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ep.5 海と空の交差

 澄んだ夜風が海上を吹き抜ける。

 小さな波の合間から、セレイアはそっと顔を出して、周囲の様子を伺った。


 静かな夜の海には、誰の姿も見つからない。それを確認してから、セレイアは陸の方へと少し泳ぎ、入り江のそばでまた海から顔を出した。


「誰もいない……あの人は助かったかしら……。翼人族が死んだらどうなるのか、調べておけばよかったわ」


 数日前に男の倒れていた場所に、少なくとも死骸や骨の類は無い。人魚族が死んだら海に還るものであるし、人間族であれば埋葬というものをするらしいが、翼を持つ彼らがどのように死を扱うのかは分からない。


 とりあえずその辺りに埋まっておらず、生きて空へと帰ったことを祈りながら、セレイアは軽く息を吸い込んだ。


「……先日のお前だな」


「きゃあああ⁈」


 まさに歌おうとした瞬間に、不意に頭上から声を掛けられ、セレイアは悲鳴を上げて海へと飛び込んだ。


 荒くなった鼓動を何とか宥めて、水中から空を見上げる。ほとんど黒ばかりであるはずの夜の空に、茶褐色の翼が見えた。


 少し悩んでから、セレイアはそっと海面の方へと泳いでいく。ちゃぷん、と鼻から上だけを出してみると、少し先の空に浮かんでいるのは、やはりこの間の翼人族の男だった。


「あ、あの……」


 そっと小声で呼びかけてみると、海中からの声が聞こえたのか、男は空中で振り向いた。


 大きな翼と同じ鳶色の髪、人間族のものより軽装の鎧に、腰に差した剣と、両足の先には鋭い鉤爪を携えている。


 ばさりと羽音を立てて、男がセレイアへと近付いた。その眼光は暗い空の中でも鋭く光り、片手は常に剣へと添えられている。


 セレイアはまた海へと逃げ帰りかけて、今度は潜水する直前で思いとどまった。額まで沈んだ頭を再び海面へと持ち上げると、無言で男の発言を待つ。


 空から海面を見下ろしながら、男がゆっくりと口を開いた。


「ここに来ればまた相見えると、もう一度この場所を訪れるだろうと思っていた」


「えっと……? それは、わたしに言ってるの?」


「他に誰がいる」


「今夜は月と、あと星がたくさん。魚も貝も、この辺りの子たちは皆眠りにつく頃だわ。入り江の夜は静かなの」


 セレイアが周囲を見渡しながら答え、何かを思い出したようにぽんと手を打った。


 男が何かを答えるより早く、セレイアは軽く水を蹴って彼に近寄る。宙に浮かぶ男の真下付近へとやって来ると、彼に向けて真っ直ぐに手を伸ばした。白く細い腕から、海水が滴り落ちる。


「あの時は、助けてくれてありがとう。あなた、大丈夫? ちゃんと飛べるのね。傷はもう痛まない?」


 海面からじっと見上げてくる薄紫の双眸から逃れるように、男が少し視線を逸らせた。

 二人の間には沈黙が流れ、夜風が海を鳴らす音だけが聞こえる。


 やがて、男の口から息の漏れる音がした。


「……お前には命を繋がれた。種族の矜持も儀礼も顧みない行為だ」


「? ああ、口移しのこと? えっと、気に障ったのならごめんなさい。だってあなた、そのままだと全然飲んでくれそうになかったから……」


 男の目が真っ直ぐにセレイアを見た。ほんの僅かに見開かれたような双眸は、やがて伏せられ、今度こそ明確なため息の音が漏れた。


「それについては初耳だが、俺の意図はそこにはない。翼人族は、他者の血肉を受け入れぬ。矜持の問題だ。だが……拾った命を投げ捨て、恩を拒むこともまた、俺の矜持には反する」


「えっと……つまりあなたたちヴァレアの民にとって、血を飲むことはいけないことだったのね。それは知らずに悪いことを、ごめんなさい。でもあなたは、そうやってお礼を言うために、わざわざこの入り江に通ってくれていたのね」


「ともかく、この借りはいずれ返す。……名乗りが遅れた。俺はカイルラス。名を聞いても?」


 腰の剣から手を離し、カイルラスが静かに問う。

 セレイアは嬉しそうに笑うと、ぱちんと両手を合わせた。


「わたしは、セレイア! 貸し借りよりも、わたし、あなたとお友達になりたいわ」


「……リュアの姫君ともあろう者が、何故俺のような者に興味を持つ。お前も知っているだろう。我らはこの翼と剣をもって、人間族の守護を任せられている」


「わたしが王の娘だって、どうして分かったの?」


「我らを翼人族ではなく、ヴァレアと呼ぶのは、種族の王座に近しい者だけだ」


「それならあなたも、ヴァレアの王様か何かなのね? だって、わたしたちをリュアと呼んだもの。あなたが王様なら、なおさら死ななくてよかったわ。民たちが困ってしまうでしょう?」


「……ヴァレアに王は無い。一族の長であった父は既に空に還った故、今は俺が彼らを束ねる立場にある」


 暗い空を軽く見上げながらカイルラスは答えた。


 セレイアがくすくすと楽しそうに笑う。訝しげに見下ろした男に向かって、再び細い腕を伸ばした。


「ほら、こうやっておしゃべりすれば、あなたたちのことをもっとよく知ることができるし、わたしたちのことも知ってもらえるわ。お互いに知っていることが増えたら、そうしたらきっと、今よりもっと歩み寄れると思うの」


「……リュアは三種族の中でも特に排他的な性質だと思ったが」


「ええ、そうなの。だからわたし、父様にも皆にも、いつかもっと他の種族に歩み寄って欲しいと思ってるの。だって、争うよりも仲良くした方がきっと素敵だもの」


 にこりと笑いかけたセレイアに、カイルラスは返答を返さない。

 無言のまま翼を羽ばたかせ、恵まれた体躯は再び宙へと距離を取った。


 少し高いところから、カイルラスがセレイアを見下ろす。鋭い眼光と、尖った鉤爪が月の光を反射した。


「夢想家の娘を持ち、リュアの王も頭を痛めていることだろう。お前はあまりにも現実を知らぬ。我らヴァレアが、ただ好意によって人間族に仕えていると思うか。明日にでも、お前たちリュアに攻め入らんともしれぬのだぞ」


 低く冷たい声が海上へと降ってくる。

 セレイアは伸ばしていた腕を下ろすと、男に向かって微笑みかけた。


「でもあなたは、こうしてわたしの話を聞いてくれてるわ」


 カイルラスはしばらく沈黙してから、深いため息を吐いた。ばさりという羽音と共に、鉤爪が海につきそうな位置まで降りて来る。


 じっと見つめるセレイアに向かって、大きな手が差し伸べられた。


「俺としても、避けられる争いで互いの血を流すことは本意では無い。種族間の知見を深めるため、リュアの姫君の話し相手を務めさせてもらいたい」


 真っ直ぐに見つめ返されながらそう提案され、セレイアは顔を輝かせた。


「ありがとう! お友達になってくれるのね!」


「……その申し出については保留とさせてもらう。ヴァレアの民は友を尊ぶ」


「ええ、分かったわ。じゃあわたしのこと、もっとよく知ってもらって、あなたにお友達だって認めてもらえるように頑張るから、よろしくね!」


 濡れた両腕が勢いよく伸ばされる。


 空中でほんの少しだけ身を屈めて、カイルラスはその両手の指先に自らの指を掠めさせた。

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