第101話:三人一組の試験(1)
正午の鐘が王都調理師協会の塔から響き渡った。午前の筆記試験と基礎実技試験を終えた受験生たちが、各々休憩へと向かっていく。石造りの建物の中庭には、簡素なベンチとテーブルが並び、そこかしこで受験生たちが思い思いに昼食を取っていた。
「……午前の試験は何とか乗り切れたかな」
筆記試験はクラリスの対策のおかげで手応えがあったし、基礎実技も、何とか合格ラインには達したはずだ。しかし、心の奥底では依然として不安がくすぶっている。
春原は一人、中庭の隅のベンチに腰を下ろし、リュカが作ってくれた弁当の包みを解いた。
布に包まれたサンドイッチがいくつかと、小瓶に入った果実水。そして、小さな紙が二枚挟まっていた。
一枚目にはクラリスの筆跡で『ちゃんと食べなさい』とだけ書かれている。短い言葉だが、そこには不器用な優しさが滲んでいた。二枚目はリュカの丁寧な文字で『無理はなさらないでくださいね』と綴られていた。
春原の顔に思わず笑みが溢れる。朝の慌ただしさの中でも、二人は心を込めて準備してくれたのだろうか。
「春原はん、一人で食べとるん? ワイと一緒に食べへん?」
陽気な声に顔を上げると、栗色の髪のルドルフが立っていた。人懐っこい笑顔を浮かべた彼は、返事を待たずに春原の向かいに腰を下ろした。
「あ、ルドルフさん」
「なんや、一人で食べてるから声かけたんや。試験仲間やし、ご飯は一緒に食べた方が美味しいんやで」
ルドルフは自分の弁当箱を開けながら、春原の弁当に目を向けた。
「ほぉ、美味しそうな弁当やな。自分で作ったん?」
春原は少し照れくさそうに首を振った。
「あ、これはリュカさん……一緒に働いてる厨房の料理人が作ってくれたんです」
「へぇ〜、料理人の下で働いとるんか? どこの店や?」
ルドルフの問いに、春原は素直に答えた。
「東区の『銀の厨房』っていう小さな店です」
その瞬間、ルドルフの表情が一瞬だけ変わった。驚きとも取れる複雑な感情が、彼の瞳をよぎる。しかし、それはほんの刹那のことで、すぐに元の陽気な表情に戻った。
「『銀の厨房』! 聞いたことあるで! 獣人の女の子が料理人がやってる店やろ?」
春原は驚いた。東区の小さな店が、こんなところで知られているとは思わなかった。
「リュカさんのことご存知なんですか?」
「いや、噂で聞いただけや。なんでも黎明市でとんでもないパフォーマンスしたとかで噂になってたで」
ルドルフは空を見上げ、少し遠い目をした。
その表情には、何か思い出に浸るような柔らかさがあった。
「銀の炎を使う獣人の料理人……って話題になっとったんや。まさか春原はんがそこで働いとるとはなぁ」
春原は少し誇らしげに頷いた。
リュカの評判が届いていることが嬉しかった。
「……そういえば、最近『商人の女の子』が入ったとかなんとか」
ルドルフの何気ない一言に、春原の表情が少し固まる。
クラリスのことを知っているのだろうか。春原は警戒しながらも、平静を装って答えた。
「え? ああ、はい。知ってますよ」
すると、ルドルフは急に身を乗り出してきた。その目は好奇心で輝いている。
「ほんまに!? どんな人なん? きっと美人なんやろなー。羨ましいな春原はん。一緒に働きたいわぁ〜……はぁ……」
大きなため息をつくルドルフ。しかし、その目には単なる羨望とは違う、何か懐かしむような、寂しいような色が宿っていた。まるで遠い記憶を辿るような、不思議な表情だった。
「え、ええ、まあ……綺麗な方ですけど」
春原は曖昧に答えた。クラリスのことを詳しく話すべきか迷っていた。
「やっぱりな〜。美人やと思ったわ。いや、絶対美人やな、ワイにはわかるで」
ルドルフは無邪気に笑った。しかし春原には、彼がクラリスについて何か知っているような気がしてならなかった。その笑顔の奥に、何か隠されているような違和感を覚える。
「行ってみたいなぁ『銀の厨房』。そいで、『商人の女性』紹介してな!」
ルドルフの声には、純粋な興味が込められていた。
「ぜひ来てください。きっとリュカさんの料理、気に入ると思います。紹介は……まあ、本人に聞いてみます」
「おお、ほな試験受かったら行かせてもらうわ!」
ルドルフは明るく笑いながら、自分の弁当を頬張り始めた。春原も握り飯を口に運びながら、ルドルフという不思議な青年について考えていた。陽気で人懐っこい性格の裏に、何か別の顔があるような気がしてならなかった。
中庭では他の受験生たちも昼食を取りながら、午後の試験について話し合っている。
緊張と期待が入り混じった空気が、春の陽射しの下で揺れていた。
「……なあ、春原はん」
ルドルフが急に真剣な表情になった。
「料理人になりたい理由って、何なん?」
突然の質問に、春原は少し戸惑った。
しかし、ルドルフの瞳には真摯な光が宿っている。
「それは……」
春原は言葉を探した。
アレクシスに言われた屈辱的な言葉。
リュカの隣に立ちたいという願い。
そして、誰かを幸せにできる料理を作りたいという夢。
「……大切な人のために、料理を作れるようになりたいからです」
シンプルな答えだったが、そこには春原の全てが込められていた。ルドルフは満足そうに頷いた。
「ええ答えや。ワイは春原はんのこと、好きやで」
二人は静かに昼食を続けた。
◆◆◆◆◆◆
午後。受験生たちは再び試験会場に集められた。
今度は午前に実施された実技試験の教室ではなく、より広い調理実習室だった。調理台が整然と並び、天井からは魔導照明の明るい照明が降り注いでいる。
試験官が前に立ち、受験生たちを見渡した。
その表情は午前中よりも一層厳格なものになっている。
「それでは、午後の実技試験について説明します」
会場に緊張が走った。受験生たちは息を呑んで試験官の言葉を待つ。
「本日の実技試験は、三人一組でのチーム調理です。制限時間四十分で、指定された一つの料理を五十品完成させていただきます」
試験官の言葉が終わるや否や、会場中にざわめきが広がった。
「五十品!? 四十分で!?」
どこかから驚愕の声が上がった。
「一人約十七品……無理だろ」
別の受験生がつぶやく。
春原も衝撃を受けていた。四十分で五十品という数は、想像を絶するものだった。一品あたり一分もかけられない計算になる。
試験官は動揺する受験生たちを冷静に見つめながら続けた。
「調理師には協調性も必要です。チームワークと効率的な作業分担が、この試験の鍵となります」
なるほど、と春原は理解した。
これは単なる調理技術の試験ではない。チームとしてどう機能するか、互いの長所をどう活かすかが問われているのだ。
「では、チーム分けを発表します」
試験官が名簿を読み上げ始めた。春原は自分の名前が呼ばれるのを待った。
「……春原祐一、ルドルフ・トレイス、エリナ・フォスター。以上三名で一組です」
春原は驚いた。偶然にも、昼食を共にしたルドルフと同じチームになったのだ。ルドルフも嬉しそうに手を振ってきた。
「おお、春原はん! 一緒やな! 頑張ろうで!」
そして、もう一人のチームメイトを探す。
すると、眼鏡をかけた真面目そうな女性が近づいてきた。髪を後ろでまとめ、清潔感のある白いシャツを着ている。
「よろしくお願いします。エリナ・フォスターです」
彼女は丁寧にお辞儀をした。その物腰には育ちの良さが感じられる。
「春原祐一です。よろしくお願いします」
「ルドルフ・トレイスや! よろしゅう!」
三人は互いに挨拶を交わした。エリナは緊張した面持ちで、手にしたメモ帳を確認している。
「五十品を四十分……相当な連携が必要ですね」
エリナの分析的な口調に、春原は彼女が几帳面な性格だと察する。
「まあ、なんとかなるやろ! 三人で力合わせたら、きっといけるで!」
ルドルフの楽観的な言葉に、エリナは少し呆れたような表情を見せた。
「そんな簡単な話じゃないでしょう。まず、誰がどの料理を担当するか、効率的な作業動線を……」
「まあまあ、エリナちゃん。考えすぎたらあかんで。料理は楽しくやらんと」
正反対の性格の二人を見て、春原は苦笑した。
このチームで本当に五十品も作れるのだろうか。しかし同時に、何か面白いことが起きそうな予感もしていた。
試験官が再び口を開いた。
「調理開始は十分後です。それまでにチームで相談し、作戦を立ててください。なお、調理していただく料理に関する工程はこちらです」
配られた工程表を見て、春原たちは息を呑んだ。
下処理から火入れ時間、盛り付けまで、ありとあらゆる工程が並んでいる。しかも、それぞれに細かい指定がある。
「これは……」
エリナが青ざめた。ルドルフも初めて真剣な表情になった。
「ちょっと、これはさすがに……」
春原はリストを見つめながら、頭の中で計算を始めた。三人の動きをどう組み合わせれば、最も効率的に調理できるか。そして、ふと気づいた。
──僕は、人の動きを観察するのが得意だ。
午前の実技試験でも、観察力を活かして乗り切った。
もしかしたら、この能力がチーム調理でも役立つのでは。
「……あの、ちょっと提案があるんですけど」
春原が口を開くと、二人が振り返った。
「まず、それぞれが得意な分野を教えてもらえますか? それから作戦を立てましょう」
エリナが眼鏡を直しながら頷いた。
「そうですね。私は計量と下準備が得意です。几帳面だとよく言われます」
「ワイは火を使う料理が得意や! 炒め物とか揚げ物とか、豪快にいくやつ!」
春原は二人の特徴を頭に入れる。
そして、リストを見ながら、頭の中でシミュレーションを始めた。エリナの正確さ、ルドルフの豪快さ、そして自分の観察力。これらをどう組み合わせれば……。
しかし、春原は彼らが料理をしている姿を実際に見たこともなければ、料理人としての技術がどの程度かを知っていない。
「……わかりました。では、こういう分担はどうでしょう」
春原が提案を始めた時、彼はまだ気づいていなかった。自分の中に眠っていた、ある特別な才能が目覚めようとしていることに。
十分後、いよいよ本当の試練が始まる。
五十品という途方もない数の料理を、四十分で完成させる。それは、春原にとって新たな発見の時間となる。




