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ep.20 開戦宣言

 カイルラスと別れたセレイアが、宮殿へ向かって潜水する。

 尾ひれは酷く重く、動かすたびに軋むような感覚すらある。


 また涙の浮かびかけた両目をセレイアは強く閉じる。大丈夫だ、と何度も繰り返し小声で唱えた。


「空と陸は、二人が探してくれる。絶対に酷いことは起こさせないって、カイルラスが約束してくれた。友との約束は、絶対だもの――」


 ぶつぶつと自分に言い聞かせる。自分はリュアであって、空に生きる彼らとは違う。それであっても、あの交流から学べることはあったはずだ。


 油断すると瞼の裏に浮かびそうになる母の骸の光景。それを振り払うように、セレイアは強く首を横に振った。


「過去は手放せない。それでも、これからどうするか、考えることは出来るはずよ」


 胸元にしまった笛と貝殻の破片を握り締めながら、両の目を開く。

 そのまま真っ直ぐに、海底宮殿を目指した。



 セレイアが宮殿に身を滑り込ませる。

 まずは各地に派遣した衛兵たちから話を聞いて――そう考えたところで、ようやく違和感に気がついた。


 静かだ。忙しなく泳いでいるはずの侍女の姿も、巡回する兵の姿もない。思い返せば、洞穴からここに辿り着くまで、誰一人ともすれ違うこともなかった。


 泡の一つも浮かばせない宮中は、まるで夜更けのように静まり返っていながら、それでいて妙な緊張感のようなものが漂っている。

 嫌な予感を感じながら、セレイアは王の間を目指し、そして重い扉を両手で開いた。


「お父様――これ、は……」


 煌びやかな室内で、壁に沿うようにして衛兵たちが並び立っていた。

 正面の高い位置にある玉座にはいつものようにアルヴェニルが腰掛けている。


 彼らはまるで部屋の中心を取り囲むようにしており、そしてその中央には人影が漂っていた。

 慌ててセレイアが駆け寄る。翼も鱗も持たぬ陸の民は、深い海の底で既に事切れ、濁った瞳がどろりとこちらを睨んだ。


「お父様! これは、どういうこと⁈ どうして人間がここに……!」


「海上にて不審な動きをする者を捕らえた故、泡に閉じ込め話を聞いた。セレイア、お前の愛しい妹を拐かしたは、その者らだ」


「っ――⁈」


 ざわり、とセレイアの周囲に泡が立つ。

 そのまま目の前の骸を水流で押し潰そうとしたが、すんでのところでそれを堪えた。


 両腕で自らの身体を抑え、首だけを回して周囲の兵を見渡す。彼らの顔に一様に浮かぶ憤怒に、ここでどのような尋問が行われ、そしてこの人間が何を吐いたのか、推察することは容易だった。


 震える喉から息だけを吐き出し、セレイアは玉座へと泳ぎ寄る。すぐに父王の目の前まで辿り着いた。アルヴェニルはいつの間にか立ち上がり、見下ろす視線はこちらの発言を待っているようだった。


 セレイアは静かに首を横に振る。それだけは許してはならないと思った。


「まずは、得られた証言を正確に。その上で、帝国の皇帝へと使いを送ります」


「お前は何を言っているのだ、セレイア。王の血筋を害したのだぞ。この期に及んで話し合いの余地などない」


 呆れたようなため息を吐いてから、アルヴェニルは冷たい声で答えた。すぐに室内から、そうだ、という賛同の声が上がる。背後で熱狂が逆巻く気配に、セレイアは微かに表情を歪めた。


「それでも、ここで攻め入れば開戦の口実を与えることになる。聞いて、お父様。帝国には、海との争いを望む者とそうでない者がいる。仮にその人間の証言が真実だとすれば、それはきっと皇帝に反旗を掲げ、戦を起こそうとする者の――」


「愚かな人間どもが大戦を望むというのであれば、望み通りにしてやろう!」


 壁を震わせるような、強い声が響き渡る。ガン、とアルヴェニルの持つ杖の先が床を突いた。その一点を起点として、既に湧き立ちかけていた水が逆巻き始める。待って、というセレイアの声は、背後からの歓喜の声に掻き消された。


「大海中の全ての兵を集めよ! 里の者と、この海に住まうあらゆる生物に周知せよ! 軍備を整え、明朝の日の出とともに大陸へと打って出る! 一度ならず二度までも、リュア王家を害した愚か者共、この度こそは陸地ごと全て沈めてやろうぞ!」


 王の怒声に海が応える。逆巻く大波は宮殿の外まで広がっていく。


 嵐のような水流の中でセレイアが振り返る。衛兵らは興奮のまま波を横切り、窓から無尽に大海へと散っていった。


 なす術もなく彼らを見送り、未だ荒れる室内でセレイアはへたりと座り込んだ。戦争が始まってしまう。最後の火種となった人間の骸は、この渦によって何処かへと弾き飛ばされてしまったのだろうか、既にこの場には存在しなくなっていた。


「どうして……」


 呟きながら重い首を回し、再度父王を振り返った。


 アルヴェニルが悠然とした動きで泳ぎ寄って来る。そっと伸ばされた手が、実に愛おしそうにセレイアの頬を撫でた。


「お前のためだ、セレイア」


「何……何が……何が私のためだって言うの……! メルヴィナのことだって、あれだけ邪険にしておきながら、こんな時ばかり利用して……!」


 ぐっと膝上で拳を握り、セレイアは次第に語気を荒げた。


 アルヴェニルは向けられた怒りを物ともせず、愛娘の乱れた髪を撫で付ける。いつの間にか、逆巻く水流は少しだけ弱くなっていた。


 お前のためだ、ともう一度繰り返してから、父王はセレイアの目をじっと見る。ゆっくりと男の口が動いた。


「セレイア、愛しく愚かな娘よ。お前が陸の皇帝と、さらには空の首領と懇意にしていることは知っておる」


「っ……あっ……⁈」


 びくりと身を跳ねさせたセレイアの首元に、太い指がかかる。そのままぶつりという音を立てて、そこにかけた紐が断ち切られた。


 笛を奪われた。王の手の中にあるそれを見てから、セレイアはようやく気がつく。慌てて伸ばした腕が水流に阻まれた。


「返して! それは、それはカイルラスが……! っ、返して‼︎」


 渦の中でセレイアが叫ぶ。父王の魔力による水流はセレイアの動きを阻むように全身に纏わりつく。


 すぐに自らも波を起こそうとして、セレイアは声を発する直前で飲み込んだ。メルヴィナの安否への不安、拐かしたという人間への怒り、入り江での邂逅を知られたという動揺。感情が複雑に混じり合い、魔力が少しも制御出来ない。


 はあ、とアルヴェニルがため息を吐いた。


「このようなくだらぬ物を壊すことが恐ろしいか、セレイア。お前は要らぬ記憶を蓄えた。昔のお前はより美しく、純粋であった。その鱗を醜く濁らせた者共、放っておいても瞬きのうちに死ぬものと思うたが……これもお前のためだ、セレイア」


「っ、お父様‼︎」


 意図を察し、セレイアが反射的に叫ぶ。身を拘束する渦を裂くように鋭い水流が噴き出て、父王の身体を大きく吹き飛ばした。


「ぐっ……」


 衝撃を受けた身体を立て直して、アルヴェニルは頬の痛みに手をやる。どうやら少し切り裂かれたらしい。海水に赤い線が流れ出た。

 ゆっくりと、捕らえた愛娘を振り返る。渦の中でセレイアは顔を真っ青にして、両手で自らの口を押さえていた。


「あの馬鹿娘を牢へ」


「……かしこまりました」


 アルヴェニルの指示に、ここまで沈黙を貫いていた老人魚が腰を折って静かにそう答えた。

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