私も好きで言っているわけではない
フェリシアが蔵書室を出た後、続けてマグノリアも廊下に出たタイミングで、彼女付きの侍女ルシアが言った。
「……良かったですね、お嬢様」
「何が」
ぶっきらぼうにマグノリアは問い返す。
それに、乳姉妹の侍女はクスクスと笑みを浮かべながら答えた。
「初めてのご友人、でしょう?良い関係が築けるとよろしいですね」
「……あんなの、体裁を取り繕うためだけに言ったに決まってるでしょ!!行くわよ、ルシア!!」
「はい、お嬢様」
……そんなやり取りが交わされていることを知らず、フェリシアは自室で飴玉石と向き合っていた。
☆
蔵書室から部屋に戻った私は、飴玉石を手に魔力というものを感じ取れるよう励んでいたのだけど。
「う〜〜ん…………」
うんともすんとも、という感じである。
念を込めても意味が無いような気がする。
マグノリアが出してくれた飴のひとつを手に取って、包装紙を取り外した。
今度は、檸檬味のキャンディだ。
ころころと口内で転がしながら、私は石を翳した。
「んんぅ…………」
しばらくじっと見つめていた私は、やがて答えを出した。
それは即ち、
(……無理そう!!)
諦め、という戦線離脱である。
私はゆっくりソファの背もたれに背を預けた。
その後、一時間ほど石と格闘していたが、やはり成果は得られなかった。
夕食前になるとリアン殿下が部屋を訪れた。
そこで彼からも多少アドバイスをいただいたが、やはり無理だった。
魔力(概念)が難しすぎる……!!
もはや哲学。
常時開放型の特異魔法だからこそ、こんなことになっているのだろう。
随時開放型ならきっと、こんなに苦労することはなかった。
私にとって魔力は常に発動しているもので、意図して特異魔法を使ったことなんてなかったから。
私の奮闘の日々が幕を開けた。
☆
それから一週間ほどした頃だろうか。
リアン殿下が訪ねてきた。
彼は首を傾げて、私がこの一週間肌身離さず所持している飴玉石に視線を向けた。
「どうかな、練習の成果は」
「申し訳ありません。全くだめです」
私は正直に打ち明けた。
ここで誤魔化しても良いことなんてないことは明白だからである。
リアン殿下はあれ以来、丁寧な言葉使いとフランクな物言いが混ざったような話し方になった。
今のように砕けた言い方をする時もあれば、以前のように畏まった物言いになることもある。
完全に切り替えるのは難しいと本人が言ったとおり、意図せず丁寧な言葉遣いになってしまうらしい。
私の対面のソファに腰を下ろしたリアン殿下は私の言葉に少し考え込むような素振り見せた。
(う゛っ……期待に応えられないって辛い……)
これがフレンツェル公爵家なら、出来るようになるまで食事が抜かれるに違いない。
とんだスパルタ教育もいいところだ。
私の成長が全く見られないのでさぞかし困っているのだろうと思ったが、しかしリアン殿下が言ったのは私の想像もしていないことだった。
「行き詰まっている時は、リラックスしたり気分転換をすると良いそうです。フェリシア、あなたの三日後の午後のご予定は?」
「ないですけれど……」
何せ今の私は何の予定も無い暇人。
困惑しながら答えると、にっこり、リアン殿下が微笑んだ。
「では、少し遠出しましょう。思えば、フェリシアは現在のルーモスを見ていませんでしたね。五百年後の帝国を、あなたに見せてさしあげたい」
「ルーモスの……」
「王都の外れに観光名所になっている湖があります。その付近に王家所有の別邸がありますので、そちらに行きましょうか」
リアン殿下の誘いは願ったり叶ったりというものだ。
正直、この一週間、この石っころとずっとにらめっこしており、朝から晩まで一緒にいた。
すっかりこの透明な石は、私の体温で温もりを持つのが常、という有様だ。
このままでは思うような結果を得られず「ウギャーッッ!」と発狂し石を床に叩きつけ……たりはしないけれど、流石に。私はフレンツェルの娘なのだし。
しかし、鬱屈とした気分はストレスとなってさらに降り積もったことだろう。
だから、リアン殿下のお誘い自体はとても嬉しい。
嬉しいのだけれど──思考を過ぎるのは、先日の少女の顔だ。
てっきり、毎日城に詰めかけているのかと思いきや、この一週間は姿を見せていない。
私は彼女のくるんとした、見事なカールを描くツインテールを思い出しながら、さり気なさを装って切り出した。
「それなら、友人を誘っても良いでしょうか?」
「友人、ですか?」
リアン殿下の眉が訝しげに寄せられる。
(あっ、怪しまれてる!!既に怪しまれてるわ!!)
こういった話は、他人が介入するとややこしくなる、あるいは拗れるというものだ。
それは前世でもツァオベラー国でも、そしてルーモス帝国でも同じことだろう。
諦めた私は、ため息を吐くとリアン殿下に言った。
「マグノリア様もお誘いしてはいけませんか?」
「なぜ?」
速攻で問い返される。
それに、私は誤魔化すことをやめ、正直に言った。
「彼女はリアン殿下をお慕いしているようですので」
「…………だから?」
恐ろしいほど冷たい声でリアン殿下が言う。
無関係の人間に首を突っ込まれて鬱陶しい、という思いと、マグノリアへのうんざりとした感情を感じ取った。
なぜ、リアン殿下はそんなに彼女を倦厭しているのだろうか。
少し考えたが、私にはあずかり知らない過去が二人にはあるのかもしれない。
どちらにせよ、私には関係の無いことだ。
それより。
私だって好き好んで仲立ちめいたことをしているわけではない。
(そこまでお節介な性格では無いもの。それに、こう言う色恋って、他人が仲介すると余計拗れるって相場は決まってるのよ)
だけど、彼女には念を押されたのだ。
彼女も不安なのだと思う。
だから、彼女との関係に差し障りがないようにするためにも、確認は必要だ。
私はじっとリアン殿下を見つめた。
彼も、警戒するように私を見ている。
「私は、マグノリア様の友人になりました。ですから、お誘いしたいなと、そう思いました」
笑みを浮かべて答えると、リアン殿下は疲れたようにため息を吐いた。
「僕は、他人の思惑通りに動かされることが嫌いだ」
やはり、ご立腹のようだった。
彼らしくもなく、声が荒っぽい。
私の発言が、余計なお世話であったことは明白だ。
(とはいえ、今ここで「大変失礼いたしました!失言でしたわ!」と言い繕っても蟠りが残りそう……)
それに、問題事に片足踏み込んでおいた手前、やはり無かったことに……と引き下がるのは、リアン殿下にも失礼だと思った。
私は少し考え、出すぎた発言であることは理解した上で、彼に尋ねた。
「なぜ、彼女をそこまで遠ざけるのですか?マグノリア様は、リアン殿下に恋をされておりますわ」
「…………」
「差し出がましい質問で申し訳ありません。不快に思われたら、お答えにならなくて構いません。ですが──あなたとふたりで遠出、というのはやはり引っかかるものがあります。彼女がどう、とかではなく私自身がどうしても、思うところがあるのです。ですから、申し出は有難いのですけれど……」
「強引なところが」
私の言葉をさえぎって、リアン殿下が答えた。
驚いて顔を上げると、何とも複雑な顔をしたリアン殿下が視線を落としていた。
困惑、苛立ち、不愉快、呆れ、焦燥、そんな感情をミキサーにかけたかのような表情だ。
彼は眉を寄せ、ゆっくりと話し出した。
「【彼女】の話は以前したと思います」




