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ep.10 人魚の姉妹 (2)

 さらにいくつか情報のやり取りをした後で、難しい話は一旦この辺りだ、とノアリスが気怠げに伸びをする。

 同時に漏れた欠伸に、眠いのかとセレイアが尋ねると、昨晩ははしゃぎ過ぎたといった返答があった。


「それにしても、まさかカイルラスがリュアの、しかも姫君とご友人とはな」


 何やら意味深にそう呟いてノアリスが笑う。

 余計なことを言うな、と眉を寄せるカイルラスの足元で、セレイアが首を傾げた。


「ノアリスは、カイルラスとはいつからお友達なの? 翼騎士団が帝国と契約を結んでから?」


「いや、その前からだな。昔、危ないところを救われたことがあってな。話をしたら意気投合したってんで、それでヴァレアに協力を持ちかけたんだ」


「このような軽薄な男と知っていれば、申し出を受けなかっただろうがな」


 カイルラスがふいと視線を逸らせて低い声で告げた。


 セレイアがくすくすと笑い声を漏らす。さほど長い付き合いではないが、カイルラスが憤りではなく、ある種の居心地の悪さからそのような態度を取っていることはもう理解ができた。


「わたしも、この入り江で助けられたの。空からいきなり現れて、びっくりしたわ」


「へえ、女嫌いのお前がね」


 欠伸を噛み殺しながらノアリスがしみじみとした声で答える。

 セレイアは数度目を瞬かせてカイルラスを振り返った。


「初耳だわ。カイルラス、女のヒトが苦手なの?」


「オレとしても、何とかヴァレアとは結びつきを強めたくて必死でね。何度か貴族令嬢との見合い話を持ち掛けてみたんだが、無視され続けてるんだな、これが」


 いつの間にか背後までやって来ていたノアリスが、セレイアの肩にぽんと手を置き、カイルラスの代わりにそう返答する。


 羽音に続いて、いつもよりも鋭いような翡翠色の瞳が空中から二人を見下ろした。


「……ノアリス、いい機会だと思い告げておく。俺はお前の理念には共感するが、その他者の生を駒のように弄ぶ神経は理解できん」


「人聞きが悪いな。オレがご令嬢方に婚姻を強要してるって? カイルラス、人間ってのはお前たちと違って複雑な生き物でな、彼女たちにとっての至上命題は好きな相手と結ばれることじゃない。お家柄やら権力やら、そいつらが命より大事だと本気で信じてる奴も多いんだよ」


「つまり、人間にとっての矜持なのね?」


 セレイアの出した結論に、ノアリスはそんなものだ、と肩を竦めた。


「ノアリス、もう一つ気になることがあったわ。人間にとって、他種族と結婚することは普通なの?」


「さほど多くはないが、珍しいことでもないな。陸に上がったリュアが人間と結ばれたって話、海でも聞くだろ?」


「それは……わたし、あまり噂話に詳しくなくって。宮殿に帰ったら記録を探してみるわ」


 セレイアが苦笑する。くるりと斜め後ろを振り返ると、カイルラスの顔を見上げた。


「ねえカイルラス、ヴァレアがリュアと結ばれたって話は聞いたことがある?」


「……俺が知る範囲では無いな。我らは海中に生きられず、お前たちは空を飛べぬ。我らの住む世界はあまりにも異なる」


「そう……透き通る青さは同じなのに。わたし、いつまでもあなたに、あの空を泳いで欲しいと思うわ」


 空を見上げたセレイアは、そう言って目を細めた。

 ノアリスはまた何か揶揄おうと口を開きかけ、カイルラスの表情を見て静かに閉じた。


 しばらくじっと空を見ていたセレイアが、金の髪を揺らしてカイルラスとノアリスを振り返る。


「でも、まずは目の前の問題ね。状況は複雑だけれど……まず一つには、陸との戦争を避けることが大切よね。そうしたらノアリスが人間の国の方はどうにかしてくれるわ」


「簡単に言ってくれるが、まあそういうことだな。うちの大臣たちも、しょうもない派閥争いばっかりしてないで、もっと寝る間を惜しんで身を粉にしてくれればいいんだけどな」


 はああ、とノアリスはやる気なさげにため息を吐いた。


 ◇


「……は? いま、なんて……」


 宮殿から遠く離れた深海で、メルヴィナが聞き返す。深海魚すら立ち寄らないこの辺りの海域には、二人の他には誰もいない。


「最近やたらと視察や歴史の勉強に熱心だと思ったら、人間との戦争を避けるため? 挙げ句の果てに、人間の皇帝に会ってる? なんでそんなことしたの。あたし、散々言ったわよね。危ないことしないでって」


「ごめんなさい、ルヴィちゃん。でも、わたし本気なの。本気で、もう種族間で争わなくて済むようにしたいって、そう思ってるの」


 そのために人間の長と停戦協定を取り付けて、そう説明している間にも周囲の海水の温度は下がっていく。


 セレイアがちらと妹の顔を伺う。紅珊瑚より濃い赤の瞳は、呆れを通り越し、冷たい怒りを滲ませていた。


「ルヴィちゃんが心配してくれるのは嬉しいわ。でも、争い自体がなくなれば、子供たちだって衛兵なんて目指さなくて済むようになるかもしれない。人魚も、それから人間も傷付かなくて済むかもしれないって、そう思わない?」


「そんなの……お父様が許すはず、ないじゃない。それともようやく王位のことを真面目に考える気になったの?」


「わたしは……次の王様は、メルヴィナちゃんが相応しいって思ってるわ」


「っ、いい加減にしてよ!」


 甲高いメルヴィナが叫び、尾ひれでセレイアの手をはたき落とした。


「前に言ったでしょ、あたしはお父様の血を引いてないの! リュアの王になる資格なんて持ってないんだから!」


「そんなことないわ、血筋がなくったって、メルヴィナちゃんは歴としたリュアの王族よ。お父様のことならわたしが――」


「だからやめてって言ってるでしょ!」


 そう強い苛立ちをぶつけてから、メルヴィナはセレイアの顔とそこに浮かぶ悲しげな表情を見て、ハッとしたように口を噤んだ。


 メルヴィナの両手がセレイアの左右の肩を掴む。お願いだから分かって、と諭すように絞り出した。


「あのね姉さん、そもそも、人間と分かり合うなんて、無理なの。これまであたしたちが、どんな目に遭ってきたか……領地とか資源の話だけじゃないのよ。人間の欲望は、本当に際限ないの。不老不死なんて話を持ち出して、今までに何人の人魚が――」


 そこでメルヴィナは苦々しげな顔で言葉を飲み込んだ。

 セレイアも表情を曇らせた。城の膨大な記録の中から目にしたことがある。人間族の中には、人魚の血肉を喰らえば不老不死が手に入るという伝承を信じている者もいるという。


 でも、とセレイアは俯きかけていた顔を上げる。


「人間に、酷いヒトがいるっていうのは分かってるつもりよ。それでも、皆って訳じゃないわ。あのね、カイルラスとノアリスは、いいヒトたちよ。わたしたちが落ち着いて話をすれば――」


 そっと妹の手の甲に触れた手が、強く払い除けられる。

 じんとした痛みを感じるより早く、メルヴィナが周囲の海水を震わせた。


「やめてって言ったの! いい加減にしてよ、いつもいつも夢みたいなことばかり……姉さんは、姉さんは何も覚えてないから簡単にそんなこと……!」


 堰を切ったようにメルヴィナが捲し立てる。

 払われた手を反対の手で握り、セレイアは困ったように微笑んだ。


「……ごめんなさい、メルヴィナちゃん」


 それは深海よりもずっと静かな謝罪だった。


 メルヴィナが慌てて自分の口を抑える。さっと頬から血の気が引き、紅潮していた顔は真っ青になっていた。


「ご、ごめん姉さん! 違うの、あたし、そんなこと言うつもりじゃ……」


 メルヴィナが両手で頭を抱える。焦った指先が黒髪を絡めとるより前に、その手がそっと握られた。


「ううん、ごめんねメルヴィナちゃん。わたしは大丈夫だから、安心して。怯えないで、ね?」


 せっかくの綺麗な髪が傷んでしまう、とセレイアが片手でメルヴィナの乱れた髪を直す。


 ある程度整え切ってから、セレイアはよし、と嬉しそうに笑った。


「メルヴィナちゃんの髪って、わたし本当に大好き。優しい夜の色だわ。あのね、メルヴィナちゃんは怒るかもしれないけれど……ふふ、新しくお友達になったノアリスって人間のヒト、メルヴィナちゃんと似た髪の色をしているの。性格は……まだちょっとよく分からないけれど、でもきっと良いヒトよ。だって、カイルラスが信頼している人間だもの。言ってることがちょっと難しい時も多いんだけれど、でもメルヴィナちゃんなら、ちゃんと彼の伝えたいことが分かるのかしら」


 だってメルヴィナちゃんは頭が良くって勘も鋭いから。そう言葉を締め括ったセレイアに、メルヴィナはしばらく黙り込むと、はああ、と深いため息を吐いた。


「……分かった。次に入り江に行く時は、あたしを連れて行って。姉さんに任せてたら、次にどんな()()を作って帰るか、分からないもの」


 すっかり諦めた様子でメルヴィナが告げる。

 セレイアはパッと顔を輝かせ、両手でメルヴィナの手を取ると嬉しそうに何度も礼を言った。


 大きく上下に振られる自分の両手と、楽しそうな姉の顔を交互に見てから、メルヴィナはため息混じりの泡を吐き出した。

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