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-幕間3- 潮風の視察 (2)

 青い空に、朱がさし始めた。

 今日はこの辺りにしておこうと、ノアリスが海の方角に向かう馬車へと乗り込む。


 行きと同じくよく揺れる車内で、メルヴィナは足を軽くさすった。歩くことに問題はないものの、こう丸一日となればさすがに疲れる。


「痛むか? 悪いな、歩かせ過ぎた。泳ぐのとは随分勝手が違うだろ」


「別に。あたしは姉さんと違ってたまに練習してたから」


「へえ。実は昔から陸に憧れてたとか?」


「馬鹿言わないで。……いつか姉さんが、陸を調べたいって、そう言い出すと分かっていたからよ」


 それより、とメルヴィナは正面に座るノアリスを振り返った。

 そのまま頭が下がり、長い黒髪が床の方へと流れる。


「今日はありがとう。正直、付き合ってくれるとは思わなかったわ」


「そりゃ付き合うさ。他でもないキミの頼みだ。しかも、種族の和平のためとあれば、オレの悲願でもあるからな」


 だからその綺麗な髪が汚れる前に顔を上げてくれ。そう言ってノアリスはやんわりとメルヴィナの頭を持ち上げさせた。


 メルヴィナはノアリスの顔を一瞥してから、ふいと窓の外に視線をやる。


「……入り江での話を聞く限り半信半疑だったけれど。あんたはあんたで、結構本気でやってるのね」


「そうそう。結構、頑張ってるつもりなんだが……見ての通り国内の状況は最悪、おまけに城内も全然一枚岩じゃない。王の一声で何でも決まるリュアの民が羨ましいよ」


「嘘ばっかり。愚かしいことだって、顔に書いてあるわよ」


「手厳しいな。そう言うなら、もっと顔を見て話してくれるとオレとしては嬉しいんだけどな」


 窓枠に頬杖をついて、ノアリスがメルヴィナの顔を覗き見る。

 メルヴィナは面倒そうにため息を吐き、振り返ることなく赤が深まってきた空を眺めた。



 窓から入り込む風に、潮の香りが混じる。海が近い。


 この先は歩こうと、ノアリスは止めさせた馬車から先に降りるとメルヴィナへと手を差し伸べた。

 一日の視察で少し汚れてしまった靴が草地を踏む。


「おろしたてを貸してもらったのに、悪いわね」


「構わないさ。靴は汚れるものだ。それに、それはキミにあげたつもりだったんだけれどな」


 今日の記念に海に持って帰ったらどうだ。ノアリスがそう笑い混じりに聞いたが、衛兵や王に見つかればどう言い訳するのだとメルヴィナは眉を寄せた。


「もう少し見て回りたいところだったけれど、さすがにこれ以上遅くなれば勘付かれるわ。今日教えてもらったことは、それとなく姉さんに伝えるから。ひとまずあたしに言えるのは、あんたはもう少し休息を取りなさいよ。カイルラスに見回りの頻度をあげてもらうよう頼んだら?」


「へえ、オレの心配をしてくれるとは優しいな」


「王が倒れれば困るのは民よ。大陸は海よりずっと小さいけれど、こうして実際に見て回るのは時間も労力も掛かり過ぎるわ。泳げないのって不便ね」


「馬車が走れる道が増えて、随分と楽にはなったんだけどな。メルヴィナはよくセレイアと海を見回ってるんだろ? よくまああれだけ広い領土を回るもんだ」


「全部を見てる訳じゃないわ。音よ。海の中はよく響くの。何か異変があれば遠くからでも感じ取れるもの」


 そんなことを話しながら、二人の足は入り江の方角へと向かう。

 周囲には小高い木々が増えてきて、宵闇の暗さが一層深くなる。


 なあ、とノアリスが少し先を歩くメルヴィナの背中へ声を掛けた。


「メルヴィナ、最後にやっぱり一つだけ教えてくれないか? どうしてキミはいつも姉に尽くそうとする? 今回の調査だって、オレがもし悪い人間なら、キミは海の王族として人質に取られてたかもしれないってのに」


 メルヴィナが怪訝そうな表情で足を止めずに振り向いた。


「は? だって、姉さんよ。ああ、人間には分からないのね。海の全てを愛する人魚にとって、それでも血族は特別なの」


「これでも一応理解してるつもりなんだけどな。陸に暮らせば、他種族の話を聞くことは意外と多い。それでも、やっぱりキミほど強く拘ってるのは……ああ、いや。セレイア、彼女もキミのこととなると急に目の色を変えてたな」


 ノアリスが何かを思い出したようにそう付け加えた。

 姉に余計なことをしたのか、とメルヴィナが問うと、ノアリスが空を見上げながら苦笑する。


「初対面の時、ちょっとだけ揶揄ってやろうと思ったら……危うくそのまま波に沈められるところだったな」


 眼前に迫る大波の光景を思い出しながら、ノアリスは小さな笑い声を漏らした。


 メルヴィナが、歩きながらふいと視線を前に戻す。


「……でしょうね。特に王族は執着心が強いの。自分のものを奪われるのが大嫌いなのよ」


 そう言ってもうしばらく歩いてから、メルヴィナは不意に足を止めた。

 どうした? と追い付いたノアリスの顔を、睨むように見上げる。


「カイルラスに、そろそろ気をつけるように言っておいた方がいいわ。姉さんは王の直系よ。近付き過ぎれば、いつか海に引き込まれるわよ」


 そうはっきりと告げられ、ノアリスは少し目を丸くする。すぐにそれを細めると、ぽん、とメルヴィナの肩を叩いた。


「忠言をありがとう、メルヴィナ。だが、そればかりはあまりに無粋だな。オレだって、キミとの仲をあいつに口出しされたくはない」


 ぱちん、とノアリスは片目を瞑って口角を上げて見せる。


 少し苛立たしげにため息を吐き、メルヴィナはノアリスを置き去るように入り江への歩みを再開した。


 

「あたしには、もう一人、姉さんがいたの」


 木々の隙間から海面が見えてきた頃、不意にメルヴィナが振り向かずに呟いた。

 ノアリスは、それで? と軽い調子で問い、先を行く彼女に気付かれないよう、ほんの少しだけ距離を詰めた。


 濃い潮風が肌を撫でる。それを胸一杯に吸い込んでから、メルヴィナは夜の海を睨みながら淡々と告げた。


「レティシア姉さん。セレイア姉さんより二十歳下で、性格は正反対みたいだったけど、でもいつも二人は仲が良かった。二人とも本当に優しくて……あたしのことを、いつも守ってくれたわ」


 靴を脱いだ素足が砂地を踏む。貝殻や流木を避けながら、メルヴィナは海の方へと向かった。足取りはこれまでより少し荒く、白い砂がふくらはぎまで舞い上がる。


「あたし、お父様の娘じゃないの。王妃だったお母様がこの姿になって、陸の人間と作ってきた子供よ。だからあたしにはリュアの血が半分しか流れてないし、海を操るような力も持ってない」


「まあ、正直そうだと思ってた。だってキミはリュアにしては、海の外に対して寛容だ。ついでに聡明で美しい」


 ノアリスもざくざくと砂浜を歩く。メルヴィナから返された靴を指先に引っ掛けて、いつもの調子でそう答えた。


「姉さんたちは、お父様に殺されかけたあたしをずっと庇ってくれたの。だから今度はあたしが、何をしてでもセレイア姉さんを守る。それが、死んでしまったレティシア姉さんとの約束だから」


 波打ち際へと辿り着き、メルヴィナが振り返った。夜の潮風に、艶やかな黒髪が揺れる。


 彼女の瞳をじっと見つめて、ノアリスは、そうか、と軽く頭を掻いた。重くなってきた砂に靴を汚しながらメルヴィナのもとへと辿り着くと、服が濡れるのも構わずにその場に片膝をつく。


「……何のつもりよ」


「人間式の誓い、ってところだな。メルヴィナ、キミが身を挺してでも姉を守ると言うのなら、キミのことはオレが守るよ」


「なんでよ」


「キミのことが、好きだから」


 ノアリスはさらりとそう答え、メルヴィナの手を取るとその指先に口付けた。

 メルヴィナは素早くその手を振り払う。そのまま背後の海へと駆け込むように飛び込んだ。


 海水で濡れた前髪を掻き上げて、ノアリスがやれやれと肩を竦めながら立ち上がる。


「キミの恥ずかしがり屋は少しも改善の兆しを見せないな」


 勤勉なキミらしくもない、そうため息を吐いたノアリスの顔に再び海水が浴びせられる。

 大きく尾ひれを蹴り上げたメルヴィナは、政略婚ならば他所でやれ、と海上から苛立たしげに告げた。


 ノアリスは笑いながら、びしょ濡れの顔を袖で拭う。


「またデートが必要なら、いつでもお供させてもらうよ。だが、メルヴィナ。もう一つだけ勝手なお節介だ。その亡くなった姉も、それから記憶に関わらずセレイアだって、キミに犠牲になってもらいたいとは思っていない」


「分かりもしないのに勝手なこと言わないで」


「分かるさ。これでも皇帝だ。ヒトを理解するのがオレの仕事だからな」


 じっと浜辺から、真紅の瞳がメルヴィナを見据える。

 メルヴィナは何も答えず、暗い海へと姿を消した。


 水を蹴って海底へと潜りながら、メルヴィナは、片手の指先を反対の手で握りしめた。

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