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-幕間2- 夢みる姫の変化

 薄暗くなり始めた宮殿の廊下を、金の髪がたなびく。

 向こう側から泳いでくる姿に、衛兵たちの一人が手を挙げて挨拶した。


「これは、セレイア姫様。お帰りかと思えば、またどこか見回りに行かれるので?」


「ええ。お父様への報告にあったでしょう? 虹の浅瀬に魚たちが少なくなってるって」


「ああ、あれですか……酷いもんですよ。船底が貝やら珊瑚やら傷付けて、王は人間に立ち入り禁止令を出すそうですが、元に戻るには何十年かかることか」


 その頃にはうちの倅もすっかり鱗が生え替わっていることだろう。衛兵はそう独りごちて、呆れたようなため息を吐いた。

 セレイアがくすりと笑う。彼の自慢の一人息子とは、つい一昨日も広場で共に遊んだところだ。


「お父さんみたいな立派な人魚になるんだって、そう張り切って歌の練習を頑張っていたわ。ここのところ、宮殿にずっと詰めているんじゃない? たまには帰ってあげたら、きっとあの子も喜ぶわ」


 そう言って、セレイアが手にした石片の中から黄色い一つを取り出し、衛兵に手渡した。


「帰宅する時のお土産にどうぞ。ちょうどその色が欲しいって言ってたわ」


 きっと喜ぶ、とセレイアが微笑む。

 衛兵はぽかんとした顔で手の中の石を眺めてから、仲間に指摘されて慌てて居住まいを正した。


「あ、ありがとうございますセレイア姫様」


「ううん。それから……あなたは腰の鱗を少し怪我してるみたいだわ。翡翠貝の調査で擦ったのね。あなたは声が枯れかけている。漁船を追い払うのに力を使った?」


 セレイアが衛兵の一人一人に声を掛ける。指摘された者は皆一様に少し驚いたような顔をしてから礼を言った。

 その場の全員の加減を一通り確認し、セレイアが眉根を下げて微笑んだ。


「皆、一族のためにありがとう。でも、少しだけ頑張らせ過ぎてるわ。わたしからお父様には言っておくから、今日はもう休んでもらえるかしら」


「はあ……姫様がそう仰られるのであれば……ですがセレイア姫様も、ここのところ海中を泳ぎ回っておられるご様子。その強靭な尾ひれは民としても誇らしく思いますが、もう少し我々にお任せ頂いても宜しいのでは」


「ふふ、ありがとう。でもわたしは好きであちこち見回ってるの。だって、何か素敵なものが見つかるかもしれないもの」


 セレイアは楽しそうに笑い、衛兵たちは苦笑した。探索好きの奔放な姫君に、お父君にご心労を掛け過ぎないよう、といつもの念を押してから、彼らは泳ぎ去って行った。


 ◇

 

「――最近は兵ともよく話すそうではないか」


 王の間の玉座に深く座ったアルヴェニル王は、そう言って軽く笑った。

 セレイアは頷き、自らの手を包む父の手に、もう片方の手を重ねた。


「ええ、皆優しくて、色々なことを教えてくれるわ」


「良い心がけだ、セレイア。皆、いざとなればお前の盾となる者たちだ。特性を理解し、上手く扱えるようになっておくことは、お前の身を守ることにも繋がる故な」


「お父様……あのね、わたし、あまりそういう考え方は好きではないわ。皆優秀な兵たちだけれど、でも、わたしを庇って死んで欲しくはないの」


「何を言う。お前の身が脅かされることがあれば、それはリュアの滅亡に繋がるのだぞ」


 自由にするのは構わないが王族としての自覚は持て、とアルヴェニルはセレイアの手の甲を撫でながら言った。


「お父様、そのことなのだけれど……わたしはリュアを愛しているわ。でも、民を導くのはわたしよりも――」


 手に感じた微かな痛みに、セレイアは顔を顰めて言葉を飲み込む。


 アルヴェニルは、すまない、と少し赤くなったセレイアの手をさする。王の手が一撫でするだけで、セレイアの手からは赤みも痛みも消え失せた。


「だが滅多なことは口走るでない、セレイア。儂の可愛い愛娘は、お前だけだ」


 王がそう言い終えるより早く、ざわり、とセレイアの周囲の海水が泡立つ。


「お父様、メルヴィナちゃんは、わたしの可愛い妹よ」


「その名を口にするな、セレイア」


「いくらお父様のご命令でも断るわ。わたしはメルヴィナちゃんを愛している。お父様がどうしても除外しようとするのなら――」


 セレイアを中心に渦巻き始めた波は、次第に大きく強くなっていく。


「はあ……セレイア、優しく愚かな娘よ」


 アルヴェニルが苛立たしげなため息を吐いた。途端、王の間の外まで広がる大渦は不自然に掻き消え、すぐに反対向きに大きく逆巻き始めた。


「自室での反省ではお前には響かぬらしい。実に心苦しいが、次は黒石貝の牢に――」


 そう低い声でアルヴェニルが命じようとした時、玉座のそばに侍る老人が小さく咳払いをした。


「お言葉でございますが、王よ。現在、牢には規則破りの兵を放り込んであります。姫様を彼らと共にするというのは……」


「何? それはならん。娘に何かあればどうする」


 あるいは先約を泡に変えてやれば済む話だが、今は各地を回る兵の数が欲しい。そう言ってアルヴェニルはため息を吐き、セレイアに自室へ戻るように告げた。


「ここのところはリュアの歴史もよく学んでいると耳にしている。書物を届けさせる故、ゆっくりと尾ひれを休ませよ」


 最後に愛おしそうにセレイアのひれを撫でてから、アルヴェニルは娘に王の間からの退出を許可した。


 言われた通り自室へと戻りながら、セレイアは、はあ、とため息を吐く。入り江での問答で少しは交渉ごとも上達したかと思ったが、相変わらず未熟もいいところだった。


 ――姉さんが直接お父様を説得に行くのはやめて。事態が悪化したことしかないでしょ。


 以前に言われた妹の忠言が耳奥で聞こえたような気がして、セレイアはがっくりと大きく肩を落とした。

 

 ◇

 

 セレイアの尾ひれがゆったりと上下して、細い身体が海底付近を進む。

 この辺りは宮殿より水深も浅く、海面から差し込む光がこそばゆい。


「この辺りにいた魚たちも、随分と少なくなっているわ。南の方へ移動したのか、それでも前の年よりずっと早いような……」


 周囲の様子を観察しながらセレイアが独り言を呟く。帰って宮殿の記録を確認して、とそんなことを思っていると、遠目に複数の小さな人影が見えた。


「あれは……あっ!」


 彼らに近づく別のものが目に入った瞬間に、セレイアは力強く海底を蹴った。先ほどまでとは打って変わり、白い身体がぐんぐんと水を切って進む。


「あっ、セレイア姉――」


「あなたたち、そこを離れて!」


 子供たちの一人がこちらに気がつくと同時にセレイアは声を張り上げた。一瞬だけ驚いたような人魚の子供たちは、すぐにその場を泳ぎ去る。


 彼らが退いた空間に、大きな影が差した。海面からの光を遮ったのは、人間の船であり、そこから伸ばされたロープと網が鈍い音を立てて海底を擦っていく。


 やがて、幾らかの魚群を戦果に船は去って行った。

 セレイアはそれを見送って、子供たちを振り返る。


「あなたたち、誰も怪我はない?」


 彼らを呼び寄せてそう聞くと、小さな首が一斉に横に振られた。セレイアはほっと安堵の息を吐く。


 魔力に守られたリュアの身ではあるが、全く傷付かないというわけではない。特に女子供の鱗は柔らかく、あのような大きな船に海底を引き擦り回されれば、さすがに無傷というわけにはいかないだろう。

 そうセレイアがゆっくりと言い聞かせると、子供たちは皆、気を付けると言って頷いた。


「それで、あなたたちはこの辺りで何をしてたの? この時期は漁に出る人間が多いから、あまり近づいちゃいけないって言われなかった?」


「言われたよ。だから俺たち、偵察に来たんだ」


 子供の一人がそう返し、セレイアは少し眉を寄せる。偵察とは何の、そう問うと、当然人間のだ、といった返答があった。


「最近人間たちがチョーシに乗ってるだろ? だから、俺たちで悪い船を沈めてやろうと思ってさ」


「……それは、誰かにそう言われたの?」


「ううん。でも人間が付け上がってるっていうのは、里の大人たちが言ってたよ」


 先に答えた少年よりも少し年上の少女がそう答えた。そう、とセレイアが寂しそうな表情で頷く。


「あなたたちは、人間とか、他種族のヒトが嫌い?」


「別に? でも人間って、さっきの船みたいに、俺たちに嫌なことばっかりするだろ?」


「さっきのは、漁をする船よ。食べるために、魚を獲っているの」


 量こそ限られてはいるが、人魚族から流通させている海産物もある。セレイアがそう指摘すると、親が行商をやっているという子供が勢いよく手を挙げた。


「はいはい、あたし知ってる! 人間って海草だけじゃなくて魚とか貝とかくらげとか食べるんでしょ? へんなの」


「海の外にいる種族は、何でも食べるってママが言ってた。人間は山の生き物を、それから翼人族は空の生き物を全部食べ尽くしちゃったんだって」


 だから次は海に侵食してきて、今に人魚族も食べられてしまう。そう言って少女が周囲の子供たちを脅かすと、彼らからは悲鳴と笑い声が漏れた。


 セレイアは次に発しようとした言葉を飲み込む。そんなはずはないと当然理解していたが、外部に対して興味を持てないリュアの民が、そのような与太話で楽しんでいることもよく知っていた。


「セレイア姉? どうしたの? お腹痛い?」


 黙り込んだセレイアを子供の一人が気遣う。その瞳はいつものように、海より深く澄み切っていた。


 大丈夫だと答えようとして、ふとセレイアは視線に気がついた。顔をそちらへ向けると、少女が不安げな表情でこちらを見ている。


「あの……セレイア姫様。わたしの伯父さん、百年ぐらい前に陸に上がったんだって。もうとっくに食べられちゃってると思う?」


 もう鱗だけになってる、と揶揄う子供をやんわりと止めて、セレイアは柔らかな表情を浮かべると首を横に振った。


「そんなことはないわ。確かに、人魚の血肉を狙う悪いヒトもいる。でも、皆がそうってわけじゃないの。特に、翼人族は絶対に他者の血肉を口に入れることはしないわ」


「どうして?」


「それが、彼らの矜持だから」


 セレイアがはっきりとそう言い切る。子供たちは、キョージとは何か、と首を傾げた。


「矜持というのは、そうね、誇りに近いわ。自分の魂が気高くあるために、つまり自分を失わないための決まり、かしら」


「はい! それじゃあ、陸に上がった人魚は何してるの?」


 挙手と共に投げ掛けられた問いに、セレイアはくすりと笑う。以前にノアリスに返された答えをそのままなぞった。


「色々よ。食べ物を提供する店を開いたり、大陸を旅してみたり、それこそ人間と一緒に生きていくことを決めたヒトもいるみたい」


「あのね、わたしの伯父さん、浜で出会った人間の女のヒトが忘れられなくて、それで陸に上がったんだって」


「ふーん。へんなの」


 そう言って子供たちは顔を見合わせてけらけらと笑う。


 そろそろ日が傾き始めてしまう。話はこの辺りにして泳ぎの競争をしようと誰かが言い出した。

 バラバラと散らばり始めた子供たちの中で、一人の少年がセレイアへと近付くと、つんつんと腰の鱗を突いた。


「なあなあセレイア姉。人間は置いておいてさ、翼人ってどんなのか、他に何か知ってる?」


「美しい翼で、空を自由に飛ぶヒトたちよ。誰より高潔で、誇りと矜持を大切にして生きるの」


 興味があるの? とセレイアが問うと、少し、という返答が返った。


「だって、セレイア姉、空が好きだろ? そのうちふらふら空に泳ぎに行っちゃうかもしれないから、探しに行けるようにしといてやらないと」


 足なんか要らないから、魔力で翼を生やせたらいいのに。そう不満げに呟く少年の頭を軽く撫でて、セレイアは少し眩しそうに、煌めく海面を見上げた。

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