第九話:釘をさすなら最後まで
翌朝、私がぼんやりと覚醒するとブラックは既に起きていて、ゆるゆると眠っている私の髪を梳いていた。
「おはよう」
ぼんやり口にすれば耳に心地良い優しい声で「おはようございます」と返ってくる。凄く心地良くて、起きる挨拶でも眠りに誘われているような気になる。
うつらうつらと瞼を持ち上げたり下ろしたりしている私の目じりにキスを落として「起きないんですか?」と笑いを零す。分かってる。分かってるよ。起きるつもりなんだけど……居心地が良くて。
「何時?」
「ティータイムの頃合いですね」
いわれてもまだぼんやりしている。ティータイムか、お昼を廻っているわけではないだろうから十時くらいということだろう。普段ならそういう時間だ。
「もっと早く起こしてよ」
「とても幸せそうに眠っていたので」
すみません。と、とばっちりなのに謝罪してくれる。私はもぞもぞと起き上がり、ベッドの上で膝を抱えた。
いくらお客の来ない店でも、開けないわけに行かない。本当はお休み……ていうか、ああ……。
「どうしたんですか?」
「商品がないんだった……それに」
シゼが……といいかけると同時に部屋をノックする音が聞こえた。
「マシロさん、まだ寝ているんですか? 昨日の今日なのに店の鍵が開いていましたよ」
中の返事を待たずに扉を開けられて、無用心です。と続けたシゼに、私は反射的にブラックの頭をがっつり持ってベッドに沈めた。
「先に調剤室で始めていますから、顔を洗って降りてきてくださいね? あと、ハクアにも連絡をしておいて貰えると良いかと……どうか、しましたか?」
「な、なんでも、ないです。直ぐ降りるよ」
なんとかシゼにそう答えると、シゼは不思議そうに首を傾げたものの「お願いしますね?」と重ねて部屋を出て行った。
ぱたんっと扉の閉まる音と同時に、ブラックが暴れた。反射的に黒猫の姿になってくれていた。
「マシロは私を窒息死させる気ですか? 寝台の上で死ねるとは思っていなかったのでそれはそれで満足ですが……」
「鍵」
「はい?」
「鍵、私掛けたよね。開いてたって……ブラック、シゼが入ってきたの知ってたでしょ!」
目くじらを立てた私にブラックは、あー……と漏らしてから「そうですね」と微笑んだ。
悪いと思っていないその態度に拳骨を加えてベッドに沈めると私は早く作業に取り掛かるためにベッドから抜け出した。
ベッドの中で高貴さを漂わせつつも愛らしさを失わない黒猫が、酷いです、と潰れているが気にしない。
シャワーを浴びて目を覚まそうと、適当な着替えを引っ張り出し抱えた私に「手伝いましょうか?」と声が掛かる。
ぴたりと足を止めて、眉を寄せた私の視界には元のブラックがベッドの隅っこに腰掛けてこちらを見ていた。
「……何を?」
シャワーをとかだったらもう一度、沈んでもらうしかないと思う。
「入浴を……」
ぐっと開いた手を握り締めた私にブラックは「ええと、間違えました」と焦ったように見せてから続けた。
「薬のほうですよ。何か作りましょうか?」
ブラックの申し出は嬉しい。願ったり叶ったりだ。
「でも、種屋のほうは?」
薬屋さんはうちじゃなくても王都にはたくさんある。でも、種屋はそうじゃない。
「構いませんよ。傀儡に店番させます。その代わり、夜はこちらに居られなくなりますが……私は何をすれば良いですか? 店主さん」
にっこりそう告げるブラックに心が温かくなる。ブラックは本当に私を甘やかせることにかけても天才だと思う。
「……で、その手伝っていただける店主殿はどちらに?」
調剤室に居なかったシゼを温室で発見して、その旨を伝えると首を傾げられた。
「ブラックには、ここには置いていない材料を取りにいってもらったよ。元々、不足気味になっていたものもあるし、その次いでも兼ねて」
シゼの腕の中から瑞々しい色を湛える薬草が入れられている籠を取り上げてそういった私にシゼは頷いた。私が温室で栽培しているものはそれほど多くはない。温室自体大した広さもないから仕方ないし、私はあまり増やすということが苦手で……あまりあると枯らしてしまうのだ。
「ですが、ふふ……これまで種屋店主を顎で使う人が出てくるなんて有り得ない話ですよね……なんというか、ある意味、マシロさんは偉大です」
「―― ……貶してる?」
「まさかっ! 言葉のまま褒めています」
噛み殺したような笑いを含んでいたので、必ずしもその言葉通りとは思えないがシゼの可愛くない発言はいつものことなのでもう気にならなくなっていた。
私に対して軽口叩き、嫌いだなんだと平気で口にするシゼだけど、仕事はとても真面目にこなしてくれる。もともと彼は最上級階位卒業者で私とは出来も違うから、作業効率も良く店主の私の方が小間使いだ。
私の集中力は常人らしく数時間、もしくはもっと早く切れたり入ったりするから、その度に作業台とは違う場所でそっと休むのに、シゼはぶっ続けで作業を行ってくれている。途中勿論休むようには声を掛けるが……休んだのは、お昼を無理矢理食べさせたときだけだ。
日が傾いてきてお日様の残りが部屋に差し込んでくるころ。ブラックは戻ってきて調剤室の脇に荷物を積んでくれた。
「ありがとう、大変だったよね」
中にはもちろん貴重なものも含まれている。
「そうでもありませんよ? ただ季節的にすぐ手に入らないものがあったので……それは、市にでも行くしかないと思いますが、今日はそこまで時間が取れなかったので」
「十分だよ。あとは私でも何とかなると思うし……」
「私は好きでやっているので存分に使ってくださいね」
いいつつブラックは調剤室の扉を気にしているようだ。どうかしたのかと問えば、いえ、と首を振った。
「私は種屋に戻ろうかと思いますが、問題はありませんか?」
ブラックが持ち込んでくれた薬草や実を確認しつつ「大丈夫だよ」と答える。
「……シルゼハイトにもほどほどにするように伝えてください。天才肌は限度を知りませんから……貴方の為に尽くすのは分からなくもないですけど、私より長く一緒に居られるのは少し嫉妬してしまいます」
意外な台詞に顔を上げるとしょぼんとしていた。シゼにやきもち。これは考えてなかった展開だ。私は傍に置いておいたお手拭で微妙に緑色になってしまった手を拭い向き合う。
「シゼは家族みたいなものでしょう? それに手を貸してくれているのはシゼの意思というよりはエミルに頼まれたから、だよ?」
実際弟という感じしかしない。
まぁ、私と血が繋がっていてあんな美形にはなりようがないけれどね? 以前、図書館で周りは全て男の子という中で生活していたときは、そんなこということなかったのに今更と感じると同時に不思議にも思う。
「そうですね、すみません。なんとなく……マシロがとてもこの世界に馴染んできたなと感じていて……悪いことではないのですが」
「寂しいの?」
きょとんと訪ね返した私をブラックは困ったような顔で見つめて苦笑すると「そう、ですね」と肯定した。
なんか余りにも素直で、頬がぽぅっと熱持った。なんだろう、このバカップルな感じ。でも……そんな風にどうしても感じてしまうブラックがやっぱり少し寂しくて私も同じように苦笑した。
「私はずっと傍にいるよ? 私はいつまでたっても異界人だよ。だから変わらない、それに……ブラックは異質ではないよ」
大丈夫、心配ないよ。と告げてそっと抱き締めて背伸びすると頬に軽く口付ける。ぎゅっと私を抱き締める腕に力が篭って、ほうっと大きく息を吐く。
「ルカの言葉ではありませんが、きっと世界が、誰かが私からマシロを奪ったら……きっと私は許さない。世界を破壊し自らも壊れる自信があります」
そんな怖い自信持たないで欲しい。持たないで欲しいけど、重たいくらいのブラックの気持ちは私を心地良くさせる。余程私の方がブラックに毒されてしまっていると思うのにそこまでは伝わらない。想いの重さが同じだということを伝える術は何もないことがとてももどかしい。
だから今度は唇にそっと口付けた。
「あのぅ、もう出て行っても良いですか? オイルが切れているのですが……」
―― ……びくぅっ!!
私の肩は思い切り跳ね上がったことだろう。
シゼがっ! シゼが居たんだった! すっかり忘れてた! その流れでここまで来たのにすっかり忘れてた。他人に商品作らせて、私ってば、私ってば私ってば……!! 穴があったら入りたいっ! いや、寧ろ埋めてくれっ!!
「―― ……ランプ用なら……キッチンの奥にあります……取ってきてください」
恥ずかしすぎてシゼの顔が真っ直ぐ見られなくて、私はブラックの胸に額を押し付けたまま、一階のミニキッチンを指差した。シゼはあっさり「分かりました」と答えて奥へと向う。