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第97話:三つの心が結ぶ契約(3)

 クラリスの突然の申し出に、リュカと春原は言葉を失った。店内に静寂が流れ、朝の光だけが三人を静かに照らしている。


 クラリスは緊張で身を固くしながらも、二人の反応を待っていた。彼女の心臓は早鐘を打ち、手のひらには汗が滲んでいる。


「えっと……お返事は……」


 クラリスが恐る恐る口を開きかけた時、リュカと春原が顔を見合わせた。

 


  そして、二人は同時に小さく微笑みを浮かべる。



「え? ちょっと! なんで笑うの二人とも! 私結構な覚悟できたつもりなんだけど!」


 クラリスは慌てたように声を上げた。真剣に申し出をしたのに、二人に笑われてしまい、彼女の顔は羞恥と困惑で赤くなっていく。


「いやぁ、クラリスだなぁと思って」

「何よ、それ! どういう意味!?」

「いつものクラリスらしいというか……真面目で、一生懸命で」


 春原の言葉に、リュカも獣耳を嬉しそうに動かしながら頷いた。


「はい。とても『クラリスさんらしい』申し出だと思います」


 二人の反応に、クラリスはますます混乱した。


「あわあああ!! だから、それがどういう意味なのかちゃんと説明してよ!」


 リュカは穏やかな表情で立ち上がり、クラリスの前に歩み寄った。


「でも、クラリスさん……本当にかまわないのですか?」


 リュカの翡翠色の瞳には、心配と共に優しさが宿っていた。


「ソラリス商会のような、お給金もだせるところではないですし、東区の小さな食堂ですから……」

 クラリスは首を振り、真剣な表情で答えた。


「ソラリス商会は辞めてきました」


 その言葉に、リュカと春原は目を見開いた。


「え! 辞めたって……」

 春原が驚きの声を上げる。


「ほ、本当ですか?」

 リュカも信じられないといった表情だった。


「はい」

 クラリスは静かに頷いた。


「自分の心に従いたかったから。商会での仕事は確かに安定していたし、将来性もあった。でも……」


 彼女は一度言葉を切り、窓の外の東区の街並みを見つめた。


「私が本当にやりたかったのは、ここにあるんです。……二人がいるこの『銀の厨房』に」


 クラリスの声には確かな決意が込められていた。


「だから、ここで働かせてください。私にできることがあるなら、何でもやります」


 彼女は深々と頭を下げた。

 リュカは静かにクラリスに近づき、彼女の肩に手を置いた。


「顔を上げてください、クラリスさん」


 リュカの優しい声に、クラリスはゆっくりと顔を上げる。


「ありがとうございます。私たちこそ、クラリスさんのような方と一緒に働けることを嬉しく思います」


 リュカの獣耳が喜びを表すように前に傾いた。


「では、私からも。『銀の厨房』をよろしくお願いします。……構いませんよね? 春原さん」


 リュカが春原の方を振り返ると、彼は迷わず頷いた。


「え? 僕? もちろん! 正直、経営のことはよく分からないから、クラリスに任せられるなら心強いよ」


 春原の素直な言葉に、クラリスの表情が一気に明るくなった。


「本当に? ありがとう!」


 彼女の声には嬉しさと安堵が混じっていた。そして、少し照れながらも真剣な表情で二人に向き直る。



「それでは、改めて……クラリス・ブライト、よろしくお願いします」



 彼女は深く一礼した。商会員としての堅い挨拶ではなく、心からの感謝を込めた、暖かな挨拶だった。



◆◆◆◆◆◆



 三人での開店準備は、想像以上に慌ただしく、そして楽しいものとなった。


 クラリスは経営面での知識を活かし、これまで曖昧だった収支管理や仕入れ先との交渉について、具体的な改善案を提示してくれた。リュカは料理に専念でき、春原は調理の修行により集中できる環境が整った。


「この仕入れ先なら、品質を保ちながら費用を二割ほど削減できそうです」


 クラリスが帳簿を見ながら説明すると、リュカは感心したように頷いた。


「すごいですね、クラリスさん。そんなことまで分かるんですか」

「商会で培った知識だから。これからは『銀の厨房』のために使わせていただきます」


 クラリスの言葉に、春原も感謝の気持ちを込めて言った。


「本当に助かるよ。僕たちだけじゃ、絶対に気づけなかったことばかりだ」


 午前中の準備を終え、三人は開店の時間を迎えた。リュカは慣れ親しんだ動作で『開店』の札を表に出す。




「さあ、始めましょう」




 リュカの静かな声に、春原とクラリスが頷いた。


 朝日が窓から差し込み、三人の姿を優しく照らしている。リュカの小さな体から放たれる確かな存在感、春原の真摯な学びの姿勢、そしてクラリスの新たな決意──それぞれが『銀の厨房』という場所で交わり、育まれていく。


 窓の外では、東区の日常が静かに流れている。様々な種族が行き交い、時に言い争い、時に助け合う。そんな日常の中に、『銀の厨房』の灯りは温かく輝き続けていた。


 料理の香りが街に漂い、人々の心を繋いでいく。


 そして、彼らの前に広がる道は、まだ見ぬ可能性に満ちている──。


 『灰かぶりの厨房』と蔑まれた場所で灯った小さな炎は、きっと多くの人の心に温かな光をもたらす。その光は、まだ見ぬ明日への希望を照らし出す灯火のように優しく輝いている。




———第3章 三つの心が結ぶ契約 完


次回、第4章では──


クラリスを迎えた『銀の厨房』に、春原の大きな挑戦が待ち受ける。調理師二級試験──それは彼がリュカの隣に立つ資格を得るための、避けては通れない道。

しかし、アレクシスの冷酷な言葉はまだ彼の心に深く刻まれていた。


「君の調理は、おままごとでしかない」


果たして春原は、この呪縛を乗り越えることができるのか?

そして、春原の才能とは──?


一方、『銀の厨房』に王宮から思いもよらぬ依頼が舞い込む。各国の大使たちが集う国交の饗宴にて、獣人国の大使への料理──それは『銀の厨房』にとって最大の名誉であり、同時に最大の試練でもあった。


だが、準備のさなかにリュカが忽然と姿を消し──

現れたのは、瓜二つの顔をした赤い瞳の少女。

「私はリーナ=ティ=エンセリナ...獣人国の大使よ」


料理が繋ぐ新たな絆と、明かされる少女の秘密。


──第4章「宮廷に響く銀の調べ」

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