第15話:初めての王都(1)
2025/05/18:改行の調整
王宮の正門まで歩きながら、春原の胸は高鳴っていた。半年ぶりに外の世界に踏み出す。宮廷という牢獄から解放される。そして何より、あの料理を作った「リュカ」という料理人に会えるかもしれない。
春原は自分の服装を見下ろした。王宮で与えられた、仕立ての良い絹のシャツと上等な革靴。半年間過ごした宮廷生活では当たり前の服装だったが、城下の喧騒の中に一歩足を踏み入れた途端、それが異質なものであることを痛感させられた。
道行く人々の服装は、リネンやウールといった素朴な素材感のチュニックやベストが主だ。彼らは春原の姿を一瞥すると、好奇心か、あるいは警戒心か、値踏みするような視線を向けてくる。これでは、まるで「私は金持ちです」と宣伝して歩いているようなものだ。
「まずは服かな……」
彼は広場の噴水の横で地図を売っている老人に声をかけ、小さな地図を購入した。
王都オリアーノは五つの区域に分かれている。中心には王宮がそびえ最も賑わいを見せる中央区。その西には貴族や富裕層が暮らす西区、北には大商会が軒を連ねる商業地区の北区。東には港と庶民の街東区があり、南には古い石畳の残る歴史地区南区が広がっていた。
「まずは服を買って、それから王都を見て回ろう」
春原は地図で確認すると、北区の市場へと向かった。そこは王都一の商業地区で、あらゆる商品が手に入るという。
北区の市場は想像以上の規模だった。たくさんの露店が立ち並び、色とりどりの商品が並べられている。春原は服を売る店を探し、中央辺りにある大きな店舗に入った。
「いらっしゃい! 何をお探しで?」
店の女主人が明るく声をかけた。
「あの、普段着を探しているんですが……」
女主人は春原の姿を上から下まで眺め、少し驚いた様子を見せた。
「おや、綺麗なお召し物ですね。王宮の方かしら?」
「ええ、まあ。そんなところです」
春原は曖昧に答えた。
女主人は手慣れた様子で春原のサイズを目測し、いくつかの服を取り出した。春原は試着室で着替え、鏡に映る自分の姿に少し驚いた。茶色のリネンのシャツに、紺色のベスト、そして丈夫な作りの黒いズボン。一瞬で、この世界の住人らしい外見に変わっていた。
「よくお似合いですよ」
女主人は満足げに言った。
「靴もいかがですか? それから、旅をされるのでしたら、荷物入れも必要でしょう」
春原は革のブーツと、斜め掛けできる皮製の大きなバッグも購入した。バッグは意外と容量があり、”このあとに必要なもの”を入れるには十分な大きさだ。
服と靴、バッグ、そして予備の下着類で銀貨で5枚。アシュレイからもらった金貨1枚が20銀貨に相当することを知り、安堵した。まだ十分な資金が残っている。
「ありがとうございました」
春原は旧い服を包んでもらい、新しい服装で店を出た。身体が軽くなったような感覚がある。
◆◆◆◆◆◆
その後、春原は市場を歩きながらバッグの懐から取り出した小さなメモを見返した。
それは王宮の書庫で彼が見つけた本からの写し書きだった。そのメモを頼りに”必要なもの”を一つ一つ確認し、店を回りながら慎重に品物を選んでいった。
「これで全部揃ったかな」
バッグに"必要なもの"を詰め込み、春原は満足げに頷いた。昨日書庫で見つけた情報が役に立ったようだ。バッグは予想以上に重くなり、中から何かの香辛料らしき香りが微かに漂ってきた。買い集めたものは普通の買い物とは少し違う独特の組み合わせだったが、春原は人に見られないよう注意深くバッグを閉めた。
「さて、次は東区にでも向かおうかな」
春原は地図を確認しながら、東区へと向かった。肩に掛けたバッグが歩くたびに軽く揺れ、中の荷物がぶつかり合う鈍い音がした。北区から東区への道は次第に華やかさを失い、通りは狭く入り組んでいる。魔導灯は少なくなり、代わりに古風な灯火が街角を照らしている。
やがて、香りの洪水が春原を迎えた。東区の「美食街」と呼ばれる一角に到着した。
通りの両側に小さな食堂が立ち並び、それぞれが独自の看板と匂いを放っていた。魚の腥い香り、濃厚な肉の匂い、甘いパンの香り、香辛料の複雑な香り...それらが混ざり合い、春原の嗅覚を刺激した。
「ここなら誰か知っているかもしれないし……」
春原は一軒の小さな食堂に足を踏み入れた。店内は木の温もりに包まれ、数人の客が食事をしていた。壁には古い調理道具が飾られ、暖炉の火が温かな光を放っていた。
「いらっしゃい」
楽しげな声が店内に響いく。太った店主が迎えてくれた。顔には親しみやすさがあった。
「何にします? 今日のおすすめは『牛肉のホロシチュー』ですよ」
「じゃあ、それをお願いします」
しばらくすると、肉と野菜がたっぷり入った赤い煮込み料理が運ばれてきた。肉の脂と香辛料の香りが立ち上り、春原の食欲を刺激する。
一口すくって口に運ぶと、牛肉の素朴な旨味と野菜の自然な甘みが口の中に広がった。肉は柔らかく、スープは酸味と旨味のバランスが絶妙。王宮の食事とは違う、素材の本来の味を引き出した料理に春原は感心する。確かに美味しい料理だったが、昨夜の料理が持っていた「心に届く」感覚は感じられなかった。
「ご主人、『リュカ』という名前の獣人の料理人をご存知ないですか?」
春原の言葉に、店主は首を傾げた。
「リュカ? 知らないなぁ。この通りの料理人なら大体把握しているつもりだが……」
春原の肩が落ちた。最初の手がかりがこれほど簡単に途切れるとは思わなかった。だが、東区はまだ広い。他にも情報を得られる場所があるはずだ。
「ありがとうございます。とても美味しかったです」
春原は代金を支払い、次の店に向かった。
次に足を踏み入れたのは、魚介類を専門とする小さな食堂だった。入口には何種類もの魚が氷の上に並べられ、店主の老婆が鋭い包丁で手際よく魚をさばいていた。春原は鮮魚のスープを注文し、再びリュカの名前を尋ねたが、ここでも知る人はいなかった。
三軒目は、肉料理の店だった。店主の男性は、春原にたっぷりの肉が乗った「猟師風ステーキ」を勧め、高い温度で焼き上げた肉には驚くほどの旨味があった。しかし、ここでもリュカの名は知られていなかった。店主は春原に言った。
「獣人の料理人? 獣人も王都には多くはないが、情報が少なすぎるとなると……。もっと特徴を教えてくれないか? 髪の色とか、体格とか」
「それが……あまり詳しくは」
春原は苦笑いした。彼はリュカと直接会ったわけではなく、その料理しか知らないのだ。
四軒目、五軒目と回るうちに、春原の胃は一杯になり、これ以上食事することはできなくなった。それでも彼は諦めず、路地を曲がり、また別の食堂街へと足を向けた。




