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第4話:王宮への奉公(4)

2025/05/18:改行の調整

 次の日も、その次の日も、リュカに与えられる仕事は最も単純で、最も厳しいものばかりだった。夜明け前から始まる野菜の下ごしらえ。百個のニンジン、五十個のカブ、山のようなジャガイモ──一人の料理人に任せるには遥かに量が多すぎた。


 通常なら三人がかりの仕事量だ。


「獣人、あと一時間でこれをすべて終わらせろ」

「もっと速く。厨房を待たせるな」

「さっさと次の仕事に移れ。まだ肉の仕込みが残っている」


 監督の料理人たちは彼女の仕事に文句をつけることができないと知ると、今度は不可能な時間制限を設けるようになった。しかし、リュカの切る野菜は完璧だった──均一な大きさ、繊維に沿った切り方、無駄のない動き。これには文句のつけようがなかった。だから彼らは別の方法で彼女を追い詰めた。


 だが、リュカの手は決して止まらなかった。養父の教えを思い出しながら、ひたすら包丁を動かした。彼女の処理速度は日を追うごとに上がっていき、不可能と思われた量の野菜も、期限内に仕上げるようになっていった。そして不思議なことに、彼女の切った野菜は必ず調理に使われ、料理長たちからも「今日の野菜は特に良い」と評判になっていた。無論、それが獣人の仕事だとは誰も知らされていなかった。

 

 一週間が過ぎた頃、彼女は厨房内の新たな仕事に回されるようになった。


 食器洗い。朝から晩まで、何百もの皿や鍋、銀食器を洗い続ける作業。通常は三交代で行われる仕事を、彼女一人に任せた。彼女の指先は熱湯と強い洗剤で赤く腫れ上がった。だが、獣人特有の回復力により、夜が明ける頃には指先の痛みは和らいでいた。手が丈夫なのは、皮肉にも彼女が最も厳しい仕事に選ばれる理由の一つだった。


「指が丈夫だと、洗い物も楽だろう」

「獣はやっぱり丈夫でいいな」


 人間たちの会話は、彼女の鋭敏な耳に届いた。リュカは何も言わず、ただ黙々と皿を洗い続けた。


 二週間目に入ると、肉部屋の掃除と食器洗いに加え、彼女には廃棄物処理の仕事も任されるようになった。厨房から出る生ごみを集め、城外の処理場まで運ぶ重労働だった。重い樽を背負い、長い階段を下り、暗い通路を通り抜け、最後は城外の処理場へ。この仕事を一日に三度、繰り返した。


 時折、ヨハンが彼女の作業を見に来ることもあった。彼は決して露骨な援助はせず、ただ横で見守るだけだった。だが、その目には確かな評価の色が宿っていた。



◆◆◆◆◆◆



 王宮での奉公が一ヶ月を過ぎようとしていた。


 王宮の大時計が八の音を鳴らし終えたころ、リュカは肉部屋の掃除を終えていた。今日で奉公も最終日となり、宮廷での一ヶ月近くの生活で、彼女の身体はすでに過酷な労働リズムに順応していた。肉部屋の血のこびりついた石床を磨き上げる仕事は、もはや彼女の日課の一部となっていた。


 獣耳がピクリと動き、誰かが近づく足音を捉えた。それは厨房の見習いの一人から声をかけられた。


「リュカ、エドガー副厨房長が呼んでいる」


 彼女は手の血を水で洗い流し、濡れた布で額の汗を拭った。獣耳の先端が緊張で微かに震えている。副厨房長に呼ばれるということは、何か問題があったのだろうか。それとも、また新たな雑用を言いつけられるのだろうか。


「はい、すぐに参ります」


 一ヶ月近くが経とうとしていた今でも、王宮での生活は彼女にとって日々が試練だった。野菜の下ごしらえから始まり、肉部屋の掃除、食器洗い、廃棄物処理──人間の六人分の仕事を、彼女一人でこなしていた。


 リュカは小さな溜息をつきながら、副厨房へと向かった。王宮の広大な廊下を歩きながら、彼女はいつものように壁際を歩き、目立たないように身を縮める。頭巾は裏路地を除いて王宮内では禁止されており、彼女の褐色の獣耳は否応なしに露わになっていた。


 副厨房に着くと、エドガーが大きな調理台で何かの書類を確認していた。彼の顔には、いつもの厳しさではなく、少し困惑したような表情が浮かんでいた。


「呼びましたか、副厨房長様」


 リュカは小さく頭を下げた。彼女の声は、王宮での生活が長くなるにつれて、さらに小さくなっていた。存在を消すように、空気に溶け込むように。

 エドガーは顔を上げ、彼女を一瞥した。


「ああ、リュカか。実は少し厄介な話がある」


 彼は手元の書類を指さした。


「客人用の賄いが抜けていたらしい。王宮の使用人がたった今、報告してきてな」


 エドガーは困った顔で首を振った。


「すでに他の料理は片付けられてしまった。主厨房も副厨房も明日の準備でてんてこ舞いだ」


 彼の視線がリュカに向けられる。獣耳がそれを感じ取り、わずかに前方へ傾いた。


「誰か一人で簡単な賄いを作ってくれる者が必要なんだが……副厨房の誰も手が空いていない。お前は肉部屋の掃除が終わったところだな?」


 リュカは小さく頷いた。同時に、彼女の心臓が早鐘を打ち始めていた。


 宮廷での一ヶ月は、ただ下働きとして雑用をこなすだけだった。包丁を握ったのは野菜の下ごしらえのときだけで、実際に火を通す料理はさせてもらえなかった。



「東棟の配給棚に食事を作って欲しい。簡単な賄いでいい。材料はあそこの棚から好きなものを使え」



 エドガーは少し迷った後、付け加えた。


「お前の腕は本物だ。任せてもいいか?」


 リュカの耳が一瞬で立ち上がった。彼女の胸に小さな希望の灯がともる。




「はい! 喜んで」




 彼女は自分の声の弾んだ調子に驚いた。いつの間にか、冷たく静かな王宮の空気に凍りついていた感情が、少しずつ溶け始めていた。


「そうか、では急いでくれ。他の仕事もあるだろう」


 エドガーはそれだけ言うと、彼女に背を向けた。その素っ気ない態度の中にも、わずかな期待が混じっているのを、リュカの鋭敏な耳は捉えていた。


「はい」


 リュカは深く頭を下げた。


 エドガーは小さく頷き、彼女を材料置き場へと案内する。棚には野菜、肉、香辛料が並んでいる。彼女の獣耳が前傾し、鼻孔が微かに広がった。嗅覚で素材の鮮度を確かめていく。


「必要なものは好きに使ってもらって構わない。一時間後には東棟の配給棚に届けてくれ」

 エドガーは言い残すと、忙しそうに厨房の方へと戻っていった。


 考える時間はない。何を作るべきか。

 リュカは集中すると、周囲の騒音が消えていくのを感じた。


 あるのは素材と彼女だけ。指先が微かに震え、心拍が高まる。興奮か、緊張か、彼女にもわからなかった。


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