女たらしなのでは?
困惑交じりの笑みを浮かべると、リアン殿下が少し驚いたように目を見開いた。
確かにルーモス帝国は、素性の知れない怪しい女という肩書きを貼られている私だが。
ツァオベラー王朝では、フレンツェル公爵家の娘という立場にあった。
しかし、それでも貴族、なのだ。
皇族の彼が、私を謙る必要は無い。
リアン殿下は、あっさりと答えた。
「フェリシア様は、偉大な方ですから」
「へっ!?」
今、なんて?
驚きのあまり、『えっ!?』が『へえっ!?』に近い発音になってしまった。
令嬢にあるまじき発言である。
しかし、幸いにも、リアン殿下はそんな素っ頓狂な声を気にすることはなかった。
彼は、首を傾げて私を見る。
さらりと、リアン殿下の豊かな黄金色の髪が胸元で揺れた。
「おかしいでしょうか?フェリシア様は、五百年前の人物で、そしてツァオベラー王朝最後の王太子、フェリックス・ツァオベラーの婚約者であった方です。かの、有名なアグネス・フレンツェルの妹君でもある。……歴史に少しでも興味がある人間なら、知らない者はいません」
「最初、嘆きの塔で名乗った時に知らない、と答えられたのは……」
「まさか、現帝国においてフェリシア様がご存命だとは思いもしませんでしたので」
それはそうだ。
混乱したあまり、絶対今聞かなくてもいいことを尋ねてしまった私は、数秒考えた。
それから、やはり同じ答えを出す。
「私は、ただの貴族令嬢でした。ツァオベラー王朝時代においては、フレンツェル公爵家の娘という立場にありますが、リアン殿下はこの帝国の第二皇子殿下であらせられます。あなたが私に敬称をつけるのは……違和感が」
「そういうものですか」
「そういうものです」
力強く言いながら頷くと、リアン殿下も納得してくれたようだった。
そして、ちらりと私を見て、言った。
「では……フェリシア?」
「──」
(そうか!!レディ・フェリシアや、フェリシア嬢じゃないわよね!!)
このルーモス帝国において、私は何の身分もないただのフェリシアなのだから。
ただ、フェリシア、と呼ばれるのは──とても、
(違和感……!!落ち着かない……!)
慣れないからだろうか。
私のことをそう呼ぶ異性は、父を除き、婚約者のフェリックス様だけだった。
そんなことを、つい思い出してしまったものだから、リアン殿下がまた首を傾げる。
「……それとも、嘆きの魔女様と──」
お呼びした方がいいでしょうか、という問いを、私は言葉をかぶせるようにして否定した。
「フェリシアでいいです!!フェリシアと呼んでくださいませ!!是非!!」
食い気味に答えると、リアン殿下はその勢いに面食らったようにぱちぱちと瞬きを繰り返した後──ふ、と笑みを浮かべた。
その様子に、ハッとする。
(もしかしてまた、からかわれたのかしら……私は??)
僅かな疲労感を覚えながら、私はさらに、彼に尋ねた。
「どうして、殿下は敬語なのです?」
「ああ、気になりますか?」
「それは……はい。マシュー様には、普通に話されていましたよね?私も、あのように話していただきたいのですが……」
何せ、私は歴史上の偉大な人物でもなければ、皇族に敬われるような尊い身の上ではない。
頷いて答えると、リアン殿下は僅かに眉を寄せ──難しそうにしながら、口元に手を当てる。
「……私の、この話し方は癖のようなものなんです。部下以外には、基本、このように話しています」
「そうだったのですね……」
それは、少し意外だった。
「ですが、フェリシア様──いえ、フェリシアが気になるようなら、善処します。とはいえ、慣れてはいないのでしばらくはこの調子になるでしょうが。……ひとまず、フェリシア?」
「は……はい」
私も私で、リアン殿下の呼び方に慣れていない。
(私から呼び方の変更を求めておいて、動揺するのもおかしいかもしれないけど……!!)
なんだか、妙に緊張してしまうのだ。
落ち着かない……というか、ソワソワする、というか。
(そう……この感覚は、【旅行で家を出たけれど、何か忘れ物をしているような気がしてならない……!!】というあの感覚によく似ている気がするわ……!!)
財布はあるし、携帯もある。
家の鍵もあるから、いざとなれば何とでもなる……!!
その言葉を合言葉のように唱えて、その【何か忘れてしまったような気がする】恐れを無理にねじ伏せるのだ。
この据わりが悪い状態も、きっとその内慣れるだろう。
そう思っていると、リアン殿下がふわりと笑った。
「……また後で。あなたを訪ねるから」
リアン殿下はそれだけ言うと、そのまま回廊を歩いていってしまった。
彼は、魔法省の統括を任せられていると聞いたし、皇族の公務もあるはずだ。
恐らく多忙なのだと思う。
その忙しい時間を縫って、心を砕いてくれることには感謝しかない。
私はリアン殿下を見送った後、早速、彼にいただいた飴玉の包装紙を取り外した。
出てきた飴玉は、透き通ったピンク色。
指先で飴玉を挟むように持ちながら、陽の光に翳す。
別れ際、彼の言葉を思い出した。
『また後で。あなたを訪ねるから』
「…………」
(話し方が変わるだけで、あれだけ印象が変わるっていうのも、すごいわよね……)
美形が為せる技なのか。
あるいは、リアン殿下だからこそ、なのか。
そのどちらものような気がしてならない。
そんなことを考えながら、飴玉を口に含む。
飴は、苺味だった。




