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第十九話:大広間を抜け出して

 こつっと石のバルコニーに出れば、本当ならヒールは水を弾くはずだった。昨夜はかなり降ったのだ。丸一日くらいで乾ききるとは思えない。


 でも足元は全く濡れていなかった。


 こんなところに王城の人の頑張りが窺えてちょっと微笑ましくなった。

 普段、あまり動かないから直ぐに暖かくなった身体を夜風が心地良く冷やしてくれる。


「ああ……飲み物でも持って出れば良かったですね……」


 すっかり忘れていた、という風に口にしたブラックに苦笑する。

 いつでも私を一番に考えてくれるブラックにしては珍しいうっかりだけれど、別に喉がからっからというわけじゃないから問題ない。


 居るだけで悪目立ちする私たちは、そっと人目を避けるように端へと身を寄せた。


「フロアへ戻ったら、エミルたちがマシロを見つけてくださいますから……正直、あまり頼りたくはないですが……仕方ないです」


 はぁと本当に嫌なのだろう、吐いた溜息が妙にリアルで笑ってしまった。


「分かった。でも、エミルは忙しいんじゃ……」

「そうですね、ですが。それでもマシロの傍には顔見知りを置いてくれると思います……カナイとか……ですから妙な気を遣って、決して一人にはならないで下さいね」


 一人になるなという部分を強調したブラックにほんの少し萎縮して私は頷く。ブラックはそっと私の頬を撫でて、本当にお願いしますね? と重ねる。いつも以上に慎重な気がする。

 私は、一人にはならないよ。と、繰り返して頷くとブラックはそっと私の顎に手を掛けて軽く上向かせると唇を塞いだ。


「ブ、ブラック! 人に見られるから」

「見えない位置ですから平気です」


 ブラックのいい方だと、見られても平気だといっているように聞こえるのは気のせいだろうか?


「―― ……っう、ちょ」


 繰り返されていた浅い口付けが、ぐいっと腰を引く腕の力と共に深くなって私は僅かに抵抗した。でもそれは許されず、より深くというように口内に侵入してくる。

 私の好きな角度も深さも熟知しているブラックを相手に、そう長く正常な思考が続くわけもなく、私は呑まれるように口付けに応えた。


「っ……、も、ダメ……」


 息苦しいのと、もっと欲しいと思う気持ちとで限界になり、私はブラックの首に絡めていた腕を解いて、胸を押した。

 名残惜しげに、頬と唇に軽い口付けが落ちてようやく離れてくれる。私はきっと茹蛸よりも赤くなっているだろうし、瞳だって潤んでしまっているに違いない、鏡を見なくても分かる。きっと恍惚とした表情をしているはずだ。

 でも、ブラックは特に息を上げることもなく、私の目には殆ど変わりなく見える。正直いえば負けた気分だ。


「すみません、暫らくフロアに戻せなくしてしまいましたね」

「―― ……ホントだよ、もう」


 頬を膨らませたところで何か効果があるとは思えない。思えないけど、少しくらい不貞腐れたって良いと思う。


「ですが、もう少し一緒に居られるいい訳が出来たので、私は嬉しいです。今夜はもうこの場を一度離れたら、こうして抱き締められないので……」

「―― ……」


 そういってほんの少しだけ憂いを見せたブラックに、私はなんと声を掛けて良いか分からなくて……黙ってまたブラックとの距離をつめると胸に頬を寄せた。もう殆ど条件反射のように、傍に寄ればそっと抱き寄せてもらえる。

 そんな距離が私自身とても心地良い。


「マシロ……」

「ん?」


 肩口に頬を寄せると直接ブラックの熱が肩から伝わってくる。


「愛してます」

「うん」


 私だって愛してる。

 好きだ。

 ブラックの代わりなんて誰にも出来ないと、馬鹿みたいに本気で思ってる。


「どうか……嫌わないで下さい……」

「―― ……え?」


 それなのに、重ねられた台詞に私は驚いてブラックのほうへ首を捻ったけれど、その表情は見えなかった。


「……もう、大丈夫でしょうか? 顔を、見せてください」


 いって顔を上げたときには特に変った様子はない。きっと私の方が不安そうな顔をしていることだろう。それを慰めるように、ブラックは笑みを浮かべて「口紅も落ちてしまいましたね?」と冗談めかして口にしてもう一度私の顎を取る。

 そして、すっとどこからか出した、リップをそっと引いてくれる。


「綺麗ですよ。マシロの肌にはアプリコットが映えますね?」

「―― ……ありがと」


 なんだか胸が苦しくて、直ぐに言葉が浮かんでこなかった。

 わけの分からない不安が私の心を暗くする。どくんどくんっと鈍く低く打ち付ける自分の心音が重たい。


「マシロ、一人にならないで下さいね。それから帰りは誰かに送らせてください。もしも王城に泊まるようでしたら明日迎えに来ますから、待っていてください」


 子どもにいい聞かせるように、もう何度目かになる注意事項を繰り返したブラックは、頷いた私の手を取って、その手のひらに頬を摺り寄せ「では、私は行きます」と眉間に少し皺を寄せて微笑んだ。

 するりとすべらかなブラックの頬を滑り降りる指先が、完全に離れてしまう瞬間、私は反射的にブラックを引き寄せ、ぐっと背伸びをして口付けた。

 そして強く抱きついて重ねる。


「愛してるよ。私も!……嫌いになんて、ならない、なれないから……」


 でも、もしもこれからやろうとしていることが辛いのなら、行かないで……そう続けそうになるのを、私は必死で堪えた。

 ブラックは好きで種屋をしているわけじゃない。

 そしてその業を背負ってしまった時点で辞めるわけには行かない。


「はい……私はマシロだけを信じて、愛しています」


 そう告げたブラックは、とんっと地面を蹴って私の腕からするりと抜けて消えてしまった。

 私は暫らく誰も居なくなったその先を見つめていたが「一人にならないで下さい」と執拗に念を押したブラックの言葉を思い出して、素直にフロアに戻ることにした。



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