第一話:私の平凡なる毎日
白い月青い月二つ月
流れの止まった水は次第に淀み水底も窺えなくなる。
泥水に映る月は淀んでいて本来の色も分からない……
しかし人々の求めるものは唯一つ
―― ……美しいとき…… ――
という名の幻想
貴方の目に映る世界は一体どんな色をしていますか?
―― ……カタン。
今日もいつもの時間に扉に掛かった札をオープンと表示させる。
あまり直射日光を好まない代物が多いので、カーテンを全開には出来ないから室内には時間に関係なく魔法灯の暖かな明かりが店内を照らしている。
私は、店内の確認を簡単に済ませてカウンターに戻ると、今日の予定を確認した。午前中に薬の配達が一件入っているだけだ。正直繁盛しているとはいえない店だけど、私はそれなりに満足している。
私が剣と魔法と素養の世界シル・メシアで生活するようになって何度か季節が巡った。
午後は暇だし、たまには図書館にでも顔を出そうかなとか思ってみる。
図書館は私の母校だ。他に大聖堂と王宮と呼ばれるところがここ王都にある三大学園だ。それぞれの学園は知力・魔力・武力を中心として専門的なことを教えている。持って生まれた素養を認められそれなりに裕福な生徒が主だけれど私のように例外的に入学するものもたまには居る。
そこには実質二年くらいは真面目に通った。残り一年は通いと有能な家庭教師のお陰で上級階位卒業程度の学力と資格を手に入れることが出来た。そこで得たのが薬師の免許で今こうして薬屋を営んでいるのもその流れからだ。
私は今日配達をしなくちゃいけない薬を紙袋に入れて準備し、開店にしたばかりの店を再び閉める。どうせお客さんが来ることもないだろうからそんなに心配はして居ないけど一応『直ぐ戻ります』も表示しておく。
シル・メシア王都の朝は清々しく爽やかだ。
もう直やってくるだろう、雨季の時期を除けば雨が降ることも稀だし、殆ど毎日晴天だ。
街道はレンガで舗装され車道では車ではなくて馬車が普通に走っている。表通りに背を向けて住宅街を目指す。王宮の奥から町中に張り巡らされている水路の所々に設けられている小さな水車が朝陽を反射してキラキラと輝き私の気分は上昇する。
そうだ。帰ったらクッキーを焼いてシゼに差し入れをしてあげよう。
私の作るお菓子を美味しいといって食べてくれるのは、図書館最上級階位生徒のシゼことシルゼハイトだけだ。性格は相変わらず捻くれていて素直ではないけどその扱いにも慣れて今では弟みたいなものだ。
放っておくとラウ先生から受けついだ研究室に何日でも平気で篭っている。天才を通り越してただの変人だ。
「ああ、マシロちゃん。わざわざ悪いね」
「ううん。気にしなくて良いよ。それでおじいちゃんの調子はどう? 少しは動けるようになったかな?」
住宅街といっても王都を囲む外壁に近い寂れた集落だ。どうしても付いてしまう貧富の差からこういう場所も出来てしまう。
私はドアを開けてくれたおばあさんに促されておじいさんの様子を見る。ベッドに寝たきりになっているおじいさんは肺が良くない。私が持ってきたのは気管を少し開いて呼吸を楽にする薬だ。根本的な解決にはならない。私なんかよりもずっと専門的な医者に診せるべきなのだけど……この家では医者を呼ぶような余裕は無いだろう。
私は一通りの様子を見てから小さな家をあとにした。
受け取った薬代は材料費にもならない程度だけど、少しでもと払ってくれる気持ちが嬉しいので、私は遠慮なくそれを受け取る。
店に戻り、一階にあるミニキッチンでクッキーを焼く。
準備を始めて、焼き上がる頃にはお昼を過ぎていたので、私はそれを摘んでお昼を済ませた。私は美味しいと思うのだけど、あまり評判が良いとはいえない。
まあ、実際ブラックが作ってくれたほうが何倍も美味しいから仕方ない。私の恋人は料理上手だ。料理に限ったことではなく、出来ないことはないという馬鹿げた人物だ。一番馬鹿げているのは頭にある猫耳とどうしても目がいってしまう尻尾なのだけど。
因みにいつものことだけれど、ここまでお客さんはゼロだ。我ながら情けない。
―― ……カランカラン
そしてようやく来客を知らせるウェルカムベルに喜色を浮かべると、王子様だった。外見だけではなくて正真正銘王子様だ。シル・メシア王家第十三番目の王子で、現在、王位継承順位第二位のエミルことエミリオだ。
「いらっしゃい」
「こんにちは。……何か甘い臭いがするね?」
「クッキー焼いたところだったんだけど、食べる?」
エミルは優しいので、はっきりいらないとはいわない。にっこりと女の子も羨む綺麗な笑顔で「あとで貰うね」と答えてカウンターまで歩み寄ってくれる。
「それならお茶くらい淹れるよ。適当に座ってて」
そう伝えると、笑顔のままありがとうと頷いてくれる。私はその笑顔を見てから奥に引っ込みお茶の準備を整える。
店に戻るとエミルは窓際に置いてある小さなテーブルセットに腰掛けて、外を歩いている人たちを見ているのかぼんやりと歩道を眺めていた。どうぞ、と紅茶を用意すると、ふと顔を上げて微笑んでくれる。
一応お茶菓子程度に持ってきたのはブラックが作ってくれていたマカロンだ。私のために作ってくれたものだから何かが盛ってあるという心配はない。
私はカウンターに戻って休憩用の椅子に腰掛けた。
「ここは静かだね」
うん。閑古鳥が鳴いてるからね? カナイとかがいったなら確実に嫌味だからそう答えるけど、エミルは多分そういうのではなくて、ただ本当にそう思っただけだろう。棘も別な意味合いも何もない。だから私は「うん、そうだね」と頷くだけにした。
「抜け出してきたの?」
「え? あー……抜け出したってわけではないけど、んー、休憩? どうせ、カナイもアルファも僕がここに居ることくらい直ぐに分かるだろうから、そのうち来るよ」
穏やかに答えてそっとカップに口をつける。
「あれ? マカロン? もしかして、ブラックが作ったの?」
「うん、美味しいよ。大丈夫だよ、ちゃんと見てたから」
にこにこと答えた私にエミルはそうだねと笑って口にした。うん、美味しい、と頷きつつ本当に彼は何でも出来るねと感心する。大抵何にもやらないけどね? と皮肉を零すとエミルはくすくすと笑って頷いてくれた。