第十六話:海は未知数
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そのあと数日平穏な日々は続いた。そして平穏を破ったのはけたたましい訪問客の登場だ。
―― バン!
「ハニー元気にしてたかいっ?!」
壊れそうな勢いでウェルカムベルが鳴り、扉が軋む。いつもいってるのに、どうしてもう少しまともな登場が出来ないのだろう。それから……
「ハニーと呼ぶのはやめなさい」
「はっはっは。可愛い仔猫ちゃん。今日も沢山お土産を持ってきたよ」
どんっとカウンターの上に麻袋を載せられる。それと同時に、ふわりと潮の香りが漂ってくる。
「仔猫ちゃんもやめなさい。ロスタ」
あんたはそんなキャラじゃなかったはず。
私は出しかけた台詞をかろうじて飲み込んだ。
私が直接会って話したのは、マリル教会の一件がひと段落したあとで、ロスタが海に出る前の話だった。
海は一匹狼。孤高の人。っぽい雰囲気を漂わせたロスタを、百八十度変えてしまった。
硬派なロスタは海の藻屑になったらしく、海から時々ふらりと戻ってくるロスタはすっかり笑顔眩しい軟派な青年になっていた。
日に焼けた肌に、短く切られ無造作に立ち上げられた髪、広い海、広い空、煌く太陽を一身に浴び、キラキラしている。
人を近寄らせない雰囲気を持っていたのに、今は犬のように愛くるしく尻尾を振っている感じだ。
「はぁ……海に出るまでのロスタが懐かしいよ。もっと落ち着いてもっと大人だったような気がする」
「マシロ、過去に縛られるもんじゃないぜ」
私の許可も得ることなく荷物を広げ始める。
流石に今回は海産物は入ってない。前に鮮魚などを入れていて、心の広い私でも怒った。
「大体、シゼなんて凄いカルチャーショック受けてたよ……あれ、何かのトラウマとかになるんじゃないかな?」
「あいつ頭固いからなー。勉強ばっかりしてるとマシロもああなるぞ」
しないとロスタみたいになるなら、私はやってシゼみたいになるほうが良いと密かに思う。
「ほら、上等品だろ?」
「買い取れっていうんでしょう?」
ごろごろと無造作に出てきたのは、各種珊瑚とか真珠の類だ。これらは薬の材料になるから、持ち込んでもらえるのは嬉しくないわけではないけれど……。強引さにちょっと困る。
「こっちは、そうだけど。これは土産。キカルの特産品。香油だ。良い女ってのはこういうのにも気を配るんだろ?」
ひょいと取り出した、ガラス瓶を私の方へ押し付けた。
ありがと……と、受け取ってまじまじと見つめる。細かな細工の施してある瓶はそれだけでも価値があると思える。
もう一度ちゃんとお礼を重ねようと思って瓶から顔を上げると同時に、扉が開いて普段では有り得ない女性陣を招きいれた。
「ロスターお帰りなさい」
「待ちくたびれたわっ」
「今日は何かないのー?」
口々に彼女たちの口から発せられる言葉に、ロスタは振り返りにこりと微笑み「お待たせ仔猫ちゃんたち」と両手を広げてウェルカム。
―― ……だからお前誰だよ……。
重ねるけど、変わるにも程があると思う。
はぁと私が嘆息したところで、ロスタはちらりとこちらを振り返り、表借りるぜ。と、いってどやどや押し掛けていた女の子たちと共に外へ出た。
ロスタはどういうわけか、うちの店の前で露天を開く。名品珍品ずらり勢ぞろい! って、感じで最初は面白いのだけど騒がしいことこの上ない。
でも、毎日というわけでもなく不定期。
そして滅多にないことでもあるから私も強くは断れない。だから仕方なく容認している。
私は暫らくロスタが持ち込んだ素材を整理して、なんとかカウンターの上が見えるように片付けた。
カウンターの隅っこにかけてある顧客名簿にも目を通す。今日の配達もないし、取りに来る予定の人も居ない。ロスタたちが迷惑掛けても最悪両隣に謝りに行けばすむだけだ。
そのことに安堵して私は真珠をランプに翳す。
「綺麗」
傷一つない一級品だ。
それなのにあんなぞんざいに扱うなんて酷いな。……まぁ、私もこのあと真珠パウダーにするために削るけど。
そう思って苦笑したあと、仕舞いこむ。そして、ロスタへ支払うお金を袋に用意して、外の様子を見に出た。
外に出てみるとさっきよりは人数は減ってるような気がしないでもないけれど、ざっと見て七・八人が寄っている。そのうちの一人が私の姿に気がついて、ロスタが勝手に広げた商品から顔を挙げ折っていた腰を伸ばした。
「この間頂いた香水。もう作ってないの?」
突然そう問われて私は「え」と言葉に詰まってから、答える。
「香水は売ってないんです。あれは私が趣味で作ってただけだから……もし気に入ったのなら、時間を見て作りますよ」
営業スマイル。といっても売るつもりはなく、サービスなのだけど。
私の言葉に、声を掛けてくれた女性は「本当? 是非お願いっ」と両手を顔の前で組んだ。可愛らしいお願いポーズだ。私はその様子に頷いた。
「―― ……なんの騒ぎですか?」
女性の声に混じっても掻き消されることのない、聞き馴染んだ声に私は振り返る。そのときには既に私の隣に当然のように居たブラックは不思議そうに人だかりを見ていた。
「ロスタがまた店を開いているだけだよ」
「ほぅ、彼の店は繁盛しますね?」
別に皮肉でも何でもなくただそう思っただけだろう。私は特にそれに食いつくこともなく話を続ける。
「今日はどうしたの? 明るいうちに来るなんてちょっと珍しいよね?」
「ええ、マシロに少しでも早くこれをお見せしたくて」
と答えてくれたブラックは肩から大きな袋を掛けていた。見覚えのある感じの袋だ。ああ、確実に舞踏会用のドレスだろう。
「ですが、今は無理そうですね。中で待ってます」
「うん、ごめんね」
素直にそういってくれたブラックに私も答えて、扉の前に立っていた位置をずらし、ブラックが中へ入れるようにした。ブラックは中へ入る前に私の頬に軽く口付けてから店の奥へと消えた。
もう、恥ずかしいな……と、思いつつブラックの触れた頬を押さえて嘆息すると、なんだか妙に静かになってしまっていたお客さん――うちの客ではないが――たちが、声を上げた。
「ねぇねぇ、今の人誰?」
「貴方の恋人?」
「わたし王都に長く住んでいるけれど、あんな綺麗な方、見たことないわ」
彼女たちは、現在の種屋店主殿に面識がないらしい。
それはとても平和で幸せなときを過ごしている証拠だろう。
ブラックの職業を知らなければ、確かにブラックはとても魅力的な存在なはずだ。私なんかとはとてもつりあうことのないくらいに……。
私は曖昧に微笑んで「えっと、まぁ……」と頷いた。そして再び黄色い声に包まれてしまった。