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ep.18 狭間の二人 (1)

「セレイア様、視察の兵たちが皆戻りました」


 衛兵の一人にそう報告され、セレイアは頷くと、彼らを王の間へ集めるように告げた。

 すぐに兵たちが集結する。玉座についたセレイアは、彼らに楽な姿勢を取るように言い、報告を促した。


「先月に暴れていた海獣の群れですが、結局リーダーを失った様子。加えて餌場を減らし、次の繁殖期には里への被害が懸念されます」


「海溝の調査について、引き込む海流がまた一層強くなっています。特に女子供には近付かないよう令を出すべきかと」


「南の海藻帯付近にて、人間の張った網を観測しました。今月二度目です。あの辺りには魚群の産卵期の為、漁の禁止を告げているはず」


 最後の衛兵の報告に、またか、という声が複数漏れ聞こえた。

 ありがとう、とセレイアは兵たちに礼を言い、少し考えてから立ち上がった。


「帝国へ、再度の勧告を出します。状況を理解しないようであれば、私が直接――」


「セレイア」


 低い声が発言を遮る。セレイアが首だけで振り返ると、もう一つの玉座に腰掛けたアルヴェニルは無言で首を横に振った。

 はあ、とセレイアがため息を吐く。


「……説得が難航するようであれば使いを送ります。海獣たちの混乱と、海溝の異変についてはこの後私が向かいます。担当の兵は詳しい状況を」


 他に何か、と問うと兵たちからは沈黙が返る。それで今回の視察の報告は終わりとなった。



 数人の兵から更に話を聞いた後で、セレイアは玉座に腰掛ける。室内には既に衛兵たちはおらず、彼女の他にはアルヴェニルと、いつもの老人魚が控えているだけだった。


「そういう訳で、またしばらく宮殿を空けるわ。お父様、兵たちのことはお任せしても?」


「無論構わぬ。それよりもセレイア、昨夜遅くに深海より戻ったばかりであろう? 疲れてはおらぬか?」


「いいえ、大丈夫よ。……深海魚たちは、言葉が通じにくくなっている者がいたわ。もしかすると、完全に手を離れてしまう前に兵を送っておいた方がいいかもしれない」


「分かった、お前がおらぬ間に手配しよう。セレイア」


 そう言ってアルヴェニルが手招きする。

 セレイアは重いひれを動かして隣の玉座へと泳ぎ、父の尾ひれの鱗へと触れた。アルヴェニルはその手をそっと包み込む。


「お前はよくやっておる、セレイア。リュアは大海の全てを統べる。王の代替わりには、海は混乱するものだ」


「ええ、お父様。改めて、私が王座を継ぐことを許してくださってありがとう」


「何を言う。お前こそがリュア王家の後継。レティシアのことは、伏せていてすまなかった。お前が受け止められるようになるまではと思ったのだ。あの悼むべき惨事をな」


 アルヴェニルが苦しそうに眉を寄せる。

 セレイアがもう一度礼を言った時、王の間の扉が開いた。


「失礼します、姉さ……セレイア様」


 すぐに姉をそう呼び直し、メルヴィナは一礼してから玉座の前まで泳いできた。

 何用だと問うセレイアに、牢の兵のことだと即座に返す。


「セレイア様、確かにあの兵は船を沈めたわ。でもあれは事故よ。禁じられた領海へ進もうとするので、波を起こして止めようとしただけで、害するつもりじゃなかった」


「つもりがなくても、海は彼らを飲んでしまったわ」


「だからって……今月一体何人をそうやって牢に送ったと……! 陸との融和策は支持するわ。でも――」


 発言を遮るようにセレイアが立ち上がる。静かにメルヴィナのもとへと泳ぎ寄ると、彼女のすぐ目の前ではっきりと告げた。


「メルヴィナ、私の決定が、海の意思よ」


 姉の言葉に、メルヴィナは無言で背を向けると王の間を後にする。

 セレイアが振り返る。玉座では父が満足げに目を細めていた。


 ◇


「だから、禁漁区に船を出さないでって、口が裂けるほど言い続けてるでしょ! 姉さんがいくら目を光らせたって、今回みたいなことがあるの!」


 入り江で、メルヴィナが声を潜めて怒鳴る。

 ノアリスは軽く髪を掻いてから、すまなかったと頭を下げた。


「国に届けも確認できなかった。密猟だ。だからと言って沈められていいという訳ではないが……」


「……分かってるわよ。ごめんなさい、あたしが行った時にはもう、生存者は……」


 メルヴィナが悔しそうに言い、ふいと視線を逸らせた。


「キミのせいじゃない。……カイルラス、そっちは」


「遠く、巡回の灯りが動いている。まだ距離はあるが、手短に済ませるべきだ」


 カイルラスは二人の頭上からそう答えた。


 セレイアが王を説得し、海への全面立ち入り禁止令は撤回された。緊張状態は僅かながらに緩まり、陸海双方の兵も以前ほど厳しく見回ることは無くなったが、以前は静かだったこの入り江にも人目が近付くようになってきていた。


 はあ、とノアリスがため息を吐く。


「悪い、メルヴィナ。セレイアが稼いでくれた貴重な時間だ。こっちも強行的に条例を整備してはいるが、どうしても末端まで手が回り切らない」


「少しは理解してるつもりよ。城の中は?」


「反戦ムードに押されて、少しはなりを顰めてる」


 陰でどんな悪巧みをしていることやら、とノアリスが肩を竦めた。宰相や軍務卿、前皇帝に親しくしていた諸侯たちの中には、やはり海との交戦を望むものも多い。


 しばらく難しい顔をした後で、止めだ、とノアリスが頭を掻いた。


「とにかく、こっちはこっちでやれることをやる。そっちはどうだ? 正直驚いた。あのお父君が、こんなに素直に言うことを聞くとは」


「それは……当然よ。セレイア姉さんの力が戻って、それでずっと海にいるんだから。お父様の望みは叶っているわ。人間のことなんて二の次よ」


「そうか……セレイアは」


 ノアリスの問いに、メルヴィナは無言で首を横に振った。そうか、とノアリスがもう一度繰り返す。


 セレイアがカイルラスから笛を受け取って以降、彼女がこの入り江を含む海上へと姿を現すことは一度もなかった。アルヴェニルの機嫌を損ねるという理由と、それ以上に海の混乱が深刻なのだとメルヴィナは苦々しげに続けた。


「リュアは、あんたたちが言うところの一枚岩よ。王の判断に異を唱えるものなんて滅多にいない。でも、だからって何も思わないってわけじゃないの」


「アルヴェニルからセレイアへの代替わりで、あまりに方針が違い過ぎて混乱している?」


「そう。そしてリュアの困惑は海を惑わすわ。あちこちで問題が頻発してる。姉さんはそれを全部一人で何とかされようとするから……少しは休んでって、あたしの言葉だってもう届かない」


「だがセレイアにとって、キミだけは特別だと」


「特別よ。姉さんはあたしを愛しているわ。……愛しているからよ」


 それはどういう意味だとノアリスが問うたが、リュアにしか分からないことだとメルヴィナはそっぽを向いた。


 ばさりと羽音がなる。ノアリスは頭上を見上げて無言で頷いた。


「メルヴィナ、今日はここまでだ。また来週、同じ時刻に来られるか」


「ええ」


 問題ない、とメルヴィナは頷き、背後の海へと音もなく飛び込む。


 夜の海に溶け込むような黒い髪が波の合間から覗いた。

 じっと空に浮かぶ翼を見て、メルヴィナは何かを言いかけると、それを飲み込んで海中へと姿を消した。

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