第十七話:軽いトラウマ
日が暮れる頃にはお客さんも商品もがらんとして、ロスタは片付けを始めた。私もそれを手伝うように広げられた敷物を畳みつつ「本日も盛況なり、って感じだね」と笑う。
「ああ」
「そういえば、ロスタは剣はやめたの?」
素養がないから遊び以下だ。と、ぼやいていたことを急に思い出した。
ロスタは銀貨と銅貨で重たくなった袋の口を開きつつ「これ重いから両替してくんね?」といいながら私の問いに答える。
「んー、諦める? まさか、だからこうして金貯めてんだろ?」
にやりと口角を引き上げてずっしりとした袋を持ち上げる。
「―― ……種、買うつもりなんだ?」
「ま、生きてる間に間に合えば……な」
素養がなければいくら学んでも身につかない。
この世界で生きる人は、そういう風になっているらしい。だから……教えてもらったり、慣れたりとかで、何でも出来るような――出来ることはかなり少なく薄いけれど、そして魔術系は私は普通の人だから無理だけど――私はとても不思議で異質な存在らしい。
そのせいもあってか、ブラックがなんでもかんでも教えたがるから、私はすっかり多趣味になった。
「あんたはさ、もっと自信もって良いと思うぜ?」
畳み終わった敷物を抱えてぼんやりしていたら、腕の中から取り上げてロスタがにかっと笑う。そして、痛いくらいに人の肩を叩きながら続けた。
「なんでちょこっと突かれただけで暗い顔してんの? 誰もあんたを卑下したりしないだろ。あんたは別に見劣りなんてしてねーよ」
「べ、別に私は何も」
「お、そういえば今日の荷には黒真珠がなかったな? 今度持ってきてやるよ。それとも一緒に海に出るか?」
口の中でもごもごとした私をあっさり無視してロスタは話を続けた。
「ていうか、なんで急に黒真珠?」
「あんたと同じ色だからだよ」
ぼすっと人の頭に手を乗っけて、がしがしと撫でる――撫でられているのだと、多分、思う。かなり攻撃的だ。
「それ以上近寄るとここから撃ち殺しますよ」
上から不吉な台詞が降ってきて、ロスタは私の頭から慌てて手をどける。
そして見上げた先では、二階の窓からブラックが面白くなさそうな顔を覗かせていた。
「貴方はさっさと花街にでもいって、もうひと稼ぎしてきたらどうですか? 自力で種を手に入れるには人の一生は短いですよ」
ブラックは特に声を張っていたりはしていないし、普通に声を出しているだけだけど、とても聞き取りやすく良く聞こえる。
「―― ……ちっ。いけ好かない奴」
「聞こえてますよ」
当然耳も良い。
ロスタは一纏めにした荷物をよいしょ、と背負って「じゃ、またな」とあっさり暇を告げた。――夕飯くらい一緒すれば良いのに両替も良いのかな?……って、ブラックとじゃ普通に嫌かな?――私は引き止めることをやめて忘れず代金を支払うと「またね」と送り出した。
「マシロ。早く上がってください。マシロのドレス姿が見たいです。着てみてください」
「えー、今?」
「今です」
私は嬉しそうなブラックの声に、肩を竦め「はいはい」とやる気のない返事で店の扉をくぐった。
***
「みんなパーティの準備で忙しいんだね」
私は仕事用の大きなバッグを肩から掛けて、シゼと並んで歩いていた。今日はマリル教会――孤児院:陽だまりの園――の園児たちの健康診断だ。
「僕だって忙しいのに……忙しいのに……」
シゼは私の話なんて聞いているのか聞いていないのか、さっぱりな感じでぶつぶつとうわ言を呟いている。私は開業してからは、定期的に陽だまりの園の子どもたちを見ている。ハクアの様子も気になるし、未だに王宮監視下にあるレニさんのことも気に掛かるからだ。
ブラックは正直良い顔をしないが止めることもしない。
「なんかね、急に翁が隠居するっていい出しちゃって……頼りに出来るお医者さんはシゼが真っ先に思いついたんだもん! 仕方ない、よね?」
頑張ってちょっとくらい可愛らしくにこりとそういった私を、シゼは暫らく見つめて、はぁと溜息を重ねた。何? その溜息っ!
「エミルさんからも頼まれましたし、良いんですけどね。別に」
良いのならそろそろ愚痴愚痴をやめてもらえると、私は嬉しいけど、仕方ないか。そんな私の心境を悟ったのかどうかは分からないが、シゼは「そういえば」と話を振ってきた。
「翁といえば、何かあったのですか? ご健勝だと思っていたのですが……」
「体調を崩したとかそういうのじゃないみたいだよ。なんか、若いもんに任せるときが来たとか急にいい出したらしくて……」
レニさんが「翁の気まぐれには参ります」と本当に困ったように零していたのを思い出して、私はふふっと笑いを零した。
「どうしたんですか? 急に笑い出すなんて、またねじでも外れたんですか?」
―― また、ってどういう意味だ。
「そういえば、この間ロスタが戻ってたよ? 王宮に顔……出さないよねぇ?」
「出していただかなくて結構です」
突然話題を変えた私に苦い顔をして、シゼはうんざりという風に答えたがどこか柔らかい。嫌っているわけではない、それが分かるから私もなんだか優しい気持ちになる。
「ナルシルのこと……宜しくね?」
「診てみないと分からないことです。それに翁が経過を観察するしかなかったのなら、僕で何とか出来るなどという希望は持たないほうが良いです。僕はまだ医者として未熟ですから……」
ナルシルは、今の第一ターリ様の長女アセア姫の嫡男だといわれている。しかし、複雑な事情が絡み、今は陽だまりの園預かりとなっている。
アセアはもともと体が弱く、今は白銀狼の血液により精製される薬で、何とか命を繋いでいるような状態だ。その血をくしくも受け継いでしまったのがナルシルだ。
私もはっきりとは分からないけど、多分心臓疾患を持ってると思う。
ここでは身体にメスを入れるという概念がないから、外科手術を行うようなことはない――外傷などがあるものに関しての縫合などは、その限りではないけれど――基本的に、病気などの原因追及もあまりなく、大抵の場合は症状の緩和。痛みを緩めること……苦痛を和らげるということがここでの病への取り組み方なのだ。
元の世界での僅かな医療知識――ニュースとかで新しい治療法や手術への挑戦などの番組等見たりして得た一般的なもの――が、余計にもどかしさを与える。
私が元の世界で医者であったなら、もっと確かな知識をここに植えつけられるのに……。
そうは思っても、実際の私は唯の薬師だ。だから他の人と同じように経過観察を行うしかない。
「マシロさんもぼーっとしてたら、ハクアの血液採取量を間違えますよ? 気をつけてくださいね」
いって微笑んだけど、多分冗談ではないだろう。私は、気をつけます。と頷いた。