第十八話:絢爛豪華な箱の中の舞踏会
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前日は雨だった。雨期が近いせいで、珍しい話ではないけれど足元からひんやりとした冷気が立ち上る。寒い時期ではないけど雨の影響で地面が冷えているせいだ。
「こういうとき当日も大雨とかだったらどうするの? 中止とかになるのかな?」
私は鏡の前で、嫌々ながらの舞踏会への準備のため、ブラックにチョーカーを留めてもらいながら素朴疑問を投げ掛けた。ブラックは手際よくかちりと止め具を止めたあと、柔らかく私の髪を梳かしながら答える。
「中止にはなりませんよ。特に今夜は……雨なんてことになれば、宮廷術師が総出で王宮を結界で囲みますね。まぁ、心配しなくても過去、こういう夜に雨が降ったことはありません。今夜も降らないと思いますよ」
「―― ……ねぇ、今夜って何か特別なの?」
私の髪をそっと巻き上げてくれているブラックに尋ねれば、ブラックは緩く微笑んで「変わりませんよ」と答え
「退屈なだけです」
と、露わになった私の首筋に唇を寄せた。くすぐったくて首を竦めれば、ふふっと笑いを零される。
「なら、参加するなんていわなければ良かったのに……」
どんなに素敵なドレスを着る機会だといっても、私はああいった社交界に出ると自分が場違いだと痛感する。煌びやかな世界は私には不似合いだ。
はぁ、と思わず吐いてしまった溜息にブラックは困ったように微笑んで、仕上げに優しいピンク色の櫛を挿した。ドレスとお揃いだ。
「良く似合っていますよ」
夜会のたびにドレスやアクセサリーを新調するのはどうかと思う。でも、そうするのが普通らしく、私の家では仕舞いきれないからもう多くのドレスたちが種屋のクローゼットの中で眠っている。一庶民の私としてはとても勿体無く感じる。
「迎えが来ましたね」
馬の蹄が雨に濡れた地面を弾く音でも聞こえたのだろうか。
耳をそばだたせたブラックは、そっと私の手を取って立ち上がらせると「行きましょう」と促した。いつもながら無駄の一つもない所作。夜会用の正装も良く似合っている。
思わず見惚れてしまっていた私に、ブラックは苦笑して「マシロはいつも可愛いですね」と繋いだ手を持ち上げると指輪に口づける。
「そうだ、これも……今夜には地味ではないですか? 他に用意したもので」
「嫌だ。これは外さないって決めてるの」
私の我侭にブラックは、どこか嬉しそうに瞳を細めると、その代わりのように「腕輪を忘れていましたね」と口にして、鏡台にある宝石箱の中からチョーカーとお揃いのものを取り出し、そっと腕に通した。
町の薬屋さんの前に、王宮の馬車が停まっているなんて早々ない。そのちぐはぐな様子に苦笑しながら私はブラックと一緒に王宮へと向った。
案内された広間は、夜だというのを忘れるくらい煌びやかで眩しく贅の限りを尽くしているようだ。少しゆっくりし過ぎていたのか、既に多くの人で賑わっていた。
私はそっとブラックの腕を取りエスコートしてもらうと会場に入った。ざわざわと騒がしかった室内が、一瞬にして静かになりその殆どの視線を奪ってしまう。
私はこの瞬間が一番嫌いだ。
でも、隣に立つブラックに恥をかかせてはいけないと気丈に振る舞い背筋を伸ばす。
さぁっと潮が引くように、みんな上座までの道を開けてくれる。
向けられる視線は実のところ様々だ。
上流階級の人たちの間では、あまりにもブラックの存在は有名だし、そんな傍に居たり、現在一番王に近いと囁かれるエミルの傍にいる私もここでは有名で、噂のネタも尽きない。
そんな有名人なのに豪邸を構えることもなく、町で薬屋なんてしているんだから、ここの人たちにどう揶揄されていても仕方ない。
私たちが前に進むと、出入り口付近からまた先程と同じような喧騒が戻ってくる。
やっと他の人たちからの奇異の目から抜け出したと、ほっと胸を撫で下ろしたところで、高らかにラッパが鳴り響きジルライン陛下を筆頭に王家筋の人たちが顔を出す。もちろん、現在筆頭であるハスミ様……エミルやキサキも一緒だし、その傍にカナイの姿も確認できる。
小さく手を振るとカナイは気がついたようで僅かに口元を緩めた。
陛下の挨拶のあと、控えていたオーケストラが演奏を始め、自然な形でダンスタイムに持ち込まれた。今回は舞踏会ということだし、深夜を過ぎてもこの演奏は止むことはなく延々と続けられる。
その間、挨拶回りをし、歓談を行い……ダンスを踊る。
みんなそれぞれにこれを飽きもせずに繰り返すのだ。疲れれば、こういう日は迎賓棟が開放されているのでそこで休んだり、もちろん泊まって帰るのも問題ないと聞いた。――私は落ち着かないから必ず帰るけど――
「なんか、今日は妙に王家の人たち……人数が少なくない?」
ターリ様方は基本的に全員出席のはずだけれど――もちろんエミルのお母さんは出てくることはない――王妃様の姿すら見えない。私の知る限り皆さん、この手の会が好きな人たちなんだけど、な……。
「踊りましょう」
私の零した疑問は音楽に掻き消されてしまっていたのか、ブラックは、くんっと私の手を引いてフロアに出た。
「足元、見なくて良いですよ、私を見ていてくだされば息を合わせられます。大丈夫、私となら出来るでしょう?」
大丈夫です、と重ねてブラックは私の手と腰を自然に取る。
拘束感は全くないけれど、安定感と安心感がある。
ブラックが大丈夫だといえば、基本なんでも大丈夫だった。
「そうだね」
やっと頬が緩んでそう答えると、ブラックはにっこりと微笑んで、自然に足を踏み出した。息が合うか合わないか、という話なら合わないわけない。
うん……上手にターンも出来た。
「……ブラック、悪目立ちしてない?」
「マシロが綺麗だから目を引いて当然です。あと、一曲だけ付き合ってください」
慣れてくれば周りも見えるようになり、人の目が気になって問い掛けた私にブラックはあっさりと返す。それをいうならブラックだと思うけれど、本人は間違いなく本気でそう思っているのだろうから、あえてそこに突っ込むのは止めにした。
無駄だから。
―― ……それよりも
「あと一曲?」
「ええ……次の曲が終わったら輪を外れましょう」
少し意外だった。
今は踊り始めてから二曲目の終盤辺りだと思うのだけど、私が根を上げるより早く引き際を決めてくれるとは思わなかった。
「すみません……今夜は最後までご一緒出来ないんです」
「―― ……そ……か……」
ブラックがそういっただけで、直ぐに察しがついた。
“仕事”が入っているのだろう。
しかも、裏の……。
私は微かに痛んだ胸の痛みに気がつかなかったフリをして、改めて「分かった」と頷いた。
そのあとは、ブラックがタイミングよくダンスの輪を抜けてくれるまで、何を思っていたのか良く覚えていない。そんな私を責めるでもなく、ブラックは「少し外の風を吸いましょう」とバルコニーまで連れて出てくれる。