第九話
優秀すぎる姉がいた。
勉強も運動もできて、コミュニケーション能力も高く、親だけでなく周囲の人すべてから愛されるような人だった。
その人の下に生まれた私は、いついかなる時も遥か先に君臨する姉の後ろ姿を意識させられた。
両親は私がどんな結果を残そうとがっかりした様子を見せることもなかったけれど、そのことが却って私を傷つけた。
比べるまでもないのだ。比べ物にならないのだ。同じ土俵に立つことすら許されないほど、頭抜けた姉だった。
私がどんなに頑張っても、姉には爪の先ほども届かない。
私はいつしかすべてを諦めるようになった。
それでも、非行に走ることがなかったのは私の弱さの現れなのだろうか。
今となっては、あの頃に非行に走っていた方がよかったのかもしれないと思う。
もうすべては遅いのだけれど。
よくもなく悪くもなく、常に低空飛行を続けていた私の世界を照らしてくれたのは惰性で入学を決めた大学で出会った丈司さんだった。私のどこが気に入ったのか、こまめに連絡をくれて、アプローチをしてくれて、もしかしたら私にも輝かしい未来があるのかもしれないと思わせてくれた人だった。
就職先が見つからない私に、自分が稼ぐから君には俺を支えてほしいとプロポーズされたときは、思わず自分の頬をつねってしまった。
夢じゃないよと笑い合い、私でよければ喜んでと抱きしめ合い、私にはこの人しかいないと、心からそう思って結婚したはずだった。
己の現実から目を背けるように、幼い頃から夢想していた幸せな結婚生活。私もようやくそのスタートラインに立ったのだと思っていた。
それに、私は姉よりも早く結婚した。姉はその頃、大手上場企業に勤めており、仕事が恋人といった具合にキャリアウーマンとしての道を邁進していた。
姉よりも先に両親を晴れ舞台に呼べたのだと、そのことが削れ切った私の心を立て直していた。
子どもは、一人しか産むつもりがなかった。
自分のような子どもを生み出してはいけないという強迫観念が、常に心に渦巻いていた。
その一方で、たとえ一人だとしても自分のように不出来な子どもが生まれてしまったらしっかり愛せるのだろうかという不安もあった。
私の心の中にはまだあまりにも大きく姉が巣食っていて、ひとりっ子だったとしても、姉と子どもを比べてしまうかもしれないことが恐ろしかった。
そんな不安が、私を苛むせいだろうか。
私たち夫婦にはなかなか子どもができなかった。
結婚して数年経ち、避妊もせずタイミングもしっかりみているのに子どもができない。
私自身が焦る以上に、丈司さんの母親が口うるさく干渉してくるようになったのはその頃だった。
『あなたももう三十を過ぎたのだから、早くしないと』
『跡継ぎを産んでもらわないといけないのに』
『あなたに原因があるんじゃないの?』
『お隣の酒井さんはもう二人目のお孫さんなんですって』
『もっと若くて健康な相手を探すべきだったのよ』
継ぐ家などどこにあるというのか。
そんなことは口が裂けても言えなかった。ただすみませんごめんなさいと頭を下げた。
一日に何度も何度も電話が掛かってきては同じような文言が繰り返される。専業主婦であるせいで、仕事を理由に電話に出ないこともできない。
友人と約束があって、買い物に出ていて、必死で理由を探して電話に出ないでいると、大量の留守番電話が溜まっていった。
我慢できずに丈司さんに相談すると、「注意しておくよ、茉莉奈に負担をかけないでくれって」と言ってお義母さんにそれとなく言ってくれる。
その直後は電話が来なくなるも、またすぐ再開される。しかも「なぜ息子に怒られなくてはいけないの、あなたが不出来なせいで私と息子の仲まで悪くなる」という文句が増える始末。
それだけなら、まだ我慢もできた。割り切って、思考の外に置いて、気にすることなんてないと言い聞かせることができた。
二人で話し合って不妊治療を始め、数ヶ月後に授かることができた時には泣いて喜んだ。
義母からの攻撃はその時も続いていたけれど、妊娠を報告したらしたでまた別の方向での過干渉が始まるに違いないことは想像できたので、せめて安定期に入るまでは余計なことをさせないためにも黙っておこうということになった。
どこから漏れるかも分からなかったので、私の家族にも伝えなかった。
お義母さんが住むのは北九州だったため、都心に暮らす私たちの元に頻繁に訪問する可能性は低いことだけが救いだった。できるだけ連絡をシャットアウトし、私とお義母さんの間には丈司さんを挟むようにした。
お義母さんの声を聞くだけでお腹の子に悪影響がある気がした。リラックスできるお茶、音楽、母体や胎教にいいと言われるものはとりあえず試し、自分と赤ちゃんにとって心地のいい生活を目指した。
けれど二十五週を過ぎ、そろそろ家族に報告をと思った矢先、私は自宅で意識を失い救急車で搬送された。
トイレに行った時、不正出血に気付いたところまでは覚えている。丈司さんによればスカートを真っ赤に染めた私が廊下に倒れていたのだという。
病院に着く頃には、もう胎内の赤ちゃんは鼓動を停めていて、蘇生は叶わなかった。
原因は分からなかった。私のせいかもしれないし、赤ちゃん自身の抱える原因かもしれなかった。何より悲しくて苦しかったのは、流産ではなく死産だったことだった。
更に悪いことに、赤ちゃんを取り出して胎盤を摘出している最中出血が止まらず、癒着を起こしていることが分かったらしい。
麻酔から覚めた私が、大粒の涙を流し続ける丈司さんの隣で聞かされたのは、生死の境を彷徨うほどの出血をしたこと、そして、子宮をすべて摘出したということだった。
私の胎内から、何もかもが失くなってしまった。赤ちゃんも、育てる場所も、何もかも。
意識を失うまでは、確かにここにあったのに。
もうだいぶ大きくなったお腹の中で、ぽこぽこと元気に動いていたのに。
どうして。どうして。どうして。
ぺったんこになったお腹をさすって号泣する私を、同じくらい泣きじゃくる丈司さんがきつくきつく抱きしめてくれていた。
手術によって私の胎内から産まれた赤ちゃんは、ちゃんと、赤ちゃんだった。可愛い顔をして、可愛い手をして、可愛い足をして、可愛い、可愛い、私と丈司さんの娘だった。
その口で、可愛らしく産声をあげるはずだったのに。その瞳に、私と丈司さんを映すはずだったのに。その耳で、愛を受け取るはずだったのに。
私たちの可愛い娘は、ピクリとも動かなかった。
二人しか知らない娘だけれど、しっかりとお葬式をした。届出を提出して、火葬をして、あまりにも小さな骨壷は、家で一番陽当たりのいい場所に置いたのだけれど、見る度に心が引き裂かれそうになった。
それでもまだ、私はギリギリで正気を保っていた。
私が壊れたのは、姉からの電話が原因だった。
『茉莉奈! 聞いて、私、赤ちゃんができたの! 順番は違っちゃったけど、今度結婚式も挙げることにしたんだ。あとでいくつか候補日を送るから、茉莉奈の都合を教えてくれる?』
その電話に、どう返事をしたのかは覚えていない。
目の前が真っ暗になったことだけ覚えている。
ああ、本当に、私は姉になにひとつ、敵わないのだ。
勉強も、運動も、仕事も、結婚も、妊娠も、何もかも姉のもの。
私の元にあるものは、ただ、丈司さんと、娘の骨壷だけだった。
行かなくてもいいよと言う丈司さんの言葉を無視して、私は姉の結婚式に出席した。私にはやることがあったから、つらくもなんともなかった。
貼り付けた笑顔は誰にもバレなかった。
両親も姉も、「茉莉奈がそんなに喜んでくれるとは思わなかった」と嬉しそうに笑った。
そんな訳がないだろうに。本当におめでたい家族だと思う。
私の中身をひとつとして知りもせず、私を含めた幸せな家族だと思っている三人は、いつだって別世界の人間だった。
自分たちに表しかないからと、他者にも裏などないと心の底から思っている人たち。
私もそうであれたら、真っ白であれたら、光であれたらよかったのに。
私の携帯は未だに、お義母さんからの着信を知らせてくる。電源を切ってカバンに放り込み、家族揃って記念撮影をした。
私の時とは比べ物にならないくらいに盛大な挙式だった。
芸能人と見紛うばかりの新郎新婦だった。三度のお色直しはどれも、姉のために生み出されたのではないかと思うくらいに似合いのドレスだった。
大勢の友人と職場の人たちに囲まれて、この上なく幸せそうな顔をして、誰からも羨まれる二人だった。
たくさんの祝福を浴びる二人は、その中にひとつ異なるものがあることなど微塵も気付かなかっただろう。
「お友達になろうね」
そういって姉の胎を撫でた私を怪しむ人は誰もいなかった。
私が、これから産まれてくる子と友達になりたいと、そう願うだけの微笑ましいシーンだっただろう。
微笑ましくはあるのかもしれない。私にとっては。
あの日以来私の周りから離れないこの子に、お友達を作ってあげるだけなのだから。
(いとこなのだもの、仲良くなれるわよね)
私はただニコニコと、これから娘の友達になるであろう子を見つめた。
娘に友達ができると思えば、惜しみない拍手を送ることだってできた。
姉の結婚式は、これ以上なく素晴らしいものになったのだった。