第2話:王宮への奉公(2)
2025/07/05:本文を調整。話に変更はありません。
紫がかった鈍い光が窓から差し込み、リュカは目を覚ました。城壁の労働者入口へ向かう時間だ。
リュカは古びた木の椅子から立ち上がり、布団の代わりに使っていた外套を畳み、急いで支度を始めた。
リュカは慎重に麻布の頭巾を被り、獣耳を完全に覆い隠した。次に、背中で軽く揺れる褐色の尻尾を、細い紐で腰に巻きつけ、動かないように固定する。その作業は痛みを伴ったが、彼女は顔をしかめるだけで声を出さなかった。
「これで……大丈夫」
鏡を見たまま、彼女は小さく囁いた。頭巾の下でも獣耳は聞こえていたが、外からは普通の人間の少女に見えるはずだ。そう思いながらも、彼女は自分の細い腕と小柄な体つきを見て不安を感じた。
リュカは手早く荷物をまとめた—調理師資格の証書、養父エルベルトから貰った古い小包丁、そして王宮からの招聘状。最後に、彼女は店の小さな窓から見える通りを一瞬だけ見つめた。一ヶ月後、この景色に戻ってこられるだろうか。
「それでは、いってきます」
返事のない空間に向かって、彼女は静かに告げた。
朝霧がオルステリア王都の石畳を覆う頃、リュカは小さな影のように城壁の労働者入口へと急いでいた。頭巾を深く被り、視線を下げ、存在を消すように歩く。それは獣人として街を歩く彼女の習慣だった。
早朝にもかかわらず、通りはすでに活気に満ちている。市場へ向かう商人たちの荷車が石畳を揺らし、夜勤を終えた衛兵たちの鎧が朝日に鈍く輝き、井戸の周りには水汲みの人々が列を作っていた。普段なら彼女も仕入れの買い物でこの時間に街を歩いているはずだったが、今日は違う。今日から彼女の世界は変わる。
彼女は手に握った招聘状を何度も確認しながら歩いた。「王宮厨房補助員募集」の文字と、その下に記された「資格保持者優先」の一文。手紙を握る指先は汗で湿り、紙の端がわずかに波打っていた。もし失敗すれば——その先を考えることすら、彼女には怖かった。
城壁が近づくにつれ、リュカの心臓は早鐘を打ち始めた。呼吸が荒くなり、頭巾の下の耳が緊張で震える。彼女はそれを押さえつけるように、頭巾をさらに深く被った。王都の象徴である巨大な城壁が、いつになく威圧的に見えた。灰色の石組みは朝日を浴びて鈍く光り、それを見上げるリュカの背筋に冷たい震えが走った。
労働者入口には、すでに長い列ができていた。主に人間、たまにドワーフの職人や職務服を着た数人のエルフも見える。リュカはひと際小さな背を丸め、列の最後尾に並ぶ。心臓の鼓動が耳の中で響き、頭巾の下で獣耳がぴくぴくと痙攣していた。
彼女の前には、大柄な人間の男性が立っていた。
厚手の皮エプロンと肩にかけた木工道具から、家具職人だろうとリュカは推測した。男は無意識に列の中で体を揺すり、リュカの方へと少しずつ迫ってきていた。
男性の靴底から漂う臭いが、獣人特有の鋭敏な嗅覚に刺激を与える。
埃と木屑と、そして何か陰湿な感情のような匂い。疲労と焦りと、かすかな敵意。リュカは呼吸を浅くして、目線を落とした。人間の感情の匂いは時に有毒だった。
「次!」
衛兵の声に合わせて列が少しずつ進む。やがてリュカの前の職人が検問に呼ばれた。衛兵は男の証明書を確認すると、軽く会釈しただけで通した。鈍い金属音とともに、次の扉が開かれる。
「よし次!」
リュカの番だ。彼女は小さく一歩前へ出た。喉元まで押し寄せる緊張を飲み込み、頭巾の影に隠れた顔を衛兵に向ける。
「おい、止まれ」
突然、冷たい声が降りてきた。リュカは首を縮めたまま、おずおずと顔を上げた。衛兵の目が彼女の頭巾へと向けられている。その視線には疑念と軽蔑が混ざり合っていた。
「証明書を出せ」
リュカは緊張で震える手で、国家認定調理師資格の証書を差し出した。
衛兵は証書を手に取り、リュカの顔と見比べる。その目に浮かんだ不信感は隠しようもなかった。歴とした公印のある証書と、前に立つ矮小でみすぼらしい少女。その不釣り合いが、衛兵の顔に深い皺を刻んだ。
「それに頭巾を取れ。身分を確認させてもらう」
リュカは躊躇いがちに頭巾を下げた。心臓の鼓動が耳をつんざくほどに大きくなる。麻布の下からは、獣人特有の柔らかな褐色の獣耳が現れる。朝の冷気に触れ、その先端が震えた。周囲から小さな嘲笑が漏れた。後ろの列からは「また一匹紛れ込んだか」という声も聞こえた。"一匹"という言葉が、リュカの胸を鋭く突き刺した。
「……獣人か」
衛兵の声には淡々とした冷たさがあった。まるで彼女が人でなく、何か別の生き物であるかのように。
衛兵は証書をしばらく眺め、小柄な獣人少女と正式な調理師証書の間に横たわる違和感に困惑しているようだった。リュカは耳が反射的に下がるのを感じた。恐怖と屈辱が体の奥から湧き上がってくる。それでも彼女は、震える唇を噛んで感情を押し殺した。
「ここで待て」
彼は別の衛兵に証書を見せ、二人で何やら相談している。
リュカは地面を見つめたまま、じっと耐えた。耳に入る言葉の断片——「あり得ないだろう」「でも公印は本物だ」「どうせ王宮料理には触れさせないさ」——が胸を刺す。彼らの声にこもる軽蔑と好奇心の混合物は、獣人の耳には残酷なほど明瞭に聞こえた。
やがて衛兵は無表情でリュカを見下ろした。
「通れ、案内係が中で待っている。くれぐれも妙な真似はするな」
リュカは小さくお辞儀をし、頭巾を元に戻す。獣耳を覆いながら、彼女は城壁の奥へと歩を進めた。背後では、まだ嘲笑が続いていた。嘲りの針が背中に刺さるようだったが、彼女は振り返らなかった。前を向き、ただ歩く。それが彼女の生き方だった。