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万能ポーションを量産しすぎて、街の医者を全員廃業させてしまった

作者: あゆと
掲載日:2026/08/15

「その薬を渡すな!」


乾いた音が診療所に響いた。


十五歳のセヴァルドが差し出そうとしていた小瓶が、石床へ叩き落とされる。薄緑色の薬液が足元へ広がり、熱に浮かされた幼い男の子を抱く母親が「あっ……」と小さく声を漏らした。


「何するんですか! その子に飲ませる薬です!」


飛び出しかけたセヴァルドを、師匠の薬師が慌てて後ろから押さえた。


小瓶を叩き落としたのは、この街でもっとも大きな診療所を持つ医師ベルガンだった。腕そのものは確かだが、診察料も薬代も街で一番高い。そして今日は医者としてではなく、薬学協会の理事として監査に来ていた。


ベルガンは床に広がった薬を見下ろし、鼻で笑った。


「協会が認可していない薬を勝手に患者へ渡すな。しかも銀貨一枚だと? そんな値段で薬をばら撒かれたら、正規の薬の価値まで下がるだろう」

「でも、この人は正規の薬を買えないんです!」


母親は子供を抱いたまま、必死に頭を下げた。


「お願いします……! 診察と薬で銀貨八枚なんて、うちには払えません。この子、昨日からずっと熱が下がらなくて……」

「なら金を用意してから来なさい」

「それまで、この子がもたなかったら!?」

「医療は慈善事業ではない」


ベルガンは平然と言い切った。


セヴァルドの腹の底が熱くなる。


「……患者が治ることより、薬の値段の方が大事なんですか?」

「十五の小僧が医療を語るな! 安ければ正義だとでも思っているのか? 薬師も医者も霞を食って生きているわけではない!」


その日のうちに、薬学協会から処分が下った。


無認可の調合薬を患者へ使おうとしたとして、セヴァルドは薬師見習いの資格を剥奪された。完成していた薬はすべて没収され、調合器具には協会の封印札が貼られた。師匠にも「この少年にもう一度薬を作らせれば、店そのものの営業認可を取り消す」と通告された。


もう一本作ることすら許されなかった。


そして翌朝。


あの男の子が死んだ。


母親には、最後まで銀貨八枚を用意できなかった。


セヴァルドは、その日一日何も言わなかった。自分の薬を飲めば本当に助かったのか、それはもう確かめようがない。もっと効く薬なら、もっと確実な薬なら、誰にも「認めない」と言わせないほどの薬なら。


そして何より、誰でも迷わず買えるほど安い薬なら。


夜になって、セヴァルドはようやく顔を上げた。


「……だったら、作る」


師匠が振り返る。


「傷でも、病気でも、毒でも、全部これ一本で治る薬を作る。どんな病気か分からなくてもいい。高い薬を何種類も買わなくてもいい。それで……金がない人でも買える値段にする」


薬学協会は、セヴァルドから薬師になる道を奪った。


だが、錬金術師になる道まで奪う権限はなかった。



それから二十年。


「……できた。万能ポーションだ」


三十五歳になったセヴァルドは、夜明け前の工房で青い小瓶を光に透かしていた。


傷も病気も毒も、これ一本で治す。死者を蘇らせたり、失った手足を生やしたりまではできないが、生きている人間なら大抵の症状を治せる。


世界で初めての万能ポーションだった。


しかも、セヴァルドが二十年間追い続けたのは効き目だけではない。希少な薬草の代用品を探し、高価な魔石を使わない抽出法を作り、一瓶ずつだった錬成を大釜でまとめて行えるようにした。


その結果。


「銀貨一枚で売れるな」


助手のノイルが、計算書からゆっくり顔を上げた。青い瓶と数字を何度か見比べてから、恐る恐る尋ねる。


「確認しますけど、傷も病気も毒も治す、世界初の万能ポーションですよね? それを銀貨一枚で売るんですか!?」

「そうだ。……高いか?」

「逆です! 安すぎるって言ってるんですよ!」


セヴァルドには、何が問題なのか分からなかった。


効果と安全性の試験はとっくに終えている。動物での確認だけではなく、軽い傷や発熱では自分でも使い、協力者にも十分説明したうえで何度も試験を重ねた。錬金術師ギルドの安全審査も通し、製造工程まで正式に登録済みだ。


二十年前とは違う。


今のセヴァルドは、誰にも薬を取り上げられない。


「銀貨一枚でもちゃんと利益は出るぞ」

「もっと取れますって! 銀貨十枚でも行列になりますよ!」

「十枚も取ったら買えない奴がいるだろ?」

「……そうでした。この人、二十年間そこだけ一切ブレてないんでした」


ノイルは朝から頭を抱えた。


その日、世界初の万能ポーションは銀貨一枚で店頭に並んだ。



最初に買ったのは、鉱山で働くガルドだった。


落石を避け損ねたらしく、右腕がひどく腫れている。骨は大きくずれてはいないようだが、痛みでまともに動かせないらしい。


「それ、折れてるだろ。医者へ行けよ」


セヴァルドが言うと、ガルドは苦笑した。


「診てもらって、固定して、薬まで買ったら銀貨十五枚は飛ぶ。そんな金ねえよ。明日は休んで、明後日から左手で働く」

「妻と子供三人いるだろ?」

「だから働くんだよ」


本気らしい。


セヴァルドは棚から青い小瓶を一本取った。


「なら、これを飲め。昨日完成した万能ポーションだ。傷も病気も毒も、大体全部治る」

「それ、いくらだ?」

「銀貨一枚」

「……瓶代じゃなくて?」

「中身込みだ」


ガルドは小瓶とセヴァルドの顔を何度も見比べた。


「世界初の万能薬を、昼飯みたいな値段で売るなよ! 逆に怖いわ!」


奥で帳簿をつけていたノイルが、勢いよく顔を上げた。


「ですよね!? 僕も朝からずっと言ってるんです!」

「客を味方につけるな」

「常識人同士で意見が一致しただけです!」


それでも銀貨十五枚と銀貨一枚なら、迷ってはいられない。ガルドは試験内容まで聞いたあと、覚悟を決めて青い液体を飲み干した。


十数秒後、腕の腫れがみるみる引いていく。赤黒かった肌の色が戻り、ガルドは恐る恐る肘を曲げた。拳を握り、最後には肩から腕を大きく回す。


「……痛くない。おい、本当に痛くないぞ!」

「効いただろ?」

「効いたどころじゃねえよ! さっきまで腕が上がらなかったんだぞ!?」


興奮していたガルドは、やがてふっと動きを止めた。


「……明日も働けるな」


笑うのかと思ったら、目から涙が落ちた。


「今月、娘に靴を買う約束してたんだ。治療で銀貨十五枚飛んだら、また来月なって言わなきゃならなかった」


セヴァルドは何も言わず、その話を聞いた。ガルドは涙を手の甲で拭い、空になった小瓶を眺める。


「なあ。なんで、こんなに安いんだ?」


二十年前から、答えは変わっていなかった。


「買えなきゃ意味ないだろ」


ガルドはしばらく黙ったあと、セヴァルドの肩を強く叩いた。


その日の昼には、店の前に行列ができた。



そこからは早かった。


高熱を出した子供に飲ませれば熱が下がり、毒虫に刺された農夫に使えば毒が消えた。何年も咳に悩んでいた老人も、腹痛で寝込んでいた商人も、火傷した鍛冶職人も治った。


本当に何にでも効いた。


「商品名、どうします?」

「万能ポーション」

「そのまま!? 二十年かけた世界初の発明ですよ!」

「分かりやすいだろ?」

「分かりやすさに全振りしすぎです!」


ノイルがそんなことを言えたのも、最初の数日だけだった。


一日五十本では昼まで持たず、百本作っても売り切れた。百五十本へ増やした頃には工房だけでは置き場所が足りなくなり、隣の倉庫まで借りることになった。


「また釜を増やすぞ」

「昨日増やしたばっかりですよ!?」

「患者が待ってる」

「その一言を出されると反対できないんですよ!」


昼は売り、夜は作る。


そして量産効率が上がるたび、セヴァルドは値段まで下げた。


一か月後、この街では銅貨十枚で銀貨一枚になるところを、万能ポーションは銅貨八枚になった。帳簿を見て「これでも十分利益は出るな」と頷くセヴァルドに、ノイルはもう何度目か分からない抗議をする。


「売れすぎて店を拡張した商品を、なんで値下げするんですか!?」

「原価が下がったからな」

「普通はそこで利益を増やすんですよ!」

「安くできるのに?」

「……この話、たぶん一生終わりませんね」


そんなある日、店の前に黒塗りの豪華な馬車が止まった。


降りてきた男を見て、セヴァルドの手が止まる。


医師ベルガン。


その隣には、薬学協会の地方協会長まで立っていた。


二十年前、セヴァルドの薬を床へ叩きつけた男は、年を取った以外ほとんど変わっていなかった。


「久しぶりだな、セヴァルド。ずいぶん派手なことを始めたそうじゃないか」


ベルガンは棚いっぱいの青い瓶を見て、眉をひそめた。協会長は挨拶もせず、一枚の書類をカウンターへ叩きつける。


「この価格設定をただちに改めてもらう! 銅貨八枚など認められん。傷薬、解毒薬、熱病薬、慢性病薬……既存の薬が軒並み売れなくなっているんだぞ!」

「でも、銅貨八枚で作れますよ?」

「作れるかどうかの話ではない!」


ノイルが小声で呟いた。


「……じゃあ何の話なんでしょうね」

「聞こえているぞ!」


ベルガンが咳払いをし、少しだけ穏やかな声を作った。


「我々もお前の技術そのものは評価している。だから万能ポーションの販売権を薬学協会へ渡せ。最低価格を銀貨十枚とし、認定診療所を通じて販売する。それでも従来の治療より十分安い」

「銀貨十枚……?」


セヴァルドは、本気で不思議そうな顔をした。


「それじゃ買えない人がいるでしょう?」

「何?」

「俺は、そういう人でも買える薬を作ったんです」


ベルガンの顔が険しくなる。


「二十年前から何も学んでいないようだな! 医療には相応の価格というものがある。安売りすれば市場そのものが崩れるぞ!」

「覚えてますよ」


セヴァルドは、珍しく言葉を被せた。


「あの日のことは、ずっと覚えてます。だから二十年かけて、もっと効く薬を、もっと安く作れるようにしたんです」


ベルガンが黙った。


「買えなきゃ意味ないだろ」


協会長の顔が赤くなる。


「ならば薬学協会は、その薬を認可しない! 販売を続けるなら処分対象だ!」

「……二十年前と同じことするんですね」


ノイルが呆れたように言い、机の引き出しから一枚の証書を出した。


「残念ですけど、万能ポーションは錬金術師ギルドの安全審査を通した錬成品です。セヴァルドさんは薬師ではなく正式な錬金術師なので、薬学協会に販売を止める権限はありません」

「なっ……!」


今度は協会長が黙った。


二十年前、薬学協会はセヴァルドから薬師になる道を奪った。


その結果、自分たちでは止められない錬金術師になって帰ってきた。


ノイルが証書をしまいながら、ぼそりと言う。


「……自分たちで追い出しておいて、今さら協会の規則を守れは無理がありますよね」

「お前、今日は随分言うな」

「二十年前の話、聞いてますから」


ベルガンたちは怒鳴り散らして帰っていった。


万能ポーションは、その日も銅貨八枚で売られた。



一か月後、薬学協会が扱っていた高級傷薬の売上が激減した。


二か月後には解毒薬も熱病薬も売れなくなり、慢性病向けの薬まで倉庫に積み上がった。その頃にはベルガンの診療所も閑古鳥が鳴き、広い待合室には使用人しかいない日が増えていた。


そしてある夜。


閉店間際の店へ、深く帽子をかぶった男が入ってきた。


「万能ポーションを一本」


セヴァルドはいつも通り、棚から一本取った。


「銅貨八枚です」

「……私だぞ」

「分かってますよ。ベルガン先生ですよね」

「何か言うことはないのか?」

「……お大事に?」


ベルガンのこめかみに青筋が浮いた。


長年患っていた胃の病が悪化し、自分の診療所で治療を続けても治らなかったらしい。とうとう万能ポーションを買いに来たというわけだ。


セヴァルドは嫌味一つ言わず、小瓶を差し出した。


ベルガンは周囲を何度も確認してから青い液体を飲み干した。しばらく腹を押さえていたが、やがて目を見開く。


「……痛くない。本当に、痛くないぞ」


二十年近く付き合ってきた胃の痛みが、跡形もなく消えたらしい。ベルガンは空になった小瓶を見つめ、それから信じられないものを見るようにセヴァルドへ顔を向けた。


「これが……銅貨八枚?」

「はい」

「私は二十年近く治療してきたんだぞ。それが、たった八枚で……」


セヴァルドは少し考えてから、何気なく付け加えた。


「ちなみに、新しい釜に替えたらもっと原価を下げられそうなので、銅貨六枚への値下げを検討してます」

「まだ下げるのか!?」

「安く作れるようになったので」

「お前は本当に……!」


ベルガンは額を押さえた。


胃の痛みは消えたのに、別のところが痛くなったような顔をしていた。


翌月、街一番だったベルガン診療所は閉院した。


薬学協会でも旧来の高級薬部門が大赤字となり、ベルガンや地方協会長を含む旧幹部たちは責任を取らされて退任した。


そして予定通り、万能ポーションは銅貨六枚になった。


新聞を読んでいたノイルが、少し嬉しそうに顔を上げる。


「二十年前にセヴァルドさんを追い出した人たち、みんないなくなりましたよ」

「そうか」

「……それだけです? もっとこう、ざまあみろ、とかないんですか!?」


セヴァルドは万能ポーションの瓶に栓をしながら、少し考えた。


「ベルガンを困らせるために作った薬じゃないからな」

「じゃあ、何のためです?」

「決まってるだろ。あの母親みたいな人を、もう困らせないためだ」


店の外には、今日も万能ポーションを求める人たちが並んでいる。


ノイルはその列を見てから、小さく笑った。


「……ほんと、そういう人ですよね」


ただし、万能ポーションは相手を選ばなかった。


ベルガンのような医者だけが患者を失ったわけではない。真面目に診察してきた医者も、貧しい患者から最低限の金しか取らなかった医者も、同じように患者が減っていった。


病気の原因を調べなくても、銅貨六枚の万能ポーション一本で治る。


その事実は、善人にも悪人にも平等だった。



数週間後の朝。


店の扉が開き、マルツェルが大きな木の看板を抱えて入ってきた。


『マルツェル診療所』


見慣れた文字が書かれている。


「……なんで看板持ってるんだ?」


セヴァルドが尋ねると、マルツェルは無言でそれをカウンターへ立てかけた。


「今日、閉めた」

「診療所を?」

「ああ」


セヴァルドは思わず手を止めた。


マルツェルは、夜中に叩き起こされても文句を言いながら患者を診るような医者だった。金のない家にはツケも利かせる。セヴァルド自身、子供の頃から何度も世話になっている。


だから、他の診療所が閉じても、ここだけは残ると思っていた。


「……あんたまで?」


マルツェルは疲れたように笑った。


「昨日の患者、ゼロ。一昨日もゼロ。その前の日は一人来たぞ」

「いたのか!」

「万能ポーションのおかげで治ったから、今までありがとうって菓子持ってきただけだ」

「患者じゃないじゃないか」

「だから閉めたんだよ!」


マルツェルは椅子へ腰を下ろし、大きく息を吐いた。


「おめでとう、セヴァルド。これで七軒全部だ。この街から診療所がなくなった」

「……俺、街の医者を全員廃業させたのか?」

「今気づいたのか!?」


さすがにセヴァルドも顔を引きつらせた。


「悪かった。あんたの仕事までなくすつもりは……」

「謝るな。俺だって熱を出したら、お前の店で銅貨六枚払う」

「医者なのに?」

「だから医者なんだよ! 同じように治るなら、患者に安い方を勧めるわ!」


怒鳴ったあと、マルツェルは肩の力を抜いた。


「まあ……患者が来なくなった理由が『みんな治るようになったから』なら、医者としては文句も言いづらいけどな」

「じゃあ、これでよかったのか?」

「それを今日廃業した本人に聞くな!」


マルツェルはカウンターの看板を指で叩いた。


「しばらく預かってくれ。家に置いておくと妻が笑う」

「明日からどうするんだ?」

「釣りだ。二十年くらい働いたんだから、少しくらい休ませろ」


その日の午後、セヴァルドは街を歩いてみた。


医者が一人もいなくなった街が、どうなっているのか確かめたかった。


ところが、街は以前より元気だった。


腰痛で店を畳みかけていたパン職人は、大きな粉袋を肩に担いで働いている。病弱でほとんど外へ出られなかった少女は、広場を友達と走り回っていた。


少女の母親は、市場で肉と新しい靴を買っていた。


「今までは、この子の薬だけで毎月銀貨十枚近くかかっていたんです。今は具合が悪くなっても万能ポーション一本でしょう? 食費を削らなくて済むようになりました。本当にありがとう」


冒険者ギルドでは、怪我で引退する予定だった男が新しい依頼を探していた。治療費のために借金する家族も、薬代のために食事を減らす老人も目に見えて減っている。


医者はいなくなった。


なのに、街は以前よりずっと健康だった。


広場でさっそく釣り竿を買っているマルツェルを見つけたので、セヴァルドはそのことを伝えてみた。


「……みんな元気だぞ。医者がいなくても、あまり困ってないみたいだ」

「それを今日廃業した医者本人に報告するな! 喧嘩売ってるのか!?」

「いや、そういう意味じゃない」

「分かってる! お前に悪意がないことくらい、もう嫌というほど分かってる!」


マルツェルは頭を掻き、最後には苦笑した。


「まあ……患者にとっては前よりいいんだろうな。薬代を払えなくて帰る患者もいなくなったし、怪我で人生が終わる奴も減った」

「なら、よかった」

「切り替えが早いな、お前!」


少なくとも、万能ポーションを作ったこと自体は間違っていない。


セヴァルドは、そう思った。



それから半年。


万能ポーションは、すっかり街の日用品になった。


家庭には一本か二本。冒険者は数本。工房や鉱山には箱単位で置かれている。


そして、人の考え方まで変わり始めた。


冒険者ギルドへ納品に行った日、受付係が若い冒険者四人を引き止めていた。


「北の坑道は六人推奨だぞ! 四人じゃ危険だ!」

「平気だって! 万能ポーション十二本あるし、死ななきゃ治るだろ!」


笑いながら出ていく若者たちを見送り、セヴァルドは眉を寄せた。


「……そういう薬じゃないんだけどな」


数日後には、鍛冶工房で火傷した弟子へ、親方が「その程度なら仕事を続けろ。終わってからポーションを飲めばいい!」と言っていた。


その話をノイルにすると、真顔で返された。


「もう皆さん、『怪我を治す薬』じゃなくて『怪我してもいい薬』だと思い始めてますよ」

「全然違うだろ?」

「セヴァルドさん以外には、だんだん同じに見えてきてるんです」

「……そんな馬鹿な」

「その馬鹿なことが起きてるんですよ!」


そして街外れの鉱山へ納品に行った日、坑道入口の支柱がひどく傷んでいるのを見つけた。


「これ、交換した方がいいぞ」


セヴァルドが指摘すると、鉱山主は気軽に笑った。


「来月にはやるさ。以前ならすぐ交換したが、今は多少怪我しても万能ポーションがあるだろ? 今月は支出が多くてな」

「いや、そういう薬じゃない! 怪我した人を治すための薬で、怪我していいって意味じゃないぞ」

「もちろん分かってる。ただ、何かあっても治せるなら、金をかける順番は変わるだろ?」


鉱山主は悪人ではなかった。本気で、それが合理的な判断だと思っている。だからこそ、セヴァルドには余計に嫌だった。


困ったセヴァルドは、川で釣りをしていたマルツェルを訪ねた。


冒険者や鍛冶工房、鉱山の話をすると、元医者は驚きもせず「そりゃそうなる」と頷いた。


「怪我したら半年働けない人間と、五分で治る人間が同じ慎重さで生きると思うか? 治療の負担が下がったんだから、危険への感覚だって変わる」

「じゃあ……俺の薬が悪かったのか?」

「そんな話はしてない。病気で苦しむ奴も、治療費で借金する奴も減った。そこまで間違いだったことにするな」


マルツェルは釣り糸を眺めながら、少し考えた。


「嫌なら値段を上げるか?」

「それは駄目だ。買えない人が出る」

「販売をやめる?」

「もっと駄目だ」

「なら薬じゃない方を変えるしかない。お前が薬を変えたせいで、人間の生き方まで変わったんだ。昔の決まりだけ、そのままじゃ無理だろ」

「……面倒だな」

「七軒の診療所を全滅させた男が今さら面倒とか言うな!」


その時、街の鐘が激しく鳴った。


事故を知らせる鐘だった。



「北鉱山が崩れた!」


知らせを聞いた瞬間、セヴァルドは店へ走った。万能ポーションを箱ごと荷車へ積み込み、百本近く抱えて鉱山へ向かう。


これだけあれば助けられる。


そう思っていた。


鉱山へ着くまでは。


坑道の入口は半分崩れ、辺りには土煙が立ち込めていた。血まみれの鉱夫が次々と運び出され、家族たちが名前を叫んでいる。


外へ出てきた負傷者には、万能ポーションが圧倒的な力を発揮した。折れた腕も深い傷も、飲ませれば短時間で治っていく。


だが、救助隊の男が叫んだ。


「中にまだ十四人いる!」


セヴァルドは箱を抱えて坑道へ向かったが、すぐに腕を掴まれた。


「入るな! まだ崩れるぞ!」

「でも、中にポーションを持っていけば……!」

「埋まってる奴に、どうやって飲ませるんだ!」


足が止まった。


ポーションなら百本ある。


だが、瓦礫の向こうにいる人間には一本も届かない。


やがて救助隊が、一人の鉱夫を運び出してきた。胸には折れた木材が深く刺さり、呼吸も浅い。


セヴァルドが反射的に瓶を取り出した瞬間、聞き覚えのある声が飛んだ。


「待て! まだ飲ませるな!」


人混みをかき分けて走ってきたのは、マルツェルだった。


「その木を残したまま傷だけ塞いだら厄介だ! 身体を動かすな、周りを押さえろ!」

「先にポーションじゃ駄目なのか?」

「木まで身体の一部にする気か!? お前、本当にその薬を作った本人か!」

「……それは困るな」

「今気づくな!」


口では怒鳴りながらも、マルツェルの手は止まらない。


運ばれてくる負傷者を次々に診て、助ける順番を決めていく。大きくずれた脚の骨は先に正しい位置へ戻し、身体に食い込んだ異物は取り除く。意識のある者には自分でポーションを飲ませ、呼吸がおかしい者や意識のない者を優先する。


誰を先に助けるべきか、万能ポーションを使う前に何をしなければならないのか。セヴァルドには分からないことが、マルツェルには分かる。


だがマルツェルには、瀕死の傷を一瞬で治すことはできない。


二人の仕事が噛み合った。


「セヴァルド、今だ!」

「分かった!」


マルツェルが処置し、セヴァルドが万能ポーションを使う。一人、また一人と助かっていった。


日が落ちる頃、坑道に取り残されていた十四人のうち、十三人が生きて戻った。


最後の一人だけは、見つかった時にはすでに息をしていなかった。


その男の近くには、折れた古い支柱が転がっていた。


セヴァルドが交換した方がいいと言った、あの支柱だった。


「……俺の薬がなかったら、交換されてたのかな」


地面へ座り込んだセヴァルドが呟く。


「怪我しても治ると思ったから、後回しにした。冒険者だって無茶するようになった。だったら俺が万能ポーションなんて作らなければ……」

「調子に乗るな」


思ったより強い声で遮られ、セヴァルドは顔を上げた。


マルツェルが指した先では、助かった鉱夫たちが家族に抱きしめられている。泣いている男も、治った腕を何度も確かめている男もいた。


「あそこに十三人いる。お前の薬がなかったら、そのうち何人が死んでたと思う?」

「でも、一人は死んだ」

「ああ。だから一人が死んだ原因を直すんだ。助かった十三人まで間違いだったことにはならん」


マルツェルは折れた支柱へ目を向けた。


「お前が作ったのは万能ポーションだ。万能な世の中じゃない。新しい問題が出たなら、今度はそっちを直せばいい」


セヴァルドは二十年前に死んだ男の子を思い出した。


あの頃へ戻すつもりはない。万能ポーションを高くするつもりも、売るのをやめるつもりもなかった。


なら、変えるのは薬ではない。



鉱山事故のあと、街の安全基準が見直された。


万能ポーションがあることを理由に、安全設備や必要な人員を削ってはならない。重大な事故が起きれば「薬で治ったから終わり」にせず、必ず原因を調べる。


薬学協会も、大きく変わった。


ベルガンや旧幹部はすでに去っていたが、若い薬師たちまで消えたわけではない。万能ポーションが広まるにつれ、今度は粗悪な偽物を売る者が現れたため、残った薬師たちは組織を作り直し、製造所の衛生検査や品質確認、偽物の取り締まりを担うようになった。


その話を聞いたノイルは、少し感心したように頷いた。


「結局、薬学協会も必要な仕事は残ったんですね」

「役に立つなら残った方がいいだろ」

「セヴァルドさんに役に立たない部分を全部吹き飛ばされた、とも言いますけどね」

「俺が?」

「その反応、本気なのが怖いです」


そして、マルツェルの元診療所にも新しい看板が掛かった。


『中央救命所』


以前のように、病気の原因を診断して薬を選ぶための場所ではない。事故現場へ駆けつけ、瓦礫から人を助け、骨を正しい位置へ戻し、身体に刺さった異物を取り除く。難産を助け、意識を失った人間を万能ポーションが使える状態まで生かす。


一度は廃業した医者たちの何人かも、そこへ戻ってきた。昔と同じ仕事をするためではなく、長年積み重ねてきた知識を別の形で人を救うためだった。


開所の日、マルツェルは新しい看板を見上げ、心の底から残念そうな顔をした。


「……俺、結局また働いてるんだが」

「よかったな。釣りだけだと暇だっただろ?」

「無職にした本人が言うと腹立つな!」


文句を言いながらも、マルツェルは新しい救命鞄を肩に掛ける。


「まあ、昔より助かる奴は増えた。病気はお前の薬で治るし、俺たちは本当に人の手が必要なところへ行ける。それにもう、薬代を払えなくて帰っていく患者を見なくて済む」

「なら、よかった」

「……お前、本当にそれしか考えてないんだな」

「他に何を考えるんだ?」

「そういうところだよ!」



さらに半年後。


小さな男の子を連れた母親が、セヴァルドの店へやってきた。


「万能ポーションを一本ください」


セヴァルドが青い小瓶を差し出すと、母親は銅貨六枚を支払った。今では生産量も安定し、街の外へ出荷できるほどになっている。


母親は瓶を大切そうに持ち、何度か値札を見直した。


「本当に、これだけでいいんですか?」

「ああ。ちゃんと利益も出てますよ」

「この子、冬になると毎年熱を出すんです。去年までは医者へ連れていくお金を作るために食費を減らしていて……今年は、ちゃんと食べさせてあげられます」


セヴァルドの脳裏に、二十年前の光景が浮かんだ。


薬を買えず、子供を抱いて帰っていった母親。


あの時とは違う。


隣にいた男の子が、青い瓶を見上げた。


「おじさん、なんでこんなに安いの?」


セヴァルドは少しだけ笑った。


「買えなきゃ意味ないだろ」


男の子にはよく分からなかったようだが、母親は深く頭を下げた。


二人が店を出た直後、中央救命所の鐘が鳴った。


ほどなくして、マルツェルが勢いよく扉を開ける。


「セヴァルド! 西門で馬車が横転した! 重傷二人だ、ポーション十本持って来てくれ!」

「分かった。すぐ行く」


セヴァルドが青い瓶を箱へ詰めていると、マルツェルがふと思い出したように眉を寄せた。


「そういやお前、最近また夜中まで研究してるそうだな。今度は何を作ってる?」

「疲労を一瞬で消す薬だ。寝なくても身体が」

「作るな!」

「……まだ説明の途中だぞ?」

「聞かなくても分かる! 完成したら絶対に『これで一日二十時間働ける』とか言い出す奴が出る! 鉱山事故から何を学んだ!?」

「便利だと思うんだけどな」

「お前の便利は便利すぎるんだよ!」


セヴァルドはまだ少し納得できなかったが、万能ポーションの箱を抱え直した。


「ほら、事故なんだろ? 急ぐぞ」

「誰のせいで話が脱線したと思ってるんだ!」


二人は言い合いながら店を飛び出した。


二十年前、セヴァルドは「安い薬は市場を壊す」と言われた。


実際、かなり壊した。


薬学協会の古い仕組みは崩れ、街の医者は一度全員廃業した。


けれど、薬を買えずに病気の子供を抱いて帰る親はいなくなった。


それなら、セヴァルドにとっては十分だった。

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― 新着の感想 ―
セヴァルドが万能薬のレシピを秘匿したまま亡くなったら、この街のおかしな現象も終わって以前の通常へと戻りそうですよね。一念を貫く天才は怖いです。
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