素敵な初恋は思い出になるから
生憎、私の恋愛経験は乏しいものだ。
前世はともかくとして、今世では初恋未満の、おままごとのような恋愛経験しかない。
もちろん、ひとと恋愛話なんてしたこともなかった。
だから、この場合どう反応すればいいのか分からないのだけど──今の彼女には、感情の整理が必要そうだと思った。
「それで、ザックスともしっかり話し合った方がいいと思います」
「……ふん」
マグノリアは鼻を鳴らした。
納得が行っていない様子だった。
私は、言葉を選びながら彼女に言った。
「その上で、マグノリア様が本当に婚約を嫌だと思うなら……ご両親と話し合うべきだと思います」
ひとりで、泣いていても状況は変わらない。
それなら、変えるために行動するしかない。
幸い、というべきか、ザックスは話が分からない人ではないと思う。主観だけど。
それに、ザックスはマグノリアを気にかけていたし、彼女を大切にしていると思う。
彼女が本気で嫌がるなら、無理を通す人ではない……と、思いたい。
どちらにせよ、思うところがあるのなら話すべきだ。
そう思ってマグノリアを見ると、彼女はむっつりと黙り込んでいた。
しかし、私と話したことで多少落ち着いたのだろう。
いつもの調子が戻ってきたのか、彼女は高飛車に髪をパッとはらった。今日も今日とて見事にカールを描いた彼女の銀髪がくるりと揺れる。
「……そうね。私、告白してみるわ。リアン殿下に」
「その意気ですわ!伝えないことには何も始まりませんもの」
マグノリアは、じっと私を見つめた。
何か、言いたいことがあるようなそんな視線だ。彼女の目元は未だ赤いが、もうその目は潤んでいなかった。
「マグノリア様?」
「……あなた、失恋したのだったわよね」
「あ、ああー……」
以前話したことを思い出したのだろう。
私が、婚約者に恋……のようなものをしたけれど、それは実らなかったことを。
マグノリアは、傷ついたように瞳を揺らしながら、言った。
「……辛かった、わね」
ぽつり、彼女は言った。
同じ痛みを抱えていると、そう思ったのだろう。
「前に、キツいことを言ってしまってごめんなさい」
ふと、マグノリアがそう言った。
キツいこと……と言われて、パッと思い浮かぶ言葉はなかったのだけど、彼女は良心の呵責を感じているようだった。
彼女はまつ毛を伏せてぽつり、ぽつりと言葉を続ける。
「恋に破れるって……こんなに辛いのね」
「マグノリア様……」
「ねえ、あなたはどうやってこの痛みを乗り越えたの?婚約者だったのでしょ?しかも、実姉に取られたのでしょ?」
マグノリアは前のめりになって聞いてきた。
それに、私は苦笑する。
「乗り越えておりませんわ」
「え……」
「目を背けたのです。私は……逃げたのですわ。向き合って傷つくのが馬鹿らしいと思いました。だって、実の姉と、私の婚約者が、ですよ?しかもふたりは運命のひとだって言われていましたし……感情のやり場がありませんでした。ですから、見て見ぬふりをしたのです。……ここから」
私はそっと、自身の胸に手を当てた。
マグノリアは、困惑したように瞳を揺らしている。
そんな彼女に、私は笑ってみせた。
「私は、マグノリア様が羨ましいです。こう言うと、ご不快にさせてしまうかもしれませんが……あなたは、ク──素敵な恋を、されたのでしょう?」
クズを好きになったわけではないでしょう?と言いかけて、言葉を直す。
フェリックス様は、博愛主義で、他人の感情を二の次に考える自分勝手なひとだった。
ひとときの淡い恋は瞬く間に冷め、自分の感情を酷く悔やんだ。
なぜ、私はこんなひとを好きになってしまったんだろう、という後悔。
私にとって、その初恋は忌むべき過去で、葬り去りたい黒歴史で、忘れたい記憶だった。
だけどきっと、マグノリアは違う。
彼女は、その恋を誇りにすら思っているだろう。
良い恋をした、と思えることが……私にとっては酷く眩しく、羨ましいものだった。
私の言葉に、マグノリアはパッと銀色のまつ毛を跳ね上げた。
それから、泣きそうな顔になって頷いた。
「そうね。私、この恋に後悔はないわ。だから……あなたの言う通り、悔いを残さないためにも想いを伝えることにするわ」
そう言った彼女は、部屋を訪ねた時に比べると随分スッキリとした様子だった。
それに、良かった、と僅かに安堵する。
ここに来た時の彼女は、どこか思い詰めた気配があったから。
私はマグノリアに笑みを返すと、すっかり冷めきった紅茶のカップを手に持ちながら彼女に尋ねた。
「明日、リアン殿下と出かける予定があるのですけれどご一緒されますか?」
マグノリアが来ると答えたなら、ザックスも誘った方がいいだろう。
そんなことを考えていると、マグノリアはため息を吐いた。
「……やめておくわ。これ以上嫌われたくないもの」
「きら……」
「それくらい、私にもわかってるのよ。リアン殿下は押しの強い女は嫌いだわ」
「…………」
「分かってるならなぜ、と思ったんでしょう。そんなの、決まってるじゃない。好きだからよ。私、恋の駆け引きとか苦手なの。『好きなら押して押して、押しまくる』。それがお母様の教えよ」
「それは……情熱的な、お母様ですね」
「リアン殿下には逆効果だったけれどね」
マグノリアはむっつりとそう言った。
「私の話はこれくらいでいいでしょう。それで、あなたは飴を出せるようになったの?」
生徒の課題の進捗確認をする家庭教師のように、マグノリアは言った。
「…………」
それに、私は沈黙で返す。
マグノリアはため息交じりに言った。
「……だめなのね」
「……はい」
私は素直に答えた。
マグノリアは足を組み、腕も組んで私を見る。
「前にも言ったと思うけど、魔力というのは形の見えないものなの。空気のようなものよ。だから、理解しようとするのは、雲を掴むようなもの。感覚的な話だから、説明が難しいのだけど……」
マグノリアはそこで、眉を寄せ、言葉に悩むようにしながら言った。
「あまり、意識しすぎない方がいいわ」
「意識、ですか?」
「ええ。魔力の発現はだいたい幼少期に起こるものなのだけど、裏を返せば、大人になってから魔力を開花させるって相当難しいことだと思うの」
「大人より子供の方が感覚的なものを理解できるということですね」
「そういうこと。つまり、何も考えない方がいいわ。意識すればするほど、感覚は遠ざかるんじゃないかしら」
「む、難しいですね……」
眉を寄せ、彼女の話を自分なりに噛み砕いていると──ふと、マグノリアが言った。
「ねえ、フェリシア」
「はい?」
顔を上げると、マグノリアは俯きながら言葉を続けた。その顔は、照れているのか真っ赤だ。
「あなたが……この帝国に残ると言うなら」
「…………はい」
「私が、手を貸してあげてもよくてよ。あなたに、協力してあげる」
「……ありがとうございます」
きっと、私はツァオベラーに戻るだろう。
そうしなければならない、とそう思うからだ。
だけど、彼女のその言葉は、その気遣いは純粋に嬉しくて──私は、笑みを浮かべて彼女に感謝の言葉を返した。




