あなたでなくては
『あなたでなくても』に対比するタイトルでお話を書きたいと思い、『あなたでなくては』とタイトルをつけました。
前作と全く繋がりはありませんが、お楽しみいただけると幸いです。
「フィリップ様、今日はわたくしとカフェに行きましょう」
「あら、あなたはこの前もご一緒したじゃない。今日は、わたくしの番よ」
今日も私の恋人は、綺麗な人達に囲まれているようだ…。
そう思って見ていると、彼と目が合った。
私は他の人達の気に障らないよう、彼に軽く会釈して、その場を立ち去る。
いつもの事だ。
私と彼との交際は、彼からの告白で始まった。
騎士科の訓練で怪我をして運ばれてきた彼を、衛生係の私が手当したのがキッカケだ。
いつも女性に騒がれる彼からすると、淡々と手当をする私が物珍しかったようだ。
同じ貴族と言っても、貧乏男爵家の私と、筆頭公爵家の嫡男の彼では、釣り合うはずもない。
頑なにお断りしたけれど、今まで振られたことのない彼には、それも新鮮だったようだ。
結局一歩も引かず、私の方が根負けしてお付き合いすることになった。
それから3ヶ月が過ぎた…。
彼はいつも他の煌びやかな方達と出掛け、私は真っ直ぐ家に帰って、家事や弟妹達の世話に追われる。
うちが貧乏なのは、兄妹が多いためもあり、上は18歳の私が長女で、すぐ下は16歳の弟、その下に13歳の双子の弟と妹、そして忘れた頃に生まれた1歳の妹だ。
すぐ下の弟はとても優秀なので、高等部から帝国に留学するはずだった。
そのためにみんなで節約して、留学費用も貯めていたのだけれど…突然の家族の増員に金銭的余裕がなくなり、断念してしまった。
その話をフィリップ様にしたところ、なんと国費での留学に推薦してもらえ、夏から留学することが決まった。
もちろん弟も頑張ったが、フィリップ様が助言してくれた事が大きかった。
家事を終え、弟や妹達の勉強を見ていると、我が家唯一人のメイド、サマンサが来客を告げに来た。
そろそろだと待ちわびていた弟妹達は、私よりも早く玄関へと駆け出す。
「あなた達、家の中で走るのは危険だから止めなさい!!」
姉の言う事など聞かず、彼等が真っ直ぐに向かった先には、白い箱を持った彼が待っていた。
「「「フィリップ様、いらっしゃいませ!!」」」
弟、妹達はフィリップ様が大好きだ。
何故なら、いつも特別に美味しいお菓子を持って来てくれるからだ。
もう体がパブロフの犬のように、フィリップ様を見たら満面の笑みを浮かべるように出来ている。
「これ、チョコレートケーキだ。美味いと評判らしい。
ちゃんと夕飯を食べてから食べるように」
「「「「はい!!ありがとうございます!!」」」」
弟妹達はいいお返事をすると、受け取った箱を崩さないように大切にダイニングへと運んで行った。
「メアリー、少しだけ話せるか?」
何かいつものフィリップ様と違う空気を感じた私は、応接室ではなく私室へと案内した。
フィリップ様は初めて入る私の部屋に、物珍しそうに視線を動かしている。
「女性の部屋というのは…もっと華やかに小物等があふれているのかと思っていた…」
「女性らしくないでしょ。恥ずかしいからあまり見ないで…」
もともと飾り気のない部屋だけど、前までは人形などの小物も少しは置いてあった。
けれど、家に余裕がなくなり、妹達に新しい物を買ってやれなくなったかわりに、私の持っているもので欲しがる物は全てあげた。
もう子供ではない私には必要なかったから良いのだ。
「今度この部屋に似合う物を一緒に見に行こう」
「そんな、私は大丈夫ですよ。このままで問題なく過ごせますし、いつもお出掛けは他の方となさるでしょ?」
「これがメアリーと出掛けられる最後の機会になるかもしれない…。
だから、態々他の人と出掛ける必要もないだろう」
苦悶の表情を浮かべるフィリップ様の横顔に、とうとう戦争が始まるのだと悟った。
最近、隣国との関係がきな臭いと噂が流れていたけれど…こんなに早まるなんて…。
公爵家嫡男の彼が、何故そんな危ない戦地に行かなくてはならないのか?
跡取りのはずの彼が、領地経営科でなく騎士科なのは何故か?
疑問は色々あるけれど、彼がどうして他の女性と出掛けていたのかは知っている。
彼と付き合っていると噂された女性は、その後みんな彼の異母弟ローラン様の恋人になっていた。
中には、ローラン様と付き合いたいために、彼に声を掛けてくる者もいたと聞くけれど…。
フィリップ様のお母様は、彼が産まれてすぐお亡くなりになった。
今の公爵夫人は、その後隣国から迎えられた王女マルガリーテ様だ。
隣国の王族に多い、プラチナブロンドの髪に青い瞳のとても美しい人だと聞く。
その息子のローラン様も、マルガリーテ様に似て美しい顔をされている。
フィリップ様が騎士らしい立派な体格の男前なのに対して、ローラン様は線の細い、王子様系の容姿だ。
気さくで華やかなローラン様の方が素敵だという女性も多いが、私は口数は少ないけれど嘘はつかない、いつも朝夕の鍛錬を欠かさないフィリップ様が好ましい。
「今週末は空けておいてくれ。迎えに行く」
「楽しみにしております」
フィリップ様と行く、初めてのお出掛け。もちろんとても嬉しいけれど、これで最後になんてしたくない。
いつからこんな大きな存在になっちゃったのかな…。
部屋の中で1人、彼が買ってくれたガラス細工のペガサスを見る。色々な店を周り、選んだとても美しいペガサス。
彼は他にも、留学する弟に万年筆、双子にはいま流行りの冒険物語と恋愛小説、一番下の妹には手触りの良いぬいぐるみを買ってくれた。
彼が戦地に旅立って2週間が経ち、我が家はすでにフィリップ様のいない寂しさに耐えられなくなっている。
弟妹たちもしょんぼりして元気がない。
「メアリー、ちょっと入ってもいいかしら?」
控えめなノックと一緒に、母が部屋に入って来た。
家計を助けるため家庭教師をしている母が、この時間帯に家にいることは珍しい。
「お母様、まだ出掛けなくて良いの?」
母は部屋に入ると、私の手の中にあるペガサスを見た。
「可愛い娘が初めての恋に悩んでいる時に、仕事どころじゃないでしょ?」
今日の授業の生徒は、第二王女様だったはずだけれど…。
「あなたは長女だからと自分の気持ちを後回しにしがちだけれど、後悔だけはしてほしくないの。
このまま、ここでフィリップ様の帰りを待つだけで、本当にいいの?」
母は私の目を見つめ、手を握りながら聞いてきた。
「わたし…、我儘を言っても良いのかな?」
声が震える。
「あなたが好きな人を追いかけるのは、決して我儘なんかじゃないわ。
それを言うなら、お母様の方がずっと我儘よ。お母様は国のために動かなければならない立場だったのに、国を捨ててお父様のもとに来てしまったもの。
でも後悔はしていないわ」
どんな経緯があったのかは知らないけれど、留学中の父と恋に落ち、父が帰国する時についてきてしまったお母様。
王族の家庭教師が出来る程の知識、マナーを身に付けていることから、そう低くない身分だったことが想像出来る。
もしかしたら婚約者もいたのかもしれない。
母の後押しもあり、いま私は隣国との国境に来ている。
学園で衛生係として学んだ経験を活かし、戦地で負傷した人達の看護をしたり、料理や洗濯…自分に出来る事は何でも率先して行った。
人手の足りない所なので、私が家で行っていた家事も役立つようで良かった。
貴族の娘として、自慢出来る事では無いけれど、家にいた時もフィリップ様は家族のために偉いと褒めてくれた。
「すまない!!今すぐぬるま湯と布をくれないか……メアリー?」
懐かしい声に振り向くと、頭から血を流した男性を抱えたフィリップ様がいた。
「フィリップ様…」
「どうして君がここに…色々聞きたい事はあるが、今はそれより彼の手当が先だ。
敵に斬られたのだが、まずは傷口を消毒し、手当してやってほしい」
怪我を負った彼は、傷口を綺麗に消毒してみると、思ったより傷は浅かった。
手当が終わり、彼を病室のベッドに横たえてから、二人で病室を離れた。
「どうして君がここにいるんだ…。ここは前線ではないが、決して安全とは言えない。
出来れば君には安全な場所に居てほしい」
フィリップ様は、戸惑った様子で途切れ途切れに、けれどはっきりと自分の思いを告げた。
「わたし、長女だから今まであんまりみんなを困らせるようなことは言ったことがないんです。みんながそんな私を求めていたし、私もそうあるべきだと思っていました。
でも母が、私が思うようにすることは…フィリップ様を追いかけたいと思う気持ちに従うことは、我儘じゃないと言ってくれたんです」
フィリップ様の目を見つめ、はっきりと言い切った。そんな私の目をしばらく見つめ返したあと、フィリップ様は目を逸らし、呟いた。
「私には戦地での敵以外に、刺客も向けられている。
父がまだはっきりと後継者を定めていないため、義母はこの戦地で確実に私を亡き者にするつもりだ。
今ならまだ義母に君の存在は知られていない。
義母や弟には色々な人や物を奪われてきたけれど、君だけは無くしたくないんだ…。
どうか、私の事は忘れて幸せになってほしい…」
自分の事は忘れてと言うくせに、そう語る彼の目は、『忘れないで』と伝えてくる。
「あなたでなくてはだめなのです。
他の人では、私は幸せになれないのです。あなたが無事帰還して、私を幸せにしてください。
そして私もあなたを幸せにします」
私の言葉を聞いて、彼はグッと手を握った。
「やはりメアリーには勝てないな。
分かった。私も君との未来を諦めず、必ず生き残る。
だから君も決して危ない事はしないでくれ」
その後も、戦争は一進一退だったけれど、思わぬ帝国の加勢により一気に優勢となり、戦争は我が国の勝利で幕を下ろした。
フィリップ様も私も、無事生きて帰ることが出来た。
戦後、変わった事と言えば…。
「グリーン公爵、お待ちしておりました」
フィリップ様は戦後すぐに襲爵して公爵となられた。
今回の戦争の始まりが、マルガリーテ様の手引きによることが分かり、直接関わったマルガリーテ様ローラン様は処刑となったからだ。
元々マルガリーテ様がこちらに嫁がれたのは、隣国に対する人質の意味合いもあったのに、それを上手く制御出来なかった公爵も責任をとって爵位をフィリップ様に譲り、隠居するよう申し付けられた。
グリーン公爵家が降格しなかったのは、フィリップ様が戦地で活躍されたことと、私を婚約者に迎えたことが要因と思われる。
実は今回の戦争で途中から帝国が加勢したのは、母が祖国に救援を求めたからだ。
母は帝国の先帝の第8皇女で、今の皇帝の妹にあたる人だった。
高位貴族出身とは思っていたけれど…まさかの皇女だったとは…。
「メアリー、妻となる君にはフィリップと名前で呼んでほしい」
「フィリップ様…」
「君があの時、戦地まで追いかけて来てくれたから、私は諦めることなく生きて帰ることが出来た。
私が妻にと望むのも、一緒に生きていきたいと思うのも君だけだ」
今の彼はもう目をそらしたりせず、真っ直ぐに私を見てくれる。
意志が強い鳶色の瞳が好きだ。言葉よりも雄弁に語ってくれる。
「私が夫に望むのも、一緒に生きたいと望むのもフィリップ様だけです」
帝国仕込みの母の教えは、公爵夫人としても、十分に役立った。
帝国に留学した弟は、その才能を遺憾無く発揮し、帝国の従兄弟達に気に入られ、もう数年は帰国出来そうにないようだ。
双子の弟妹達はフィリップ様が無事戻られた事で元気を取り戻し、今では私達が出会った学園に通っている。
一番下の妹は、最近イヤイヤ期が始まり、何を言っても「イヤッ!!」と拒絶されるので、あの天使のように可愛かった赤ちゃんの頃が懐かしい…。それでもやっぱり妹は可愛いけれど。
「我が家も、君の実家のように、たくさんの子供達に囲まれた明るい家庭になるだろうか?」
フィリップ様が私の少し膨らんだお腹を撫ぜながら、笑顔で語る。
「そればかりは神様の思し召しですが、あなたと私ならきっと明るい家庭になるでしょう」
私もフィリップ様の手の上に自分の手を重ね、微笑み返した。
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