第9話:手違いの異世界召喚(2)
2025/05/14:タイトル変更
翌朝から、彼の「検査」と称される日々が始まった。
最初の二週間、春原は王立魔導研究所の学者たちに四六時中付き添われ、あらゆる質問を浴びせられた。彼らは春原の体を様々な装置で調査し、「マナ反応」「魔素親和性」「パーセプション指数」などという彼には理解できない言葉で議論を交わした。
「異界の者よ、汝の世界では、マナをどのように制御しているのか?」
「汝の世界の魔導具は、どのような形状をしているのか?」
「エーテル抽出の技術は、どこまで進んでいるのか?」
質問の洪水に、春原は必死に自分の知識を伝えようとした。彼が知る「電気」や「エネルギー」の概念、中学校で習った回路の仕組みから、大学での基礎物理学、さらには科学小説で読んだ空想的な理論まで、あらゆることを話した。学者たちは彼の言葉を一言一句聞き漏らすまいと、熱心にメモを取った。
しかし、すぐに彼らの間で議論が始まった。
「彼の言う『電気』はマナの一形態なのか?」
「いや、異界では魔素の代わりに『電子』なるものを使うらしい」
「しかし、彼の説明は一貫性がない。詳細を理解していないようだ」
春原は必死に説明しようとしたが、彼自身、電気工学の詳細な知識があるわけではなかった。彼は一般的な大学生であり、科学の専門家ではなかった。彼の説明が断片的で、時に矛盾していることに、学者たちは次第に不満を示し始めた。
三週間目に入ると、研究員たちの表情に変化が現れ始めた。それまで熱心だった質問は、次第に疑わしげな調子を帯び始めた。
「春原殿、申し訳ないが、魔素の安定化について、もう一度詳しく説明していただけるだろうか?」
「先日の説明と矛盾しているように思うのだが...」
「この『電子』という概念は、どのようにルネタイトと関連しているのか?」
彼らの声は次第に苛立ちを含み始め、春原の答えに対する失望の色が濃くなっていった。
「だから、僕の世界には『魔法』なんてモノもなければ『魔道具』なんてないんだ!!」
春原はついに爆発した。
「電気は科学であって、魔法じゃない!誰も魔力なんて使わない!」
彼の叫びは、研究室の冷たい壁に吸い込まれた。学者たちは彼を憐れむような目で見つめるだけだった。
ある日、春原は大きな検査室に案内された。そこには複雑な装置が並べられ、中央には透明な円柱状の容器が置かれていた。
「最終検査だ」
アシュレイは冷たく告げた。
「これでマナへの適性を測定する」
春原は容器の中に立たされ、周囲の研究員たちが様々な計器を操作する中、不安な時間を過ごした。彼の心には、最後の一縷の希望があった。もしかしたら、この検査で特別な力が眠っていると判明するかもしれない...
やがて検査が終わり、アシュレイが結果を見つめる表情は氷のように冷たかった。
「……やはり『異界の力』など期待すべきではなかった。この召喚は失敗だ」
アシュレイの言葉は、氷のように冷たく研究室に響き渡った。それは春原の存在価値を否定する宣告だった。
「彼には魔素への適性が皆無だ。我々が求めていた異界の知識も持ち合わせていない。なんという時間の無駄だ」
春原はその言葉を聞きながら、自分の両手を見つめた。何の特別な力も宿っていない、ただの手。異世界に来て一ヵ月が過ぎたが、彼は「普通の人間」のままだった。魔法も使えず、特殊能力もなく、この世界での価値もない。
「つまり……僕はただの失敗?」
春原の言葉に、アシュレイは振り向きもしなかった。ただ短く答えただけだ。
「残念ながら、そうみたいだな」
その日を境に、春原の扱いは一変した。王宮内に与えられた部屋は変わらず豪華だったが、訪れる人はほとんどなくなった。最初の一カ月は毎日のように行われていた面談も、週に一度、やがて月に一度と減っていき、ついには完全に途絶えた。
彼はこの世界の「余計な荷物」になったのだ。かといって、彼を元の世界に帰す方法も誰も知らなかった。アシュレイは「異界召喚は古代の禁術の応用であり、逆行は不可能」と冷たく告げた。彼は異世界に取り残されたのだ。




