嘆きの塔到着
過去──ツァオベラーにいた頃。
異世界で魔法がある……と来たらもっと凄い、チート魔法が使えるのかもしれないと思うじゃない!!と、強く思ったことがある。
(暗殺稼業やってたり、隠密行動する忍びなら重宝したであろうこの能力!
生憎──(と言ってもいいものなのだろうか)今のツァオベラー国は平和そのもの。
つまり、私の気配遮断ディザピアーの出番はない。
私のような隠密行動に特化した特異能力は昨今、まっ……たく人気がないのである……)
平和そのもの、に見えたツァオベラーではいまいちパッとしなかったこの特異魔法。
異常事態の今だからこそ、役に立つスキルなのだ。
私の笑みを受けたリアン殿下は少し驚いたように目を見開き──それから首を横に振った。
「賛成できません。危険です」
「ですが、これが一番可能性があるのでは?リアン殿下も……そんなものつけていたくないのですよね?」
私は、彼の心情を察した上で、自身の手首の内側を指した。
途端、リアン殿下が苦い顔になる。
あと一押しだと思った私は、さらに言葉を続けた。
「ルーモス帝国で不自由なく生活できるのは、リアン殿下のおかげです。私は、その恩に報いたいのです」
「それは……ですが」
「ご安心ください。私の特異魔法の効果はご存知でしょう?第三者が私に接触するか、あるいは私から存在を認知させるよう働きかけさえしなければ、気付かれないのです。パッと調べに行ってパッと帰ってきますよ!!」
「…………」
それでもリアン殿下は思うところがあるようで、快諾しない。
(確かに私は諜報活動なんてしたことがないし、出会って二日の得体の知れない人間だし……)
信じられない要素の方が多い。
これで「分かりました、ではお願いします!!」と言われる方が驚きである。
二日しか話したことがないけれどリアン殿下は──優しげに見えて、根本的なところではかなり冷徹なひとだと思う。
少なくとも、自身の感情を優先し、判断を誤るタイプではない。
自身にかけられた魅了の特異魔法の解呪より、その成功率とルーモス帝国の存続の可能性に思いを馳せるひとだ。
だから、簡単に説得するのは難しいと思ってい。
それに……
(私自身、時超えの能力があるかどうかもまだ半信半疑だし、使えたとして、制御できるようになるかもまた別の話だものね……!!)
ツァオベラーに行って潜入調査する、しない以前の問題である。
そうしているうちに、馬車が停止した。
どうやら、嘆きの塔に到着したようだ。
リアン殿下が先に降りて、エスコートのために手を差し出してくれる。
その手を借りて、ステップを踏んで馬車を降りた。
そして、驚きに息を呑む。
そこは──なんっ……にもなかったからだ。
森!森!森!自然!豊か!!
五百年前は近くに城下町があり、栄えていたというのに──五百年の時を経た今は、緑しかなかった。
見渡す限りの自然。
ピュイー…………と、鳥の声が尾を引いて消えていく。
森の中に建つ、一軒の建造物。
通称、嘆きの塔──。
私がいた場所だ。
目の前に立つ塔は、二階建てほどの高さでさほど高さはない。
塔の周囲には、塔を囲うようにランタンの明かりが灯されていた。
電気のような光が灯っているし、ランタンとランタンの間を光線のようなものが繋いでいるのを見るに、城を囲う結界と同じものだろう。
結界の一歩手前で驚きに目を見開いていると、その場に第三者の声が聞こえてきた。
「はー……ようやく到着ですね。くたびれました」
「……!!」
驚いて背後を振り向くと、そこには青髪の騎士──確か、名前はマシューと言ったはずだ。
彼が、御者席から降りてきた。
そこで、ようやく私は思い当たった。
(そっか……!!馬車なら馬の手綱を引くひとがいるわよね……!!)
虚空の中にいる、なんてリアン殿下が言うものだから、うっかり外を見たらSAN値チェックが入るのでは……と思っていたけど。
そんなに危険なものではないのかしら。
そう思っていると、伸びをしたマシューが、疲労感滲む声でぼやいた。
「本当に疲れますよ、この虚空間は。気が狂いそうになります」
「そう?それなら帰りは僕が交代してあげようか」
「やめてください。そんなのがバレたら、俺のクビが飛びます」
「そこまで厳しくないよ」
リアン殿下が苦笑して答えている。
マシューの反応を見るに……
(窓の外、覗かなくて正解だったわ……)
私は強く思ったのだった。
ふたりのやり取りを見ていると、不意にリアン殿下が私を見る。
そして、ふわりと、柔らかな笑みを浮かべて彼が言った。
「あなたも御者席に座ってみますか?私の隣ですし、心配はいりません。少し、変わった経験ができますよ」
「エッ!?!?」
『本当に疲れますよ、この虚空間は。気が狂いそうになります』
マシューの言葉を思い出す。
(気が狂いそうになる──
気が、狂いそうに──)
一体、虚空の中というのは何が見えるのだろうか。
虚空という程だから、無?
闇魔法の一種だから、真っ暗だったりするのかしら??
暗闇の中──ただひたすら、馬車を進める。
光のない世界で、ひたすら。
「…………っ!!」
その光景を想像した私は、考えるより先に首を勢いよく横に振っていた。
「ご遠慮致しますわ!!」
「ふふ、冗談です」
にっこりと笑って、リアン殿下は結界の方へと歩いていってしまった。
「…………」
それに唖然として、思わず口をぱかりと開けてしまう。
令嬢に有るまじき姿である。
しかし、それに気付くより先に──背後のマシューが困ったように言った。
「すみません、ああいう方なんです」
「…………」
「あと、御者席には座らない方がいいです。本当に、気が触れそうになりますので……俺は、多少、慣れましたが。あの方は最初から平気な顔していましたからね。おかしいですよね、本当に」
ぐったりした様子で、マシューはそう続けた。
私は、顔を上げた。
視線の先には、一足先に結界に触れ、何やら呪文を詠唱している様子のリアン殿下。
彼を見つめ──私は強く思った。
ついでに、拳をぐっと握って。
(冗談は!!冗談と分かる顔をして……言うべきです!!)
リアン殿下の冗談は冗談に聞こえない。
というか、冗談を言うひとにも見えなかった。
してやられた、というより、完全にからかわれた私は、ため息を吐いて彼の背を追ったのだった。
☆
だから、その後ろで、マシューがその後に続けた言葉を──私は知らない。
「だけど、殿下が女性相手に冗談を言うなんて初めて聞いたんじゃないかな、俺」




