嘆きの魔女の恩返し
蔵書室から部屋に戻ったところで、リアン殿下の従僕が私を訪ねてきた。
急用が済んだので、先程の話を改めてしたい、とのことだった。
特に予定のない(暇人)の私はリアン殿下の誘いを受け──城の中庭を案内してもらっている。
私が超えたのは五百年ぴったりだったようで、ルーモス帝国もツァオベラー同様に、春から初夏に移り変わる最中のようだ。
中庭に降りると、既に初夏の香りがした。
夕日の光を浴びた新緑が目に優しい。
思わず手をかざすと、メイドが石のようなものを私に手渡してきた。
触ると冷たい、ひんやりとした水晶のような、透明の石だ。
丸い石を摘み、私は首を傾げた。
「……これは?」
私の質問に答えたのはリアン殿下だった。
「その石に魔力を込めてみてください」
彼はそっと、石の上に手をかざす仕草を見せる。
「魔力──」
その単語を思わず繰り返した、が。
(私、魔力って意識したことないのよね~~……!!)
何せ、私の特異魔法は常時開放型。
意識して魔力を行使する機会はまっ……たくと言っていいほどなかった。
ゼロに近いと言ってもいい。
いや、もはやゼロだ。
今までそんな機会はなかったのだから。
(だから、魔力を込めるって言われてもあまりピンとこないのよね……)
しかし、言われたのだからやってみるしかない。
いける。できる。
やろうと思えばできるはず!!
私はやればできる子!(きっと)
願望を多分に含みながら私は、えいやぁっ!!と力を込めた。
念じておいてなんだが、魔力の込め方としては不正解なような気がしてならない。
……。
…………。
………………。
待てど暮らせど石に変化はない。
「あれっ?うーん……んん?」
首をひねり、今度こそ、とふたたび念を込めた。
「せいやぁっ!!」
やはり、魔力を込めているようには見えないだろう。
何かと格闘している??
だけどこういうのはきっと、気合いが大事なのだ。多分、きっと、おそらく!!
目を閉じて、私はひたすら念じた。
(魔力よ魔力よ、魔力さん、お願いだからこもってくださいな!?!?)
念じる、というよりもはや願いである。
「…………」
しかしそれでも、石は無反応。
全く変化を見せない。
しん、と静かな沈黙が落ちる。
そっ……と石から手を離して、私は察した。
(えーと。…………もしかして私、今、ピンチ?)
不本意ながら【嘆きの魔女】の称号を得ているわけだけど。
魔力がないと思われたら、その称号すらなくなってしまう。
……となると?
その場合、私は今度こそただの変人。
不審者である。
(……不審者?)
「──」
その時、なにかが引っかかった。
ざわ、と胸の奥がにわかに騒いだ。
「フェリシア様、手を」
その本質を知る前に、答えを得る前に。
リアン殿下が私に声をかけた。
ハッと顔を上げる。
リアン殿下が、私に手を伸ばしていた。
「石を貸してください。五百年を経て、魔力も変質しているのかもしれません。私がやってみせますので、見ていてください」
(や、優しい……!!)
その優しさに、私はジーンとした。
有難いことに、リアン殿下は私に魔力が無いのでは、とは疑わなかったようだ。
その優しさと気遣いには、涙が零れそうな思いである。
ルーモス帝国での私の生活は、彼のおかげで成り立っていると言っても過言ではない。
彼の気遣いに報いなければ……。
そこで、私は先程の会話を思い出した。
先程、蔵書室でマグノリアと交わした会話だ。
アンジェラとは、誰か、と尋ねた私に答えたのはマグノリアだ。
彼女は、眉を寄せ、怪訝そうに言った。
『……聞いてない?アンジェラ、っていうのは──リアン殿下に、魅了魔法をかけた子爵家の令嬢のことよ』
リアン殿下に魅了魔法をかけた令嬢──。
“彼女は、アバークロンビーの生き残りでした。アバークロンビーの能力は、【魅了】効果。彼女は、それを使って私の婚約者になろうとしたのです“
リアン殿下の言葉を思い出す。
(リアン殿下の幼馴染の【彼女】か!!)
ようやく、私は思い至った。
『アバークロンビーの名と力を継ぐ、子爵家の?』
尋ねると、マグノリアはあっさりと頷いた。
そんなことも知らないの?とでも言いたげな様子だ。
『そうよ。あの方に魅了の魔法をかけるだけかけて、本人は魔力暴走に巻き込まれて死んでしまったらしいわ。我が従姉妹ながら迷惑すぎるってものよ』
『従姉妹!?』
マグノリアと、リアン殿下に魅了の特異魔法をかけた、【彼女】が!?
驚きに目を見開くと、呆れたようにマグノリアは言った。
『それも知らないの?……まあ、リアン殿下にとっては、あれは忘れたい過去だものね。名前すら知らなかったところを見るに、その名を口にするのも嫌……というところなのかしら』
肩を竦めた彼女は、縦ロールの銀髪を揺らしながら、言葉を続けた。
『だから私は、従姉妹の責任を取って私がリアン殿下の婚約者になるってずっと言い続けているの』
『えっ』
それは、飛躍しすぎなんじゃあ……。
そう思ったところで、分かっている、と言いたげにマグノリアが深く頷いた。
『リアン殿下はあんな得体の知れない呪いを受けたわけでしょ?女性不信なのよ。婚約を考える気は一切ないって、そう仰っていたわ』
『それはあなたを断る体のいい文句だろ。いい加減気付けよ、殿下に迷惑かけてるって』
──と、口を挟んできたのは、やはりザックスだ。
その後ふたりは、ふたたび言い合いになったので、リアン殿下の話はそこで終わった。
後から聞いたことだが、ザックスとマグノリアは、ふたりとも名門の公爵家。
幼い頃から何かと交流がある、幼馴染らしい。
腐れ縁のようなものだ、とザックスは言っていたけれど。
(そういえば、部屋に戻る直前、彼にお礼を言われたのよね)
『マグノリアを助けて下さり、ありがとうございました。あれでも一応、公爵家の娘なので。彼女が怪我でもすれば、魔女様にご迷惑をかけていました』
淡々とした様子で、彼は私に頭を下げた。
言葉自体は、マグノリアを気遣っていないように聞こえたけれど、でも。
「…………」
(あれは、素直になれていない、だけ……なのかしら……)
少し気になったが、部外者が彼らの関係に、安易に首を突っ込むものではない。
そう思い、私は彼の言葉を受け止めるに留めたのだ。
先程のことを思い返し、考え込んでいた、その時。
目の前でフワッ……と青白い光が広がった。
「……!!」
ハッとして、思わずそちらを見る。
光を放っているのは、先程私がリアン殿下に手渡した、石だった。
青白い光を浴びながら、彼が薄く微笑んだ。
「これは、こうして使うものなんです」
彼がそう言った直後。
青白い光が止んだ。
代わりに現れたのは……
「日傘……!?」
白の、日傘だった。




