くちびるに、柔らかな感触
「この雨の中をですか!?」
自殺行為じゃなくって!?
ほぼ悲鳴のような声を出すと、ウェルノーが肩を竦める。
「リアン殿下に魔法をかけていただきましたので、ご心配には及びません。すぐ戻りますよ」
「魔法……。いえ、でも」
「山は日が暮れるのが早いんです。杞憂に終わるならいいのですが、日が沈んでからここを出るのはもっと危険ですから」
「リアン殿下……」
彼の言葉に、私は頷いて答えた。
そもそも、彼らの選択を拒否する立ち位置に私はいない。
私が頷いて答えると、ウェルノーたち三人は顔を見合せ、こくりとひとつ頷くと、そのまま小屋を出ていった。
呆然と彼らの後ろ姿を見ながら、私はふと気になったことをリアン殿下に尋ねた。
「……魔法、というのは?」
「五大属性魔法のうち、水、風の魔法を少し。光魔法で防御の効果も付与したので、短時間なら問題ないと思います」
「水、風、……。五大属性魔法は他には?」
「残りは雷と木と火です。……それより、フェリシア。寒くないですか?」
「お気遣いいただきありがとうございます。問題ありませんわ」
狭い小屋だ。
小屋の中には、今の季節は使われていないであろう暖炉と、簡易キッチンが併設されており、木製のコップがふたつ、雑巾が数枚、大判のタオルが一枚、丁寧に畳まれ、置かれている。
燭台があったので、それに火を灯す。頼りない光源が、室内をゆらゆらと照らす。
リアン殿下は大判のタオルを手に取ると、私に手渡した。
「どうぞ」
「……先に殿下が使ってくださいませ」
皇族を差し置いて使うとか、気が咎めるどころの話ではない。
遠慮すると、リアン殿下が苦笑する。
馬車を降りて、小屋に入るまで僅かな間だったとはいえ、大粒の雨だ。
かなり濡れてしまった。
それはリアン殿下も同様で、彼の毛先からポタポタと水滴が滴り落ちていた。
「殿下が先にお使いください」
さらに言い募ると、リアン殿下がにっこりと笑って言った。
「うーん……。それじゃあ、こうしちゃおう」
「わっ……!?」
リアン殿下は、なんと私の頭にタオルを乗せると、水気を拭き取り始めた。
「すみません。このままだと埒が明かないと思ったので」
「ごっ……強引ですわ!それに、リアン殿下だって濡れていますのに!」
「俺は慣れてますから。滅多に風邪も引きません。それより、フェリシア?あなたの方が体調を崩しそうだ」
そこまで言われたら、拒否するのは逆に失礼だ。そう思った私は、有難くリアン殿下の心遣いに甘えることにした。
私が拭き終えると、だいぶタオルは湿ってしまったが、それに構わずリアン殿下は額や首筋を拭き始めた。
それから、彼はなんてことないように──いや、彼にとっては事実、世間話なのだろう。私に尋ねてきた。
「フェリシアは、これからどうしたいですか?」
「どう……」
「まだ、聞いていませんでしたね。あなたがこれからどうしたいのか、俺はそれを知りたい」
外は、変わらず土砂降りの雨だ。
それを聞きながら、私はそっと、雨音に耳をすませた。雨の音は、ほんの少し気持ちを感傷的にさせた。
「……帰らなければ、と思います」
「帰らなければ?」
リアン殿下が、首を傾げて尋ねてくる。
それに、私は苦笑して、壁に背を預けた。
「私は、この国の……今の時代の人間ではありません。私が生きる時間は、五百年前……ツァオベラー王朝です。この世界において、私という存在は異分子にほかならない」
「誰がそのようなことを?」
「誰も。ただ、私が思うのです。私は、ここにいてはいけない、と。本来私は、この時代にいるはずのない人間です。その私がここにいることで、本来起こりえない何か、が起きてしまうことを……私は、恐れています」
リアン殿下は何も答えなかった。
彼はいつも緩く纏めている髪を解き、タオルで水気を取り始める。
僅かな沈黙の後、ハッと私は我に返った。こんなことを言って、私は彼にどんな返答を求めているのだろう。
彼の立場では、私の存在を認めるのも難しい話だ。
何せ、私は今の時代を揺らがしかねない、不穏分子。皇族の彼としても、存在を容認はできないはずだ。
そう思って、取り繕おうと口を開いた、その時。
ガタガタ!!と一際大きく窓が音を立てた、と思いきや。
ガタァン!!と窓が勢いよく開いた。恐らく、風の強さに押し負けて、蝶番が弾け飛んだのだろう。それと同時に、外から突風が吹き込んできて──
「きゃああああっ!?」
フッ、と燭台の灯りが消えた。
途端、小屋の中は真っ暗になる。
(な、何も見えない……!!)
特別、暗闇が苦手というわけではないけれど、今は話が別だ。何しろ。
──ガッシャアアアン!!
その時、この世の終わりのような音がふたたび響き、ステップをふむように飛び跳ねた。
「ワッキャァアアア!?」
「フェリシア、落ち着い──」
「おおお落ち着けませんわだって今、とても近かったですわよね!?光っ……光ッッ!!」
もはや、私は自分が何を言おうとしているのかすら分からない。
リアン殿下の落ち着かせようとする声が僅かに聞こえるが、それよりも私の意識は──窓の外から響く、雷の音にあった。
自然の力は恐ろしいものだ。海も山も、そして雷だって恐ろしい。
(音だけなら、そんなに怖がる必要ないじゃない、と思うわよね?そうよね。私もそう思う)
だけど前世──私は見てしまったのだ。
長期休み。祖母の家に遊びに行った。山の多い所だった。私は裏山で遊んでいて──突然雨が降ってきて──そう。
目の前の木に、雷が落ちたのである。落雷した。
あの時の恐怖は、絶望は、言葉では言い表せられない。この世の終わりのような地響きがして、劈くような暴力的な音がして、木がメリメリ言って──あれから、私は雷が苦手だ。
(この世界、避雷針ってあるのかしら!?多分ないわよね!?見たことないもの!!)
もし──そう、もし。
この小屋に、雷が落ちたら??
(端っこ……隅は危険!!)
側撃を受ける。心肺停止?熱傷?
あの時見た、大木を思い出す。ミシミシって、ミシミシって言ったのよ……!!
恐怖に突き動かされるように、私はハッと自身の立つ場所を見た。
(……壁際!!)
「──ッ!!」
ムンクの叫びのように両頬を挟んでから、瞬間的に、私は動いていた。リアン殿下の手首を掴んで、そう、とにかく真ん中。
小屋の真ん中を目指したのである。
後から思えば、リアン殿下は光魔法を使えるのだから不要な心配だったのだけど、その時の私はとにかく頭が回っていなかったのだ。
その時の私は、落雷を受けた大木と、その音。そして、過去の大雨の記憶しかなかった。
「フェリシ──」
私に手首を掴まれたリアン殿下が、ふたたび私を呼ぼうとしたその時。
またしても、落雷が落ちた。
──ドッゴオオオン……ダアアンッ!!ゴオオオンッ!!
(!?近……いどころでは、ない!)
音と光からして、恐らく至近距離──。
「〜〜〜〜ッ!?!?」
(近付いてきてる!着実に近付いてきてるわよね!?)
次は何!?私に落雷するのかしら!?!?
悲鳴のような声がこぼれて、足がもつれた。
咄嗟にリアン殿下が私の手首をつかん、で?
「きゃっ」
「うわっ」
バランスを崩したのか、リアン殿下に引っ張られ、私も勢いに任せてそのまま倒れ込んだ。
恐らく、リアン殿下の上に。
その瞬間。ちゅ、とくちびるに、柔らかな感触が触れた──気がした。
◇お知らせ◇
本作ですが、
2025/12/15 ブシロード(コミックグロウル)からコミカライズが連載開始予定です!
私も一読者としてとても楽しみです!
ぜひご確認ください、よろしくお願いします。




