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ep.9 停戦協定 (2)

 夜の浜で、カイルラスがセレイアに経緯を説明する。


「――俺がヴァレアの翼騎士団を率いていることについては、今更話す必要もないな。翼騎士団は人間族と、正確には帝国の皇帝と協定を結んでいる」


「つまり、お互い領土には攻め入りません、仲良くしましょう、ってことだな」


 鳶色の翼の向こう側からひょいと顔を出し、ノアリスが軽い調子で付け加えた。

 カイルラスは眉を寄せ、余計な口を出すな、と背後の男に釘を刺す。


 こんな調子でしばらく続いた二人の話を聞き終わり、セレイアはぽんと両手を合わせた。


「ヴァレアが人間族と手を組んでいるというのは、海でもよく知られてるわ。でも、もっと何ていうか……トゲトゲした関係だと思ったの」


「トゲトゲ、か。滅びかけた翼人族が、種を守るために人間に尻尾振ってるって?」


「それはすごく嫌な言い方だけれど……でも、海底ではそう囁かれているわ」


 ノアリスの皮肉めいた物言いにそう答えてから、気を悪くさせてごめんなさい、とセレイアが真正面に立つカイルラスへと謝罪する。

 カイルラスは首を横に振った。


「あながち間違いでもない。協定とはいうが、我らの関係は従属だ」


「だから、オレはお前を手下だなんて思ったことはないって言ってるだろ。聞いてくれよお姫様、最初のうちは酷かったんだぜ。冗談一つ通じないド真面目……は今もそうだが、世間話ひとつ付き合ってくれなくてさ」


「そうなの……? ふふ、わたし、あなたと楽しいお話ができるお友達で嬉しいわ」


 浅瀬の岩場に腰掛けて、セレイアがカイルラスに笑いかける。

 ずっと険しい顔をしていたカイルラスは、ついに諦めたといった様子でため息を吐いた。


「それで、ノアリス。リュアの姫にしたい話というのは、単なる『世間話』か?」


「おっと、オレとしたことが。人魚の美しさにあてられて、危うく忘れて帰るところだったな」


 ノアリスは、わざとらしい大きな動きで肩を竦めた。


 セレイアがじっと無言でノアリスを見つめる。ふと男の纏っている空気が一変したように感じた。


「なあ、リュアの第一王女。あんたが三種族の和平を願っているという話は、真実か?」


「ええ、本当よ」


「何故だ? ヴァレアはともかく、オレたちはあんたらにとって目の敵だろ」


 現にこの間も漁船が沈められたところだ、とノアリスは続けた。


「ああ勘違いしないでくれ、恨みつらみを言おうってんじゃない。あれは、こっちの条約違反だ。人間は人魚族と違って個の欲望が強いからな、抑えきれなかったオレに非がある。だが、あんたたちがオレらに長年強い敵意を抱いてるってのは、はっきり感じてる。出来ることなら大陸ごと海に沈めてやりたいって、そう思ってるんじゃないか?」


 ノアリスが相手に一切口を挟ませずに滔々と語る。


 セレイアは数秒黙ると、ええ、と静かに頷いた。


「その通りよ。お父様、リュアの王は、人間族を滅ぼしてしまいたいと、胸の底ではそう考えていらっしゃるわ」


「ならどうするんだ? 人魚族にとって王は絶対だ。お父君をどうにかしないことには、あんたの求める和平は手に入りそうにない。クーデターでも起こすのか?」


「そんなこと……! そんな酷いことをしなくても、何度もお話しすれば、お父様だっていつか……」


「いつかって、いつだ? 五十年後か? 百年後か? その頃にはカイルラスはいないけどな」


 セレイアがハッとした顔で、カイルラスを見上げた。

 彼は何も言わず、ただじっとセレイアの斜め前に浮かんでいる。先程より少しだけ近くなったような気もするが、ノアリスの方を向いている彼の表情は、セレイアからははっきりと見えなかった。


 リュアの一生は長い。生まれて五十年の経たないうちは稚魚のような扱いをされ、衛兵に志願できるのは齢が百を超えた頃だ。王であるアルヴェニルは五百年を優に超えているはずであるし、彼の世話係だったという老人魚が何年を生きているのかはもはや見当もつかない。


「オレたち人間がせいぜい八十か百か、翼人族のこいつは、もう寿命まで折り返しをすぎてるはずだ」


 ノアリスが淡々と告げた。


 セレイアは深く俯く。種族によって時の流れ方が違うということを、知らないわけではなかった。

 今こうしている数秒でさえも、カイルラスにとっては途方もなく重いものだ。そしてその貴重な時を、既に両手で数え切れない程自分のために使ってくれたのだと、そのことを今度こそ胸に刻みつける。


 一つ息を吐いてから、セレイアが何かを決心したような顔を上げた。


「……メルヴィナちゃんなら、分かってくれるわ」


「……セレイア」


 発言を咎めるようなカイルラスの声がした。


 その意図は理解したが、セレイアは首を横に振る。満ちてきた潮で濡れた岩を蹴り、細い身体がカイルラスの背から出て海へと降りた。


 ノアリスは膝下までを海水に浸し、黙ってこちらを見つめている。何かを試すような、審判するような目だと思った。それをじっと真っ直ぐに見返して、セレイアがはっきりと告げる。


「メルヴィナちゃん、わたしの大切な妹よ。次の王様になって欲しいって、そう思ってるの。確かに人間好きではないけれど、でも、滅ぼそうだなんて考える子じゃないわ」


「そりゃいいが、王位を継ぐのは、どっちにしてもずっと先だろ?」


「……そうでもないわ。だってお父様の魔力は、前よりずっと不安定になっているもの」


 言い終わるよりも早く、セレイアの頭上で羽音がした。

 反射的に見上げると、カイルラスは険しい顔でこちらを見下ろしていた。


「セレイア、やめろと言っている。その無鉄砲で種族を危険に晒すなという忠告を忘れたか」


「お願い、止めないでカイルラス。わたし、あなたが生きているうちに、争いをなくしたいの。そのためなら、残念だけれど、お父様には王座を降りて頂くわ。だって、あなたはわたしの、たった一人のお友達だもの」


「……それは殊勝なことだけどな、お姫様。言ったぜ、オレは人間の皇帝だ。親父さんの話も、それから妹君の話も、利用しないとは……」


 ノアリスはそう言いかけて、その先の言葉を飲み込んだ。

 いつの間にか、少しも波音がしなくなっている。


 ノアリスの視線の先、セレイアの背後で、黒い塊のような海水が盛り上がり始めていた。


「メルヴィナちゃんに何かあったら、お父様でなく、わたしがあなたたちを滅ぼすわ」


 明確な怒りを滲ませてセレイアが告げる。

 夜空に引かれるように海面は更に持ち上がり、ノアリスの顔に影を落とした。


 冷たい夜風が吹く。長い沈黙を裂いたのは、ばさりという音だった。


「セレイア、お前たちリュアが血筋を重んじることは一定理解する。だが、このような男であっても、これは我らが守護するべき王だ。お前は、俺と剣を交えたいのか?」


 いつの間にかカイルラスは、ノアリスを背に庇うようにして空に浮かんでいた。


 途端、ばしゃりと音を立てて、海面が平らになる。

 すっかり穏やかになった夜の海で、セレイアは申し訳なさそうに肩を落としていた。


「ご、ごめんなさい、カイルラス……それに、ノアリスも……。あの、怖がらせるつもりじゃ、なくって……」


 額を抑えたセレイアが辿々しく弁明する。

 カイルラスはため息を吐き、柄頭から手を離した。


「お前が引くというのであれば、俺が剣を抜く理由はない。……それよりもノアリス、貴様が語った夢想は何処へと潰えた。その無礼千万が人間にとっての礼節か」


「悪い、カイルラス。今のは明らかにオレがやり過ぎた。姫君も、悪かった。あんたがあまりにも無防備に見えたもんで、つい」


 そう言ってノアリスは、セレイアへと深く頭を下げた。


「改めて、試すような真似をしてすまなかった、セレイア。オレは人間の皇帝だが、キミと同じ夢を持っている」


「えっ? それって……」


 ノアリスの顔が上がる。見た目の齢よりもずっと幼く見える、まるで悪戯が成功した子供のような嬉しそうな笑みが浮かんでいた。


「カイルラスには『夢想家』だと呆れられたけどな。だが、キミを紹介してもらえたということは、ようやく友としての信用を得られたようだ」


「……まさにそれを消し去る愚行だったがな」


 苛立ちを滲ませた声で、カイルラスがそう切り捨てるように告げた。


 セレイアが目を二度瞬かせる。


「あなたも、種族が仲良くなることを望んでいるの?」


「ああ。自国の民すら制御しきれないのに、おかしなことだと笑うか?」


 珊瑚礁での密猟は悪かった、とノアリスが詫びる。

 セレイアは嬉々とした顔で両手を合わせた。


「素敵! ほら見て、わたしたち三つの種族が手を取り合えてるわ。これならもっと何か出来ることがあるはず。そうでしょう、カイルラス」


 金の髪を揺らしてセレイアが振り返る。

 両手を差し伸べられ、カイルラスは渋々と濡れた手を握り返した。

 ノアリスが小さく口笛を吹く。


「オレも、彼女に出会わせてくれてありがとうな、カイルラス。いやぁ、お前のそんな顔が見られただけで、無理して城を抜け出した甲斐があったってもんだ」


「信用に続き、忠義すら失いたくなければ、その軽い口を閉じるがいい、ノアリス」


 夜空から向けられた鋭い眼光に、ノアリスは分かった分かったと肩を竦める。足を前に進め、バシャバシャと膝上まで海水に浸かると、首を傾げるセレイアへと手を差し伸ばした。


「セレイア、キミの友人として認められるかはこの先次第だが、入り江の停戦協定を願い出たい」


 目の前に突き出された手に、そういえばこれは人間式の友愛行動なのだったなとセレイアは思い出した。ちら、とカイルラスの表情を伺ってから、指先だけでノアリスの指を握り返す。


 誰かさんが怖い顔をしているせいで随分と控えめな握手だ。そうわざとらしく残念がるノアリスに、カイルラスはすっかり冷めた視線を返した。

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