第十一話:白猫と私と黒猫(1)
私は昨夜、黙々と作った薬を紙袋にしっかりと準備して届けた。
今日も天気が良い。
いつものように道の脇にある水路を眺めつつ、次の目的地をシゼのメモを見ながら探す。名前から、ちょこちょこ来てくれているおばさんなのは分かったけれど、家まではいったことがなかった。
住所から家を辿るのはちょっと苦手だ。
私は街灯に掛かっている通りの名前を見て、道の角のプレートに焼き付けられている番地を一つ一つ確認する。多分、近づいているとは思う。
ご近所さんだと思ったのに配達先から探してるからちょっと分かり辛い。
「お、あった……」
扉に掛かったプレートを見て頷く。
特に支払いが後になったりしている家ではないから、集金自体直ぐに終了した。そのあとの、世間話というか……おしゃべりが少し長引いてしまったくらいで。
それらから解放される頃には、お昼の鐘が辺りに鳴り響く。お昼は何か買って帰ってあげよう。シゼにばかり頑張らせるわけにもいかないから、午後からは、私ももっと頑張ろう。
そう思って私は一人頷いた。
赤系のレンガで出来た建物の間に抜ける道を、のんびりと歩きながら店を目指す。
腕の中には食べ物系のお店が並ぶ通りで、ゲットしたお昼を抱えている。シゼのことだから、さっきの鐘も聞こえてないだろう。
没頭すると周りが見えないタイプだから。
でも、あの調子で頑張ってくれたら、明日からでもいつも以上に準備万端で店を開けられる。シルゼハイト様様だ。
私はふふっと笑いを零して、紙袋を抱え直すと少しだけ足の速度を上げた。
「―― ……おい」
わき道から声を掛けられたような気がして、私は足を止めきょろきょろと見回した。もともと人気のない道だけど、お昼時ということもありちらほらと歩いている人はいる。とはいっても、私のほうを見ている人は居ない。
―― ……気のせいかな?
首を傾げつつも、止めた足を一歩踏み出せばまた声が掛かる。
もう一度足を止めれば細い路地から人影が現われた。
「っ……」
暗いところから、出てきた姿に私は息を呑む。
見忘れるはずも見間違えるはすもない。無意識に首筋に触れ、抱えた紙袋を落としかけて抱き直す。
「何か、用?」
「そんな警戒する必要ないだろ」
いや、するだろ。するよね。
私の前に姿を現したのは白猫……ルカだ。
ちらほらと人が行きかうとはいえ、種屋候補生にそんな常識が通用するようには思えない気もする。大した理由もなく、訪問と同時に相手の首を絞めてしまうような人(猫)なのだから。
「警戒する必要ない。おれは今力をかなり制限されてる。屋敷を抜け出すので精一杯だ」
いわれて私はいぶかしみつつも観察する。
この暑くも寒くもない季節に、平静を装いつつも額に汗が滲んでいる。この間、目に付かなかった腕輪とかも見覚えがある。以前ブラックが、魔法石でハクアに作ったものに酷似している。
「大丈夫なの?」
反射的に出てしまった言葉に、ルカは目を細めて眉をひそめた。
「マリル様は殺されかけた相手にも慈悲を見せるのか?」
「そ、そういうわけじゃなくて……」
ただ純粋に辛そうに見えたから、そう訪ねただけなのだけど……それに、敵意がないといっている相手を警戒する必要もないような気もする。
言葉に詰まって黙した私にルカは、長く深く嘆息し、やや逡巡したのち私の方を見ることなく続けた。
「……何故、闇猫に告げなかった」
「告げたよ」
間髪いれずに答えた私にルカは驚いたように顔を上げて私を見た。
「レムミラスさんにも出来れば伏せて欲しいといわれたけれど、ブラックが我慢をすると約束してくれたから、だから私は話したよ」
ルカは私の言葉に信じられないというように困惑している。
「おれは生かされただけというわけか……」
「そんな風にいうのは良くないと思うけど」
素直に眉を寄せた私に、ルカは鼻で笑った。
「あんたに何が分かるんだ。おれの何が」
「分からないけどさ、何も。話す気があれば聞くし、用件が在るならそれも聞くよ。無理を押してまでどうして来たの? 殺す気がないならなおさら」
自分で口にして、きゅっと心臓が痛む。あのときの苦しさと痛みが蘇ってくるような気がする。本当に死を直感する出来事なんて普通に生きれいれば早々ない。印象深くて当然だしトラウマになっても仕方ない。
そんなつもりはなくても私の表情は曇っただろう。それに釣られてかどうなのかは分からないが、ルカもどこか辛そうな表情を見せた。
「……あんた……いや、マシロに聞きたい」
ぎゅっと体の両側に下ろされていた腕に力が篭り、握っていた拳の節が白くなる。緊張しているのか、もしくは何かに構えているか……だ。
私も自然と緊張して息を呑んだ。
「美しいときとはなんだ?」
「え?」
「シル・メシア全てのものに与えられるという……白い月の少女が分け与えるという美しいときは、おれには与えられないものなのか?」
この世界に生まれ。この世界で育ったものなら当然の知識として、当然の望みとして、当然の希望として刷り込まれている”美しいとき“そんなものは事実存在などしない、と、思っていても、みんな信じずには居られない。
縋らずにはいられない。
この世界にとってそれはそういうものだと思う。
それは種屋候補生も例外ではないらしい。そして、その答えを私に、異世界から落ちてきたというだけの唯の人間でしかない私に、問われても……実は困る。
「―― ……ごめん……。分からないよ」
それ以外私には答えようがない。重ねるけれど、私は唯の人間なのだ。
特別でもないし凄い力を有しているわけでもない……