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ep.21 渦に沈む翼

 鳶色の翼が空を舞う。

 大陸から海を隈なく見渡し、他の騎士たちに引き続き捜索に当たるよう指示を出してから、カイルラスは眉を寄せた。


 空の民の目をもってして、これだけ探しても見つからないということは、これはきっと単なる失踪ではない。集団による計画的なものかと、小さく舌打ちを漏らした時、視界の端にきらりと反射された光が見えた。


 ◇


「そちらの状況は」


 上空から舞い降りるや否や、カイルラスは問うた。

 対するノアリスは、普段より深い疲労を滲ませた顔を横へと振る。


「反戦派の諸侯を掻き集めて、何とか寸前で踏みとどまらせている。それも……あれが来れば終わりだろうけどな」


 断崖から身を乗り出すようにしてノアリスが海面を指差す。遠く、水平線が不自然に揺れ動いていた。セレイアが兵を抑え切れなかったか、それともアルヴェニルが再度台頭したか。どちらにしても状況は最悪だ、とノアリスはため息を吐いた。


「悪いな、カイルラス。お前に示したオレの道には、やはりどうにも障害が多過ぎる」


「そのようなことを言うために呼んだわけではないだろう。……やはり、陸か」


 地面に足をつかないままでカイルラスが再び問う。断定的な物言いに、ノアリスは数秒黙り、じっと湧き立つ海面を見た。


「メルヴィナを攫ったのは、宰相の手の者だ」


「所在は」


「目星は付いてる。ご丁寧に、オレに分かるように痕跡を残していきやがった。……共にあるところを見られたらしい。オレの落ち度だ」


 ぎりと微かな音が鳴る。カイルラスの視線の先で、ノアリスの拳が硬く握られていた。


 やはりか、とそう答えてカイルラスが断崖に降り立つ。恐らくは海の混乱と、報復による開戦のきっかけを狙ったもの。加えて、自分たちにとって邪魔な皇帝を引き摺り下ろすことにも目的はあったのだろう。


「行くのか?」


「ああ」


「これが仕組まれた事態であるという可能性は」


「間違いなく罠だろうな。だが、オレにとっても都合がいい」


 そう言って、ノアリスは海へと背を向ける。腰の剣を引き抜くと、柄の美しい装飾とは対照的に、使い込まれた剣身が鈍い光を放った。


「他種族であろうと、王族へ危害を加えることは重罪だ。たとえ死んだって文句は言えない」


 そうか、とカイルラスが端的に答える。それ以上問いを重ねることはしなかった。


 ばさりと羽音が鳴り、大きな身体が再び浮かび上がる。


「境界線の警戒を続ける。間に合わせろ」


「はいはい。親友の信頼には応えるさ。そっちは任せた」


 後ろ手にひらひらと手を振って、ノアリスは王城の方角へと消えていった。


 ◇


 皇帝は件の姫君を救出しに向かった。そう仲間たちに告げて、カイルラスは引き続き空の警戒を続けるように命じる。


 辺りの風が急激に冷え込んできている。嵐の前触れだ。上空から見下ろしたいつもの入り江、その美しい白浜は高波により荒らされ切っている。


 ――わたし、今がすごく楽しいわ。


 以前にそう言った女の声が耳奥に響いた気がした。海を侵略する人間の皇帝と、それに仕える空の騎士、陸を憎む人魚の王の娘たち。その奇妙な交流会は一年近くに渡って続けられてきた。


 そういえば最初にあの娘を助け、反対に血を与えられたのも、ちょうどこのぐらいの時期だったかと思い出す。そこでようやく、自分が回顧しているのだと気が付いて、カイルラスは微かな笑い声を漏らした。


「俺も、お前を知れることは興味深い。石像の話も、今ならば少しは理解が出来そうだ」


 誰もいない入り江に向かってそっと囁く。言い終えると同時に耳に届いた高い音。その発生源へと向かい、カイルラスは暗くなり始めた空を切り裂くように飛んだ。


 ◇


 笛の音が聞こえた岩場へと、カイルラスの翼は間も無く辿り着く。

 以前に耳にしたものとは明らかな違いがあると思ったが、待ち受けていたのは陸を目の敵にする海の王だった。


「セレイアをどうした」


 舞い降りると同時に降ってきた問いに、アルヴェニルは顔を歪ませる。実に忌々しいものを見るような目付きで、海上に浮かぶカイルラスを見た。


「お前か。娘を誑かした翼人族というのは」


 揺れる波の上に立ち、はっきりと嫌悪を滲ませた声でアルヴェニルが問い返した。カイルラスは手にした剣の先を男へと向ける。


「セレイアは何処だ。笛を奪い、深い水底へ自由すら奪ったか」


「控えよ、滅びに瀕した下賤の民が」


 向けられた剣先に、アルヴェニルは不快そうにそう言い放った。低い声が海を震わせ、カイルラスの足元から鋭い水の刃が飛ぶ。


 夕暮れの空に翼がはためき、恵まれた体躯が音もなく宙を滑る。最後に波を両断すると、カイルラスは剣を振って水滴を飛ばした。


「もう一度聞く。セレイアは。何故そうもあの娘の道を邪魔立てしようとする」


「……本当に忌々しい。翼を得るがために歴史も責任も手放した愚かな種族。その上、存続に足掻き陸の人間に尾を振るとは。醜悪な人間共とは違い、貴様たちはただただ愚かだ。何より、儂の娘に近付いた。美しいあの娘の魂を汚したその罪、生きながら深海魚らに喰われるが良いわ」


 ざわりと、アルヴェニルの髪が逆立つ。海に穴が空いたかと思うと、そこから幾つもの渦が立ち上り、やがて空高く伸びていく。


 翼を濡らす飛沫に舌打ちしながら、カイルラスは剣を納めた。うねるように頭上から襲いくる渦の柱を、宙へと舞い上がって躱す。


「あの娘の安寧は海より他にはない! 二度と妄言を吐かぬよう、父たる儂が手ずから全てを沈めてくれよう」


 声の魔力に応じるように、海はまるで生き物のようにカイルラスを襲う。

 波と大渦の隙間を縫うように、翼を背負った身体が宙を舞った。


「違う。あの娘は海を愛している。しかしそれと同じだけ、陸と空、そこに住まうものを愛そうと抗っている」


「それが過ちだというのだ! 海を離れたリュアは、愚かにも大海の加護を手放した者どもは、皆例外なく非業の終わりを迎える! 大いなる海は裏切り者をけして許しはせぬ」


「それを許さぬは海ではない。お前だろう、リュア王アルヴェニル」


 降り注いだ大波を切り裂いて、そのままカイルラスの剣がアルヴェニルの身を捉えた。真横に振り切った刃が、魔力を纏った肌に受け止められる。


 カイルラスは舌打ちしてすぐにその場を離脱する。天空へと昇る身体を鋭く伸びた海水が追う。まるで鎖のようなそれらは、ついに鉤爪へと追い付くと、幾重にも巻き付き捉えて男の身体を引き摺り落とす。


「儂の意思が、海の意思だ」


 海へと叩き落とされる寸前、一瞬だけ視線の絡んだアルヴェニルがそう吐き捨てた。


 

 大きな飛沫を上げて、カイルラスの身体は海面を割る。そしてそのまま海底へと引き摺り込まれた。周囲の海水はまるで鉛のように重く、手足に絡み付いて離れない。


 ごぼ、と口から気泡が漏れる。手にしたままの剣を何とか握り直し、拘束を断とうとした時、彼の胸元で何かが光った。


 与えられた血肉に寄ってきていた深海魚たちが、眩しさを嫌って散り散りに逃げていく。いつの間にか解放された手でカイルラスがそれを取り出す。透明の美しい鱗が淡い光を放ち、そしてそこから何やら歌声のようなものが聞こえるような気がした。


 ぐっとそれを握り締めて、カイルラスは海中で姿勢を整える。鉤爪が海底を蹴り、一度だけ大きく羽ばたいた翼によって、男の身体は深海から急浮上した。



 間も無く、翼が再び海面を割る。カイルラスは少し咳き込んでから、鱗を懐にしまい込んだ。

 あの暴虐の王の姿は既に見えない。宣言通りに陸を沈めるべく海へと戻ったのだろう。


 カイルラスは濡れた髪を掻き上げると、無言のまま真っ直ぐに陸の方へと飛んだ。

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