ep.7 空に還る魂 (1)
朝日の差し込む宮殿で、メルヴィナは視界に入った金色に首を傾げた。
「姉さん……? 最近早起きになったって侍女たちが噂していたの、本当だったのね。それにしても、こんな早朝に視察?」
まだ少し眠そうな声で問いながら、メルヴィナがセレイアのそばへと泳ぎ寄る。
セレイアはくるりと振り返ると、人差し指を口の前で立てた。
「おはよう、ルヴィちゃん。ちょっとだけ散策に行くだけだよ」
向けられた楽しそうな笑顔に、メルヴィナは疲れたようなため息を吐く。
「そう。言っても聞かないのは分かってるから止めないけど、もし東の海へ向かうつもりなら気をつけて。人間同士の争いごとがあったみたい。近くに兵がいないとも限らないわ」
性懲りも無く愚かしい、とメルヴィナが苛立たしそうに顔を顰めた。
セレイアは少しの距離を泳いで詰めると、両手で妹の頬を包んだ。
「ほらルヴィちゃん、可愛いお顔が台無しだよ。帰ってきたら、今日は一緒に里の子供たちのところに行こう。わたし、ルヴィちゃんの歌が聞きたいわ」
メルヴィナは両頬の手を掴んで外させると、仕方がないといった表情で、姉の申し出を了承した。
その返答に嬉しそうに笑って、セレイアはひらひらと宮殿の窓から外の海へと泳いで行った。
◇
薄い尾ひれが、暗い海底を揺蕩う。
水深の深いこの辺りの海域は、宮殿やリュアの里と比べても、海面からの光が届きにくい。
「まだ調べてないのは、この辺りだけれど……潮に飲まれたというのなら、もう少し深いところも見てみるべきかしら……」
独り言を呟きながら、セレイアが海の底深くを進む。
宮殿を出てから少し時間が経っており、今日もそろそろ帰らなくてはならないだろうかと考え始めた。
「また適当な石に印をつけて……あっ!」
きょろきょろと周囲を見渡していた彼女の視界の端に、何かがきらりと光った。
慌てて旋回して、大きな岩の下を覗き込む。細い空間に、貝とは違う輝きが見えた。
岩の隙間に目一杯手を伸ばして、ゴツゴツとした岩肌を手探りすると、セレイアは指先に触れた硬いものを掴んで引く。棒のような形状のそれは、想像していたよりも長く、何度も岩の突起や窪みに引っ掛けながら、最後は両手で何とか引き摺り出した。
「やった、取れた……!」
セレイアが嬉しそうに成果物を掲げる。
海底の微かな光を反射して、剣身は鈍く揺らめいた。
◇
真夜中、誰にも見られていないことを確認してから、セレイアは宮殿の窓から身を滑り出させた。
ガキン、と硬い音を立てて、珊瑚の窓枠に荷物が引っかかる。
セレイアが慌てて周囲を見回す。幸いなことに、警備の衛兵には見つからなかったようだった。
布に巻かれた剣を大切に抱え直して、セレイアは入り江の方角へと泳いだ。
「ごめんなさい、待たせちゃったかしら」
夜の入り江で、セレイアが宙に浮かぶ影へと声を掛ける。
「問題ない。……それは?」
カイルラスは振り返り、彼女の胸に抱かれた物を指して尋ねた。
ちょっと待ってね、とセレイアの細い指が、入念に巻かれた布を解いていく。そこから現れたものに、カイルラスははっきりと目を見開いた。
「何故、お前がそれを」
「ああ、良かった。これであっていたのね。戦があったっていう場所の近くの海域で見つけたの」
そう言ってセレイアが剣を持ち上げる。剣全体が海中から上がったところで、想定よりもかなり重たかったのか、セレイアの身体がぐらりと揺れた。
「きゃっ……あ、ありがとう」
放り出されかけた剣を片手で受け取り、反対の手でセレイアの身を支えると、カイルラスはじっと彼女の薄紫の目を見下ろした。
「お前は……」
少しの沈黙の後でそれだけを言って、カイルラスはまた口を噤んだ。
夜風が辺りを吹き抜け、長い金髪と短い鳶色の髪を揺らす。
しばらく黙って目を瞬かせていたセレイアは、はたと自分の体勢に意識を向けた。男の大きな手に抱き抱えられるような形で、尾ひれが半分以上海から出ている。いつの間にか、カイルラスはどこか遠くを眺めているらしい。斜め下から見える彼の顔から、膨らみのある喉、広い胸、と視線を落としていき、セレイアは自らの両手が衣服を握りしめていることに気が付いた。
「あっ、ごめんなさい。すっかり濡れちゃってるわ。飛ぶのに支障はない?」
「……翼が水を含めば重くもなるが、その程度であれば何の問題もない。俺の方こそ、すまなかった」
そう告げると、カイルラスはセレイアの身体をそっと離した。
水音を立てて再び海へと戻ったセレイアは、上半身だけを海上に出し、小さく首を傾げる。
「何に想いを馳せていたのか、聞いてもいい? その剣の持ち主だった、ヴァレアの戦士のヒト?」
「ああ」
カイルラスは両手で濡れた剣を握ると、柄に自らの額を寄せた。
「戦士であった奴の魂、その幾許かは、この剣に宿っていることだろう。礼を言う。お前の厚意により、この者は空へ還ることを許された」
「死んで空に還ることも、あなたたちの誇り?」
「ああ。……お前に、見せたいものがある。明日の真昼、太陽が頭上を指す頃に、再びこの場所へ来られるだろうか」
じっと真っ直ぐにこちらを見据える目に、セレイアは嬉しそうに微笑む。
海流に連れ去られかけている布を指先で掬うと、剣を包まずに胸に抱いて、もちろんだと頷いた。