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第39話:再開する銀の厨房(4)

 夕暮れが「銀の厨房」の窓から差し込み始めていた。

 春原はカウンター越しに「銀の厨房」の店内を眺めた。朝から昼過ぎまで、多くはないが着実に客が訪れた。常連のゴードンのような優しい人々もいれば、獣人を忌避する者もいた。


「ふぅ……」


 思わず漏れた春原の溜息に、リュカの獣耳がピクリと反応した。彼女は包丁を置き、厨房から顔を覗かせた。


「春原さん、もうお客さんは来ないと思うので……閉店の準備をしましょうか。それに、黎明市の準備もしないといけませんし」


 春原が開店を知らせる看板を店内に片付けると、リュカは小さな本棚から料理帳を取り出してきた。古びた革表紙の本には、丁寧な字で様々なレシピが記されている。おそらく養父のエルベルトから受け継いだものだろう。


 春原とリュカはそれぞれ椅子に座り、思い思いに考えを巡らせた。


「露店では、手軽に食べられるものがいいよね。歩きながらでも食べられるような」

「そうですね……」


 リュカは料理帳のページをめくりながら、真剣な表情で考え込んでいた。翡翠色の瞳が集中して輝き、獣耳が前傾して微かに揺れている。その姿は、まるで狩りに集中する小動物のようでもあった。


「あっ、思いついた!」


 突然、春原が声を上げた。その声にリュカの獣耳がピンと立ち上がる。


「僕のいた国では、祭りや市場でよく売られている食べ物があるんだ。『焼きそば』とか『たこ焼き』とか、あと『クレープ』とか……」


 春原の声は熱を帯び、両手で料理を形作るように身振り手振りを交えて説明し始めた。


「焼きそばは、小麦粉で作った麺を野菜や肉と一緒に炒めたもので、たこ焼きは小麦粉の生地にタコの切り身を入れて球形に焼くんだ。クレープは薄い生地で果物やクリームを包んだ甘いお菓子で、片手で食べれるから手軽に食べれるモノなんだけど」


 リュカは興味深そうに聞き入っていた。獣耳が春原の言葉の一つ一つを捉えるように微かに動き、目は好奇心で輝いている。


 彼女は考え込むように言った。


「それはオルステリアの家庭料理の『炒め麺』と呼ばれる料理に似ていますね……。西方の領土の郷土料理で、小麦の麺を香辛料と一緒に炒めるものです」


 春原の顔から期待の表情が消えていく。


「た、たこ焼きに似た料理は?」

「タコが何かはわかりませんが、『ドワーヴィル焼き団子』でしょうか。ドワーフの鉱山労働者が軽食として発展させた料理です。小麦粉と卵の生地に細かく刻んだ肉や魚を入れて、半円状の窪みがある鉄板で上手に丸く焼き上げ、果物や野菜に香辛料を加えて熟成させた調味料をかけて食べます」


 春原の肩がガクリと落ちた。


「ク、クレープは?」

「『エルフェリムの葉包み』という料理があります。薄く焼いた生地に果実や蜜を包むもので、エルフの祝宴では欠かせない一品です」


 春原は椅子に深く沈み込んだ。彼の顔には落胆の色が濃く浮かんでいた。期待に満ちていた目が今は虚ろになり、口元も下向きに曲がっている。


「そっか……結局ここでも僕は役立たずか……」


 春原の心の中では、期待が粉々に砕け散っていた。

 異世界転移モノの物語では、主人公は必ず何かしらのチート能力を持っているもの。料理の知識ぐらいは「現代知識チート」として通用するかと思ったのに、この世界の料理文化はすでに発展しきっていた。


「で、でも! 春原さんの説明してくれた食べ方の工夫は素晴らしいと思います。特に『くれーぷ』のように片手で持って食べられるというのは、黎明市のような賑やかな場所では重要な利点です。多くの人が歩きながら楽しむので、そういった気軽さは必須なんです」


 春原は弱々しく顔を上げた。リュカの声にはわずかな励ましが含まれていたが、それでも彼の表情は晴れなかった。


「す、春原さんの話を聞いていて、一つアイデアを思いつきました」


 リュカは料理帳を閉じると、立ち上がって厨房へと向かった。

 その足取りには珍しく躍動感があった。獣耳が期待で前に傾き、尻尾が微かに左右に揺れている。


「うん?」

 春原は興味を覚え、彼女の後に続いた。


 リュカは調理台に材料を並べ始めた。小麦粉、卵、牛乳、羊肉と野菜、それに薬草やスパイス。彼女の指先が素早く食材を選び、測っていく。春原はただ見守るしかなかったが、それでも彼女の動きの美しさに見とれていた。


 小麦粉と卵を鉢に入れ、リュカは少量の牛乳を加えていく。

 彼女の嗅覚が生地の状態を判断し、湿度やつなぎ具合を正確に把握していることが分かる。獣耳が微かな音を捉え、先端が小刻みに動く。彼女の尾は自由にさせていないため見えないが、腰の辺りの衣服がわずかに震えているのは、尾が動いている証だろう。


 やがて彼女は薄い鉄板を火にかけ、生地を薄く伸ばし始めた。その動きには無駄がなく、まるで幾千回も繰り返してきたかのようだった。火加減も、獣人特有の感覚で完璧に調整されている。彼女の目は鉄板を見つめているが、同時に耳は音を、鼻は香りを集め、それらの情報を統合して調理を進めているのだ。


「春原さんが話していた『くれーぷ』から着想を得ました」


 リュカは手を止めることなく説明した。


「これは私なりの創作料理です。薄い生地そのものに(ほの)かな香草と塩をひとつまみ混ぜて、それをさっと焼き上げます。中には東区の市場で手に入る季節の野菜と、ドワーフに人気の燻製された羊肉を細かく刻んだものを入れるんです。それに、果物や野菜に香辛料を加えて熟成させた調味料に柑橘の汁を少し絞り、並べた野菜とお肉の上にかけます。最後に細かく刻んだ香草をふりかけて完成です!」


 それから彼女は生地を手際よく折りたたみ、コンパクトな扇形に仕上げていく。角を丁寧に合わせ、余分な部分を折り込むと、手のひらサイズの半円形の包みが完成した。その見た目は上品でありながらも、片手で持てる実用性も兼ね備えていた。


「できました」


 リュカは小さな達成感を込めて微笑んだ。彼女が春原に半円形の包みを差し出す。まだ温かく、そこからは複数の香辛料と香草が調和した奥深い香りが漂ってきた。


「これは……」


 春原は一口かじってみた。クレープのようなしっとりとした生地ではなく、パリッとした外側の生地の食感と(ほの)かな香草、軽く燻製され臭みの取れた羊肉と野菜の旨味のハーモニー。そして最後に残る柑橘の清々しさ。一口食べただけで、様々な味が口の中で踊り始めるようだった。


「おいしい! これはすごくいい!」


 春原は無意識に声を上げていた。これは確かに彼の知るクレープとは違うが、その発想を活かしつつも、この世界独自の風味がふんだんに詰まった一品だった。


「本当ですか?」


 リュカの獣耳がぴくりと動き、彼女の瞳が期待を込めて春原を見上げている。


「うん、最高だよ。歩きながらでも簡単に食べられるし、この味なら絶対に人気が出る」


 春原はもう一口食べ、咀嚼してから飲み込むと続けた。


「何て名前を付けるの?」


「まだ考えていませんでした……。そうですね、『羊肉の香生地巻き(フリネレット)』でどうでしょうか。フリネレットは香草で巻くという意味なんですが……」


 リュカは少し困ったように耳を揺らした。


「『羊肉の香生地巻き(フリネレット)』……いい名前だと思う!」


 リュカの顔がぱっと明るくなった。獣耳が嬉しそうに立ち上がり、目の中にも光が灯る。


「よかったです! では、露店の商品はこれにしましょうか」


 二人は微笑み合い、春原は次の一口を楽しんだ。彼の素直な反応が、リュカの自信を育んでいるようだった。


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