過去と今は交わらない
塔の内部、つまり階段は記憶にある通り。
問題は、私の部屋だ。
リアン殿下と顔を見合せてから、一緒に階段を登った。
「内と外で時間の流れが大幅に異なっているのなら、空間自体が違う世界線にあると考えた方がいい。手っ取り早く、確認する方法がこれです」
リアン殿下が取り出したのは一枚のハンカチだった。
扉の前で、私はそれを見て首を傾げた。
「それは?」
「手持ちのハンカチです。これを、室内に投げ入れます。室内の一秒は、およそ外の十時間に相当しますので、投げ込んだハンカチの動きで分かります」
なるほど、もし私の時超えの能力が発動したままの状態なら、部屋の時間の流れはとんでもなく遅くなっているはず。
ハンカチを投げ込んで、そのハンカチが止まった状態に見えるようなら──時超えの魔法がかかっていることになる。
頷いて答えると、リアン殿下が扉を開け、そのままハンカチを投げ入れた。
結果は──
「……止まり、ましたね」
ハンカチは、空中の中で止まっているように見える。
まるで、重力がないかのようだ。
「一瞬、波紋のようなものが広がりました。恐らく、その壁の先が範囲内……ということなのでしょう。ひとまず、時超えの魔法がかかっていることは分かりました」
リアン殿下は、ハンカチを投げ込んたために持ち上げていた腕をゆっくりと下ろした。
そして、私を見る。
きらきらとした光をそのはちみつ色の瞳に宿して。
「時超えの魔法は、存在します。つまり、フェリシア様。──あなたは五百年前のツァオベラーに、帰ることが出来ます」
そう、言われて私は──。
☆
夜、宛てがわれた貴賓室に戻った私は、そのままベッドにボスン、と倒れた。
リザに見られたらお小言のひとつでも飛んでくる……どころか、恐らく彼女は顔面蒼白になるに違いない。
どこかお加減でも悪いのですか?と聞いて。
私を心配してくれるはず。
なぜなら、フレンツェル公爵家のフェリシアは、そんなことしないからだ。
それが、当然だった。
フレンツェル公爵家の娘として、フェリックス様の婚約者として、恥じない振る舞いを心がけてきたし、そのように生きてきたつもりだ。
だけどこのルーモス帝国に来て、何でもない、ただのフェリシアになって──。
その戒めが、外れつつある。
ベッドに横たわると、解いた桃色の髪がシーツに広がった。
それをぼんやりと見つめながら自問する。
(私……本当に、帰りたいのかな)
『あなたは五百年前のツァオベラーに、帰ることが出来ます』
昼間の、リアン殿下の言葉を思い出した。
あの瞬間、感じたのは『ああ、そうか』という納得と、困惑と……そして、諦観。
ルーモス帝国に来てすぐは、混乱していたし、すぐにでもツァオベラーに帰らなければならないと思っていた。
(……でも、今は)
ツァオベラーに帰ったところで、あの世界に私の居場所はなかった。
あのまま、フェリックス様とお姉様を見続けるくらいなら、いっそ……。
そこまで考えて、私は自分の思考にため息を吐く。
(何、考えてるのかしらね、私は)
ルーモス帝国において、私は異分子。
本来なら、存在しないはずの人間。
ツァオベラー王朝時代の人間が、この帝国に存在していてはいけないのだ。
(それに、私にはやることがあったじゃない)
苦労して、プレゼン資料を用意したのだ。
無駄骨、徒労に終わらせないためにも、私は過去に戻らなければならない。
戻らなければ、ならないのだ。
そっと額に手を乗せる。
そのまま目を閉じるが、目を閉じた世界には闇が広がるばかりで、全く眠気は訪れなかった。
☆
次の日、眠気を覚えながら回廊を歩いていると、リアン殿下に呼び止められた。
彼に渡されたのは、先日見た、水晶のような石。
先日とは異なり、仄かに薄桃色に染まっている。
これは確か──
「日傘石、ですか?」
「少し違います。飴玉石と言いまして、用途は……この通り」
リアン殿下が石に手を翳すと、次の瞬間、青白い光が仄かに光り──個包装のキャンディが一個現れた。
目を見開いていると、彼がそれを私に手渡してくれる。
思わず受け取ると、リアン殿下が柔らかく微笑んだ。
「魔力を込めたら甘いものが出てくると思えば、やる気が出ませんか?」
「ありがとうございます。これは、何味ですか?」
飴玉はクリーム色の個包装に包まれていて、何味か見当がつかない。
それにも、リアン殿下は笑みを浮かべて答えた。
「それは、食べてからのお楽しみ、ということで。毎回出てくるキャンディの種類は異なっていますので、フェリシア様も楽しめるかと思います」
随分と気遣ってくれたらしい。
細かい気遣いを感じる度に、その心遣いに嬉しくなる。
まじまじと石を見つめていると、リアン殿下が話を続ける。
「これは、主に幼い子を相手にする乳母や、子守りが所持するものなんです。まず、フェリシア様にはこちらで魔力というものを意識していただこうかと」
「凄いですね、五百年の時と言うのは……。しみじみ思います」
石を顔の前まで持ち上げて、それを陽の光に透かすように翳してしまう。
リアン殿下は苦笑して言った。
「五百年というのは、とても長い時ですから。本来なら、フェリシア様とこうしてお話出来ていること自体が、有り得ないことです。この奇跡に、私は感謝しなければなりませんね」
じっと石を見ていた私は、ふと気になることがあって顔を上げた。
リアン殿下のはちみつ色の瞳と視線が交わる。
じっと彼の瞳を見つめてから──私は、ルーモス帝国に来てからずっと抱いていた疑問を、口にした。
「あの……ものすごく、ほんっとうに今更な質問ではあるのですけど……なぜ、リアン殿下は私を【フェリシア様】と呼ぶのでしょう?」




