第十話
自分と同じくらいになったら一緒に遊ぼうと、そう言えばいいと言って聞かせた。
言葉が通じたのか、私の考えが伝わったのか、ただの偶然かは知らないが、その通りになった。
結婚式の少し前から作られた家族のグループメッセージに定期的に上げられる姉の赤子の成長報告が途絶えたことで、私はそれを確信した。
私に報告することはないかと思っていたけれど、結婚式での笑顔を信じ込んだままなのか、姉は泣きながら私に電話を掛けてきた。
『赤ちゃん、心臓が動いてないんだって。何かの間違いじゃないんですかって聞いたけど、どんなに調べても赤ちゃんはもう、って、喜んでくれてたのに、ごめんね、また連絡するね』
「うん、言いにくいことなのにありがとう。無理に連絡しなくても平気だよ。お大事にね」
電話が来る前日から、私の周りにいるモノが二つに増えていた。丈司さんには見えていないようで私のメンタルを心配されたけれど、これはあの子と姉の子に違いない。だって、こんなにも私の周りを楽し気に飛び回るのだから。
さすがに赤子を呼ぶことしかできなかったようで、姉の手術は無事に終わったらしい。少し期間をあけて、また子どもができたらいいなと姉は言った。
両親と夫に支えられながら泣きはらした顔で笑う姉は、それでもなお美しかった。
相変わらず、お義母さんからの連絡は続いている。
死産したことも、子宮がもうないことも話していないから当然だ。
丈司さんは本当のことを話そうと言ってくるけれど、それはできない。
だって、私たちの赤ちゃんが産まれた時に嘘がバレてしまうから。
そう、私たちの赤ちゃん。
この子に友達を呼ぶ力があるのなら、今いる子に成り替わることだってきっとできるはず。
だから、丈司さんには子どもを作ってもらわなくてはいけないのだ。
若くて元気な女との子どもを。
丈司さんが催眠術や洗脳の類にかかりやすいことは知っていた。
大学時代に飲み会で催眠術の話題になり、少し齧ったことがあるという先輩がお試しだから~と、丈司さんに辛いものが甘く感じる催眠術をかけたことがあったのだ。
丈司さんはそれはもう完璧に催眠術にかかっていて、先輩が解除するまで美味しそうにハバネロソースを舐めていた。
結婚してしばらくしてから発覚したお義母さんへの行き過ぎた愛情も、幼い頃から植え付けられた洗脳だった。私はゆっくりゆっくり、その呪縛から彼を解放した。
お義母さんに逆らうなんてとんでもないと真顔で言ってのける彼は、もういない。
それと同じように、私は丈司さんを作り変えていった。
私たちの周りにあの子がいるのだと。あの子のために子どもを作らなくてはならないと。相手は若く、健康な女性でなくてはならないと。
毎晩毎晩、眠る丈司さんに語り続けた。
そうして、彼は一人の女の子と付き合い始めたのだった。
河合笑歌の写真を初めて見せられた時は何事かと思った。
未だにこんな前時代的なギャルがいるのかと驚いたし、彼がそんな女を選んだことにも驚いた。
ただ、確かに若く、そして健康的だった。生命力にあふれていて、眩しいくらいだった。この子なら、きっと強い子を産んでくれるに違いない。そう思った。
可能な限り早く親密になり、子どもを作ってほしかった。
あまり頭はよくなさそうだったから、どうせすぐに股を開き、子種を受け入れてくれるだろうと思っていたのだが、そこまでうまくはいかなかった。
想像よりも貞操観念がしっかりしていて、避妊せずにするどころか、そもそもの性行為にすらあまり積極的ではないというのだ。
私は丈司さんの身なりに、より一層磨きをかけた。彼女にお金を使えるように、無駄な出費をしないように心掛けた。
その甲斐あってか、数ヶ月が経つと笑歌の方も乗り気になってきたらしかった。
丈司さんが外に出ている間、私は妊娠・出産にかかわる勉強をする。もし笑歌が妊娠した場合、途中までは産婦人科に診てもらえばいいだろうが、最終的なお産に関してはこの家で行ってもらうことになる可能性が高い。
丈司さんのように簡単に操れる女であれば、身内のフリをしてずっと付き添うという手もあるだろうが、おそらくそうはいかないだろう。
邪魔されないためにも、私が産婆になる必要があった。
いざというときに使えるよう、同時に姉の子を教育することも始めた。
「あなたのそのままの姿ではだめよ。私の真似でいいから大きくなってみせて」
言葉というよりは私の思考を読んでいる感覚はあるものの、言葉を覚えることもできるのではと話しかけるようにもしていた。
あわよくば、いつも近くにいる私たちの子と話せるようになれたらと思っていた。
はじめは小さな球体だった姉の子は、少しすると女の影のような形を取れるようになった。何ができるわけでもないけれど、人がいるはずのない場所にぼんやり女がいるように見えるだけで、怖がらせることくらいはできるのではないだろうか。
ただ、私以外にこの子たちが見えるのかが気になった。
丈司さんには未だに見えていないようで、私がこの子たちにしゃべりかけると不思議な顔をして私を見ていた。
倒れて以来、ほとんど家から出ることがなくなっていたのだが、この子たちが私にしか見えないのかは確認しなくてはいけない。
姉の結婚式にも私の子は付いてきていたけれど、特に反応している人はいなかったように思う。
これが幽霊や水子と呼ばれるものだったとして、霊感を持っている人というのはやはりそう多くはないということなのだろうか。
二人とも小さな球体のまま私の周りにいる状態で少し散歩してみたけれど、どうやら見える人はいないようだった。
試しに姉の子に、女の形を取らせてみた。そのまま、私の後ろをついてくるようにしてもらい、またしばらく歩いてみる。
すると、向こうから歩いてきた女性が一瞬驚いた顔をしたのが見えた。
すれ違った後にスマホを使って背後を確認すると、何度か振り返っているのが確認できる。
彼女には見えているのだなと思った。
そのあと人通りの多い駅前まで行ってみたところ、どうやら女性に限りそれなりに姉の子を見ることができるようだった。
男性は誰一人として見えていないようだったが、それほど多くの人に試したわけではないから確実なことは言えない。
ただ、この形態になれば女性であれば見える可能性が高いということが分かっただけでも収穫だ。
笑歌に見えるかは分からないが、どこかタイミングを伺い、様子を見に行ってもいいかもしれない。
笑歌との関係が半年ほど続いたある日、帰宅した丈司さんに子どもたちがひどく反応した。彼のカバンの周りをぐるぐる飛び回るので何事かと中身を出してもらうと、私を模したとしか思えない、気味の悪い人形が出てきた。
殺だの、死だのが全身に書き込まれた人形は、フェルトのような素材でできていて、人形というよりはぬいぐるみに近い。
こんな趣味の悪いものをどこから持ってきたのかと丈司さんを問い詰めても、よく分からないと答えるばかりだった。
最近の丈司さんは時々ぼんやりとして反応が薄い時があったりと、どうも調子がおかしい。無理はさせていないはずなのだけれど、やはり本来の丈司さんがやるはずのないことをやらせている時点で負荷が大きいのかもしれない。
丈司さんを寝室で休ませてから、私はぬいぐるみを観察した。
呪いの人形とネットで検索すると、藁人形や丑の刻参り、海外のオカルト関連の話が多く出てきたけれど、手元にあるものとはどうも違うように思えた。
ぬいぐるみには文字こそ書かれているものの、中身を確認しても綿しか入っていないし、釘を打ったような形跡もない。
そもそも私の手元にあっていいものではないだろう。
キャラクター、ぬいぐるみと検索して、これがいわゆる”ぬい”と呼ばれるものらしいと分かった。
呪い、ぬいと検索して初めて、幾つかそれらしいものがヒットする。
YouTubeの動画を見ると、どうやらこれは文字通り呪いのぬいというらしい。
今のところ私の身辺におかしなことは起こっていないけれど、これから何かが起こるのだろうか。
それとも、私の周りにいるこの子たちが悪い影響から守ってくれているのだろうか。
確かなことは分からないが、やられっぱなしというわけにはいかない。
誰がこんなことをするのかと考えた時に、思いつくのは河合笑歌だった。
丈司さんが既婚者だということは黙っているように厳命したはずで、独身男性と交際していると思い込んでいるはずだが、何かの拍子に私の存在がバレたのかもしれない。
もしかしたら、笑歌に私の存在がバレたことを隠そうとしたせいで丈司さんの様子がおかしくなったのではないか。
そうだとすると、面倒だ。
私が直接出向いて何かをするにはまだ早いだろうし、警告くらいで済ませたいと考え、私は呪いのぬいを送り返すことにした。
ただ送り返すだけでは、私がすべてを許しているように誤解されるかもしれない。
多少怖がらせるためにも、呪いの存在を知っているのだとアピールした方がいいだろう。
こんな眉唾物のオカルトを、あのギャルが実行するだろうかという気持ちはあったものの、最近の大学生の情報網に関しては全く分からない。検索に載らないところで若者に流行っている可能性だってあるし、そもそも私は”ぬい”というものさえ知らなかったのだ。
「……馬鹿にしてるのかしら」
そんな気にさえなってくる。
こんな気味の悪い人形、見たら違和感を抱くに決まっているのに、何にも包むことなくカバンに入れられていた時点で私のことも丈司さんのことも舐めているとしか思えなかった。
だんだん、腹が立ってくる。
それならこっちだって、気味悪がらせてやる。
私は小型の盗聴器を通販で購入し、それをぬいの中に仕込んだ。丈司さん経由で手に入れた、彼女の髪の毛とネイルパーツと共に。
そして、紙に河合笑歌への呪いの言葉を書き記すと、丈司さんに彼女の家の前に置いてくるよう指示した。
「どうして笑歌の家に?」
「彼女がそうさせたのよ。でもあなたがやったと分かるとまた面倒だから、誰にも見つからないように置いてきてね」
「分かった」
あんな女、さっさと孕んで子を産んでくれさえすれば用済みなのに。
私は盗聴器の入っていた箱をぐしゃりと握りつぶした。




