第14話:手違いの異世界召喚(7)
2025/10/07:会話シーンを調整
王立魔導研究所は王宮の西翼に位置し、青白い魔力の光が窓から漏れる独特の建物だった。春原は門の前の衛兵に用件を告げ、アシュレイの研究室への案内を頼んだ。
アシュレイの研究室は予想通り、散らかり放題だった。本や羊皮紙が山積みになり、実験器具や魔導具の部品が床に転がっている。その中央で、アシュレイは何やら複雑な図面を眺めていた。
「春原か。珍しいな、お前が自分から来るとは」
アシュレイの声には驚きと皮肉が混じっていた。召喚されてから最初の数週間は連日のように会っていたが、彼が「失敗」と判断されてからは、アシュレイはほとんど春原に関心を示さなくなった。
「アシュレイ。お願いがあって来たんだ」
春原は単刀直入に切り出した。
「王宮の外に出たい」
アシュレイは図面から顔を上げ、不思議そうに春原を見た。
「ほう、外に? なぜだ?」
「……王国の文化をもっと深く知りたいんだ。半年も経ったのに、まだ王都さえ見たことがない」
アシュレイは椅子に深く腰掛け、春原を観察するように見つめた。
「突然どうした? これまではそんな希望は一度も口にしなかったじゃないか」
春原は一瞬躊躇った。昨夜の料理の話をすべきか迷ったが、直感的に別の理由を話すべきだと感じた。
「今までは……自分がここにいる意味を見いだせなかった。召喚の失敗、もとの世界への道も閉ざされて……ただ時間が過ぎるのを待つだけだった」
彼は真剣な表情でアシュレイを見つめた。
「でも、このままじゃダメなんだ。せっかく異世界に来たのなら、自分の目でこの世界を見て、何か一つでも理解したい。それが、今の僕にできる唯一のことかもしれないから」
アシュレイはしばらく黙って春原の言葉を聞いていた。やがて彼は立ち上がり、研究室をゆっくりと歩き始める。その背中からは、彼の思考が高速で回転しているのが感じられた。
「……春原を召喚した目的の一つは、異界の知識を得ることだった。まあ……そうだな、頃合いだろう。ここにいても無駄飯食らいなだけだ」
アシュレイは考え込みながら、机の引き出しから何かを取り出した。それは公式の書状と、小さな袋だった。
「これは外出許可証だ。王宮の衛兵に見せれば出入りを認められる。ただし、王都から出るな。絶対に王都の外へは行くなよ」
春原は即座に許可が下りたことに驚いた。アシュレイがこれほどの権限を持っているとは思わなかった。
「王都から出ると?」
春原は素朴な疑問にアシュレイは小さく笑い、春原に小さな水晶のペンダントを差し出した。
「ひとまず、これを首にかけろ。身分証明になる」
春原がそれを受け取り、首にかけると、水晶が一瞬青く光り、チェーンが自動的に締まった。不思議に思って引っ張ってみたが、外すことはできなかった。
「……外せない?」
「もちろんだ。このネックレスは……王都の境界を越えると爆発するようになっている。首ごと吹き飛ぶぞ」
春原は思わず自分の首に触れた。アシュレイは彼の反応を見て、わずかに口元を緩めた。
「ふっ、ほんの冗談だ」
「えぇ……冗談とかいうんだ、この人」
春原は思わず呟いた。
「ただ、こちらからお前の位置はわかるようになっている」
アシュレイは続けた。
「異世界人を手放しに外に放っておくわけにもいかないからな。それくらいは譲歩してくれ」
春原は首のペンダントに触れながら頷いた。監視されるのは不快だが、外に出られるなら仕方ない取引だった。
アシュレイは署名をした許可証を春原に手渡し、続いて小さな袋を投げた。春原が受け取ると、中から金貨が数枚出てきた。
「手切れ金だと思え。我々はもう何も得られないと判断したが、こうしてお前自身が動き出すなら……何か価値が生まれるかもしれん」
ずしりと重い小さな革袋から、それなりの額だと見当がついた。
「ありがとう」
アシュレイは手を振った。
「礼には及ばん。今日からお前は、そうだな……『文化観察官』という立場になる。外の世界を観察し、時々報告をせよ。特に、我々の知らない技術や文化があれば詳細に」
春原は頷いた。これは研究者としてのアシュレイの探究心から出た行動だろう。もはや春原自身には興味がなくても、彼が持ち帰る情報には価値があるかもしれないと判断したのだ。
「わかった」
春原は答えた。
「定期的に報告するよ、じゃあこれで」
「待て」
部屋を出ようとする春原を、アシュレイが呼び止めた。
「あと一つ。お前が異世界から来たことは、他者に口外するな。面倒なことになる」
「面倒なこと?」
「王国が異世界人の召喚に成功したと知れれば、余計な火種になりかねん。お前自身のためでもある。肝に銘じておけ」
アシュレイの言葉には、意外にも少しだけ心配の色が混じっていた。春原は頷き、研究室を後にした。
廊下に出ると、彼は思わず首に触れた。水晶のペンダントは肌に冷たく触れ、かすかに脈打っているように感じた。監視されているという事実は不快だったが、それ以上に、王都へ出られることへの期待が胸を満たしていた。
リュカという獣人の料理人。彼女の作る料理に込められた「何か」を求めて、初めて王宮の外に足を踏み出すことになる。




