嘆きの魔女の恩返し〔真〕
そんなことを強く思っていると、リアン殿下が説明を続けた。
「虚空から物やエネルギーを生み出すことはそう難しくはないのですが、中に入る……となると、かなり難易度が高いんです。魔法陣の組み立てには一ヶ月。しかもこれは、使い切り。使い勝手が悪い上に、魔法構成や詠唱もかなり複雑で、ややこしい。今、これを使える皇族は私だけです」
「そ、そうですか……」
つまり、失踪したら誰も探せないということか……。
考えれば考えるほど恐ろしい魔法である。
昨日、リアン殿下に言われた言葉を思い出す。
『私の一族は、五大属性魔法に加え、特殊魔法──光魔法と闇魔法と言われるものを生み出しました』
『我が一族は、特殊魔法の第一人者です。それを利用しようとした当時の王に随分煮え湯を飲まされ……立ち上がったと聞いています。これが、第二次魔法大戦。今から約四百年前の話です』
第二次魔法大戦を制したのも、それから四百年の統治を可能としているのも──光魔法と、闇魔法という絶対的な力があるからこそ、なのだろう。
光魔法の能力はまだ伺っていないけれど、闇魔法の凄さを見るに、光魔法も相当なものなのだろう。
何もかもが、私のいた時代──ツァオベラーの時とは違う。
それは、ルーモス帝国がすごいのか。
五百年という年月がひとを、魔法を、進化させたのか。
そのどちらものような気がして戦々恐々していると、リアン殿下が言った。
「到着まであと一時間。……せっかくですから、私とお話でも、いかがでしょう」
確かに、それ以外やることがない……。
(というか今、馬車の窓の外はどうなっているのかしら??)
黒のカーテンで閉じられているが、怖くて外は見られそうにない。
SAN値チェックが入りそうなので、外を確認することはやめておいた。賢明な判断である。
こくりと、ひとつ頷いた。
リアン殿下が、ホッとしたようにふわりと微笑む。
「では、昨日の話の続きをしましょう」
一拍、間を置いて彼が私に尋ねた。
「フェリシア様。あなたの時超えの能力ですが……誰か、他に知っているひとはいますか?」
「知っているひと、ですか?」
聞き返すと、彼は頷いて答えた。
「はい。このルーモス帝国において、知っている人間はいますか?」
リアン殿下は真っ直ぐ、私を見つめた。
その真剣な眼差しは痛いほどで──なぜだろう。
返答を、誤ってはならないような気がした。
「……いいえ。そもそも私自身、リアン殿下に指摘されるまで気付きませんでしたから」
「……そうですか、それなら良かった。マグノリア嬢には知られていないのですね」
「はい」
その時、私は昨日会った銀髪の少女、マグノリアとの会話を思い出した。
「……マグノリア様から、リアン殿下が受けた魅了の特異魔法について、お話を聞きました」
「──」
リアン殿下が、僅かに息を呑む。
瞬間──彼のはちみつ色の瞳がじわじわと、時間をかけて凍りつく。
その様子から、やはりこの手の話は、彼が忌避しているのだと知った。
そして、意図して【彼女】の名前を伝えなかったのだろう、ということも。
それでも、その話をわざわざ掘り返したのは、世間話のためではない。
思いついたのだ。
昨日、眠りに落ちる直前に。
私は、じっとリアン殿下を真っ直ぐに見つめて言った。
「あなたが受けた特異魔法の解呪、ですが。五百年前のツァオベラーであれば、解呪できるはずです」
「それ、は──そうかもしれませんが」
リアン殿下は驚きに一瞬目を見張ったが、やがて言いにくそうに視線を逸らした。
「ですが、ツァオベラー王朝時代、そもそも【魅了】の特異魔法があることすら分かっていなかったはず。そう簡単に解呪法が見つかるでしょうか」
「確かに、王族どころか、殆どの貴族は、魅了の特異魔法があることすら知らずにいました。けれど、確実に知っている人がいます」
そこまで言えば、リアン殿下も私の言葉の意図を察したようだった。
難しそうに眉を寄せながら、その先の言葉を引き取った。
「アバークロンビーの関係者、あるいは、その当事者……」
私は、頷いて答えた。
「そういえば、ツァオベラー王朝時代、アバークロンビー家は公爵位を戴いていましたね」
「はい。……本当に五百年前に戻ることが可能なのであれば、アバークロンビー公爵家に忍び込んで、関連の文献を確認すれば、手がかりを得られるかもしれません」
それは、アバークロンビー公爵家の人間と接触する危険性があることを示唆していた。
アバークロンビーは、第一次魔法大戦を引き起こした重要人物だ。
もし、アバークロンビーが、自身の特異魔法が原因でツァオベラーが滅びることを知ったのなら──。
早々に手を打ち、第一魔法大戦を引き起こす予定のアーロン・スペンダーを殺害する可能性だってある。
そうすれば、第一魔法大戦は起こらず、ツァオベラー王朝は崩壊しないかもしれない。
結果、このルーモスという帝国は建国されない可能性がある。
何がきっかけで、未来を変えてしまうか分からないのだ。
「……危険です。一歩間違えれば、歴史が変わる。この帝国すら、消えてしまう可能性があります」
彼も、その危険性に気付いたのだろう。
ハッキリと、リアン殿下はそう言った。
帝国の皇族として、自身にかけられた魔法を解呪するよりも、帝国の消失すら有り得るその選択は選べないと……そういうことなのだろう。
だから、私はにっこり、微笑みを浮かべた。
挑むかのような、不敵な笑みを見せて、彼に言うのだ。
「私の特異魔法をお忘れですか?私の特異魔法は【気配遮断】。……諜報活動にはもってこいのスキルです!」