネルは大聖堂で星詠みを学んでいる学生だ。
だから時折メネルの意味深な台詞は、真理をついているのだと思うけど、常人の私には理解不能だ。だから首を傾げてしまったのだが、メネルはそれ以上そのことについて語るつもりはないのだろう。
「マシロの手を取りたいところだけど、女同士では踊り辛いわよね」
いって肩を竦めたメネルは、仕方ないという風に「お兄様、お借りしても宜しいかしら?」と付け足した。私はメネルの冗談にくすくすと笑いを零して頷く。
「うん。私はもちろん」
ちらりと隣を仰げば、エミルはやんわりと私に微笑んでから「じゃあ、失礼して」とメネルの手を取った。立ち去り際に、マシロを頼んだよ、とシゼに念を押す。私はそんなにうろうろしたりしないし、王城はそこそこ来ているから迷子にもならないというのに。みんなとても心配性だ。頼まれたシゼは神妙に頷いていた。
「何か飲む? それとも踊る?」
二人の姿が見えなくなってから私はシゼに問い掛ける。もちろん、あとの選択肢は冗談だ。それなのに、
「マシロさんが踊り足りないというのなら、お相手します。貴方を退屈させないように、ということですから……」
―― ……私はどこかの子どもか、我侭姫のどちらかだと思われているのだろうか?
「シゼも踊れるんだ?」
ちょっと意外。
そう思ったのを隠しきれて居なかったのだろう。シゼは短く溜息を落として「一応」と頷く。
「王宮に入るときに、簡単には身につけます。ですが、はっきりいわせていただければ、好きではありませんし、得手ではありません。ご配慮ください」
はっきり踊りたくないっていえば良いのに。苦笑した私にシゼは少し困ったような顔をしたけれどあまり苛めるのは可哀想だ。私だってダンスは苦手だしね。
「じゃあ、もし、大丈夫なら外に出ない?」
「外? バルコニーまでなら……」
うん。それで良いよ。と、早々に決定して私はシゼの腕を取った。
そして、さっき入ってきたばかりのところで、一度立ち止まったシゼは、給仕の人からシャンパングラスを二つ受け取って、一つ私に渡してくれる。
小さな気泡がふわふわと上がって綺麗だ。
「はい、シゼかんぱーい」
殆ど無理矢理、ちんっとグラスの端っこを軽く合わせる。ちょこっと口をつけると冷たくて甘い。飲み口が柔らかい感じだ。
「なんか今日さ、エミルも、ブラックも……少し変だよね」
「―― ……そう、ですか? 僕には同じに見えます。いつもと変わらない……同じですよ」
同じです。と、重ねたシゼにまで違和感を覚える。それ以上同じ質問をされないようにか、シゼはグラスをくいっと傾けた。
バルコニーの柵に背を預けて煌びやかな室内を見やる。キラキラと光が反射して私の日常からいえば、全くの別世界だ。
だから余計にこの場所に自分が不似合いな気がする。
ふぅと嘆息して会場に背を向けると、今日も変わらずそこにある二つ月を見上げる。
「月のようですね」
「え?」
ぽつっとそう零したシゼを見たけれど、シゼも月を仰いでいて目が合うようなことはなかった。
月を見上げるシゼの瞳はどこか感慨深げに細められていた。
「―― ……マシロさんのことです」
「えっと?」
らしくない台詞に、私は言葉を詰まらせた。シゼはそんな私に気づく素振りもなく続ける。
「必ずそこにあるのに、決して手が届かない。だから、みんなこうして見上げているしかない……」
それは、どういう……と、問い返そうとしたところで「こんな所に居たんですね?」と、声が掛かった。